廊下の角で
薬剤局へ向かう間、左目の上の傷をずっと気にしていた。
元来、水属性の魔力に親和性が高いせいで、私が触れるものはいつも冷たかった。だが、この傷だけは……あの男に直接切られた傷だけは燃えるように熱い。毒でも塗られているのかと思ったが、それならば『水に混ざる異物』と知覚できるはずだ。
ならば、なぜなのか。
考えながら廊下を歩いていると、角を曲がった時に誰かとぶつかった。
「うわっ!?」
短い悲鳴を上げて尻餅をつく少年近衛と、バラバラと床に散らばる無数の本。確か……第七席の側付きのリーンだったか。
「すまない、リーン。私の不注意だ」
「い、いえ。クレセリア様こそ大丈夫ですか? お怪我をされていると聞いてます。なにか考え事でもされていたのですか?」
「なに?」
驚いて聞き返すと、サファイアのような大きな目をぱちくりさせた。
「えっと、第三席に選ばれるほどの武人であるクレセリア様が、廊下の角とはいえ人にぶつかるなんて珍しいなと思ったものですから」
なるほど。
普段ならば気配を察知して難なく避けていただろう。なかなかの観察眼を持っている。それに、あの『雷帝』の側付きというだけあって肝が据わっているらしい。淀みなくすらすらと会話ができている。
「あ、そうだ。今レオン様がクレセリア様用の薬を調合していますよ。もう少しでできるかと思います」
「そうか、では取りに行った方が早いな。その本も半分程持ってやろう。どうせ第七席の部屋に運ぶのだろう?」
散らばった本を広い集めていると「ああああのっ!?」と焦った声で止められた。
「なんだ。薬の対価に本を運ぶくらいいいだろう」
「運ぶ先は男子寮なんです。薬剤局にない材料を使うとかで今寮の方で調合を」
一般的な傷薬を処方すればいいものを、第七席は細かい男のようだ。だが、私はそこらの男になにかされるほど弱くはない。それに、
「リーン、お前も女子だろう」
ゴトッ、とリーンが拾ったばかりの本を落とした。角が足の甲に落ちて相当痛いだろうに、動かない。そこで私はようやく、言う気のなかった後半部分の理由だけ口にしていたことに気がついた。
「いや、その。男女では水分の量と質が、色々違うのだ……。別に言いふらす気はないから安心しろ。素性を隠さねばならんのだろう?」
言い訳じみたものを並べるが、リーンは真っ青な顔のまま訊いてきた。
「あの、僕とレオン様って、どういうのだと思います?」
「……第七席が、奥方に黙って囲っている、愛人」
誤魔化せない気がして素直に吐いた。するとリーンは持っていた本を放り出して詰め寄って来た。
「うわわわわ違うんですー! 僕が、リリアンヌ・グランヌーヴェ旧姓グランセルネール本人なんですーっ!」
まさかそんなとは思ったが、あまりに必死すぎて嘘とも思えなかった。それよりも。
「待て。大きな声を出すとまずいのではないか?」
ぱくん、とリーンは口を噤んだ。きょろきょろと辺りを見回すと、声量をぐんと落とした。
「じ、事情はお話しするので、ええ、行きましょう、レオンの部屋」
「そうだな」
気になっていることがあるとはいえ、発言には重々気をつけなければ、と自分を戒めた。