相互理解
「そうか、グランセルネールも大変だったのだな」
男子寮に向かう道すがら、リーンから大体の事情を聞き終えた。リーンはよいしょと本を抱え直して頷いた。
「そうなんですよ。弟は年も離れててまだ小さいですし、母は母で根っからの貴族ですからね。あれでは働きに出るなんてとてもとても」
例えば、リーンが七賢に入る程の実力を持っていたのなら性別を偽ってまで身分を隠す必要はなかったかもしれない。しかし細々とした魔法の制御は得意そうだが七賢に食い込める程ではない。良くて班長といったところか。その場合、名門貴族令嬢に前線へ行けと命令できる上司がいるだろうか。
なぜ軍なのか、と問えばリーンはすっと目を細めた。
「給料がいいんですよ……」
なるほど。
大体の事情を聞き終える頃には男子寮に着いていた。入口で欠伸をしていた寮監は私を見るなり職務を思い出したようだが、ひと睨みしてやると奥に引っ込んだ。寮内で待機していた夜番の者や非番の者も若干混乱していたが流石に近寄っては来なかった。
「ここです。ちょっと待っててくださいね」
第七席の部屋に、先にリーンが入っていった。ややあって「どうぞ」と第七席の声がした。
「失礼する」
中に入るとなにやらいい香りがした。薬剤局の匂いと似ているが、花の匂いに近い。部屋はきちんと整理されているものの、本棚と薬棚がかなりのスペースを占めている。ところどころにガラスの置物や花なんかが飾られていなければ、仕事部屋と大差なかっただろう。どこがどっちの領分なのかは一目瞭然だ。
「すまん、本を運んでくれたんだってな。薬はもう少しかかるからその辺に座っててくれ」
薬研でなにかをすりつぶしながら第七席が言う。私はその言葉に甘えて椅子に座った。
「元はと言えば、リーンにぶつかった私の不注意だ。気にするな」
「どうぞ」
リーンが茶を出してくれた。紅茶にしては色が赤い。
「ローズヒップティーです。レオンが作ってくれたんですよ。ハチミツを入れた方が美味しいです」
表情を読んだのか、リーンが解説してくれた。
「これを、第七席が?」
「はい。休日を利用して色々作ってくれますよ? 今ではほら、あんなに」
示された方を見てみると、台所の棚にビンが沢山並んでいた。まさか休日まで仕事を応用したものをやっているとは思わなかった。
……いや、私も似たようなものか。休日はずっと鍛練している。
助言に従いハチミツをスプーンで掬うが、私から出ている冷気ですぐ固まった。茶もさっさと飲まないと凄い勢いで温くなる。その様子を見ていたリーンが「あの」と口を開いた。
「クレセリア様のそれって、生まれつきですか?」
「そうだな。幼い頃はそれで悲しくなったりもしたが、今ではもう慣れたものだ」
この体質は地味に不便なのだ。夏は温度差で周囲が結露し水浸しになり、冬は寒い。冷気を纏っているからといって寒くない訳ではないのだ。ハチミツのように温度変化で固まってしまう食べ物はカチコチになる。肉料理もさっさと食べなければ白い脂が浮かんでくるし。小さい頃はすぐぴぃぴぃ泣いていた気がする。
「……はて、気にならなくなったのはいつ頃だったか」
記憶を辿りながらローズヒップティーを飲むと、既に温くなっていた。するとちらちらとよぎるのはやはりあの男の顔だ。あいつとは長く付き合いすぎた。
ズキン。
また痛んだ気がして左目の上に手をやった。
「まだ痛むんですか?」
「それはまずいな。もう少し詳しく診た方がいいか?」
リーンの問いに第七席が顔を上げた。私は静かに首を振る。
「いいや。痛む、というか、熱いんだ」
「ちょっと失礼しますね」
リーンがそっと傷を診るが、怪訝な顔になっていく。
「腫れていたり、熱を持っている感じはしませんけど……なにか心当たりとかないですか?」
「心当たり……といえば、この傷だけはあいつに直接斬られたくらいだが……」
「あいつ、って。反乱を煽った人物ですよね? お知り合いだったのですか?」
「知り合いというか、顔馴染み程度だが。そもそもあいつは私を殺そうとして」
「ちょ、ストップ! 話の流れがよくわからないのですが!」
リーンに止められて確かに、と自省した。
「では最初から話そうか。リーンは聡いしここには第七席もいる。私にはあの男のことがよくわからないが、二人はなにか気づくかもしれないな」
残念ながら、知略に関しては向こうの方が一枚上手だ。あの男がなにを考えているか理解できないからだ。策を破るにはあの男のことを考察しなければならない。
私はひとつ、昔話をすることにした。