どうしたら書けるのだろうか
「何か暇だし何か物語を書きたい。」
そう思い立ったものの中々上手くいかない日々を送っている。
世の物書きは如何にして書いているのだろうか?
私は不思議でならない。
そもそも何で体験したことの無いことを書くことができるのだろうか?
日記とかなら私にも理解できる。
SF小説だとか、ファンタジー小説を書く人はなぜさも当然のように書けるのだろうか?
小難しい理論だとか、異世界の生活様式だとかをなぜ描けるのだろうか。
最近まで不思議でならなかった。
骸骨考という本がある。その中に論文の書き方みたいなのが軽く触れてあった。
私は論文など書いたことは全く無かったので、ふーんそういう感じなんだと読み飛ばしていた。
幾人の先人かたどり着いた解釈を前文として載せて、その最後の自分の解釈を載せるらしい、
なんとも迂遠なやり方で書いているものだと感じたものだ。
しかしながら今ならちょっとは理解できる。
自分が体験したことが無いことを書くことができる人は恐らく体験した人の話を元に話を書いているのだろうと。
当たり前といえば当たり前の話である。
いささか気づくことに遅れてしまった。
昔私が書いていた二次創作なども似たようなものだったのだ。
原作者が書いた偉大なる原作に自らの願望つまり解釈を取ってつけたものだったのだ。
そのことに気づくのにかなり時間が掛かってしまった。
なろうの登録者数が10倍以上になってしまうくらいの時間が過ぎ去ってしまっていた。
これ以上は時間の無駄なので、私も話を書きたいと思う。
勿論たっぷりと先人たちの解釈に自分の解釈を載せる形でだ。
だがどのような話を書こうか迷ってしまう。
今のネット小説界の状況はどうだろうか?異世界もので氾濫していないだろうか?
今更私が異世界ものを書いても埋没してしまうのではないだろうか?
というかぶっちゃけ見ていて飽きた。
皆が異世界という題材で自分の解釈を載せまくった結果なのだろう。
にじファンが無くなる前から異世界ものはよくあったのだ、そしてにじファンには転生ものが氾濫していた。
にじファンが無くなって両者が合流して、異世界転生ものが多くなったのではないかと邪推している。
まあそんな話はいいのだ。重要なことではない。
肝心なのは私はどのジャンルで書きたいかという話だ。
私はファンタジー、コメディなのが好みだ。しかし異世界ものは食傷気味なのだ。
ならば書くとすれば現代ファンタジーコメディ風味なのだろう。
それも日常ものがたっぷりと入ったものが読みたい。
自給自足なのだ。頑張るのだ。
以上結論なのだ。