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師匠と弟子3

 夜のとばりがすっかり落ちて星空が穏やかな灯をともす中、レガーノの街中ではあちらこちらでかがり火がたかれて少しずつではあるが宵闇を追い払うようにして人々が活動を続けていた。


 一仕事を終えて家路を急ぐ者、今からが稼ぎ時とばかりに働く者、稼いだ金を酒や女に溶かす者、家族と穏やかな時を過ごす者……人の数だけの物語が夜でも休まずに紡がれていた。


 街のはずれにある“陽気な人魚亭”では一日の無事を仲間と祝う者や依頼クエストの成功をはしゃぐ者、反省会を開く者など若き冒険者たちがそれぞれの思いを持って過ごしていた。


 夕食時を過ぎて暇になった店内で店主であるマルコは丁寧にグラスを磨きながら店内にたむろする駆け出し冒険者たちを眺めていた。妻のエルマはというと洗い物を下働きの子たちに任せて明日の仕込みをし始めている。そんなエルマの横には食卓傘に覆われたプレートが置かれている。未だ帰ってきていない、本来ならば今日も夕食を食べに帰ってくるはずの少年の分だ。


 少年が必ず帰ってくると信じながら仕事を続けるエルマを横目に、マルコは深くため息を吐いた。


 視線の先には店の出入り口がある。今までもこの扉をくぐって出ていき還ってこなかった者は何人もいた。が、それは一時の客で会ったり他の宿に拠点を移した、そう思うこともできた。が、少年は違う。少なくとも依頼報酬が切れるまではこの宿にいるだろうし、帰ってこないなら連絡くらいはする子だ。


 嫌な予感を振り切るようにかぶりを振って、新しいグラスを手に取った。綺麗なカッティングが施されたガラスのロックグラスだ。カウンターに飾っているウィスキー用にと買い集めたものだったが、駆け出しが集まるこの店ではろくに注文が入らず、使われることのないままお飾りになっていた。


 使わなくても汚れは付着する。だからこそ常日頃の手入れが大事になってくる。何より、磨いている間はグラスだけじゃなく心の汚れも落ちていくようで……もやもやが積もった時はこうして手に取って入念に磨いていた。


 そうして、心の奥にたまった澱と一緒に一つ目のグラスが磨き終わるころ、ゆっくりと店の扉が開かれた。



 見上げた先にいたのは、まっすぐに背筋を伸ばした少年だ。背は高く、並大抵の大人たちをとうに追い越しているというのに顔立ちは幼い。短く刈り込んだ髪は野性味を帯びていながらもどこか端正だ。身にまとう革鎧はあちらこちらに傷が見え、背中に取り付けられた大盾は裏側にまでへこみが見えるほどにボロボロだ。


「すいません、遅くなっちゃいました!!」


 それでも、少年は笑顔を浮かべていた。喜色に溢れた弾けんばかりの笑みだ。


「おう、お帰り。オルレオ」


 この宿に泊まり始めてまだ数日しかたっていないというのにすっかりと馴染んだ顔の帰還にマルコも満面の笑みを浮かべた。


 それは調理場にいたエルマも同じだったようで。


「お帰り、オルレオ。夕飯は食べてきたかい?一応アンタの分を残しといたけど」


 あっという間もなくマルコの隣に並んで、安心したようにオルレオの顔を眺めていた。


「ありがとうございます!あ、あと突然なんですけど……」


「話してないで中に入れ馬鹿弟子。いつまでも扉を開けっぱなしにするな」


 ゲシっと、蹴押されるようにしてオルレオが店内にたたらを踏むように入ってきて、その後ろからもう一人の男が現れた。


 不思議な男だ。若々しい見た目でありながら、身にまとう気配は明らかに幾つもの修羅場を乗り越えた凄みを感じさせて年齢の予測がつかない。背は平均的だが身体はがっしりと鍛えられてきているのが服の上からでもよく分かった。腰に佩いた剣は鞘からして高級な造りで柄を見ればよく使い込まれているのが察することが出来た。


 男は「何するんですか!?」と抗議の声を挙げているオルレオを当然の様に無視しながらゆっくりと宿の扉を閉めるとまっすぐマルコに視線を合わせた。


「俺の弟子が世話になっていると聞いてな。スマンが、一晩宿をとらせてもらえないだろうか?」


 軽く会釈でもするように頭を下げる男に、マルコは納得したとでも言わんばかりに大きく頷いた。


「構やしねーよ!部屋は空いてるからな!だが……」


「あいにくと夕飯が出ないのよ。オルレオの分は取っといたんだけど……」


 マルコとエルマが顔を見合わせて困った顔を浮かべた。


「あ、なら、翼竜ワイバーンの肉を使って何か作ってもらったりとかできないですか?」


 言いながら、オルレオは腰に下げたバックの中から次々に革袋を取り出した。中に納められていたのは、未だ新鮮さを失わない鮮烈な赤さを残した肉だ。


「おま……」


 目を丸くしたマルコが視線をさまよわせていると、一点、オルレオの胸元で止まった。そこにあったのは、くろがねで形造られた冒険者ギルドの徽章。


「倒しちゃったのねぇ、こんなに早く……」


 エルマは呆然としながらも肉質を確かめるようにオルレオが取り出した肉を検めていた。


「あ、オルレオ?内臓の部分は小腸と肝臓だけにして頂戴。そのほかの部分は錬金工房アトリエにもっていくといいわ」


 動揺しているのか、それとも冷静なのか。妻のエルマが仕事モードに早々に切り替わったところで、マルコも引きずられるようにしてやるべきことを考えながら言葉を作っていく。


「そうだな……んで、肉は一人じゃ食べきらないだろうから余った分はウチで買い取るぜ?」


「じゃ、それで」


「おう!なら、とりあえず荷物を置いてきな、師匠さんはどうする?」


 問うと、オルレオの師匠はカウンターに飾られたウィスキーを眺めながら。


「サージョンが産地のものがあれば、それで」


「はいよ」


 オルレオが階段を駆け上がり、その姿が見えなくなる。師匠がドッカとカウンターに腰かけて、マルコは丹念に磨いてきたガラスにゆっくりと酒を注ぎ初めて客にウィスキーを振舞った。


 師匠がグラスを傾けてグビリと小気味よく一気にあおった。


「……やっぱり、いい酒だな」


「遠方の酒だからな、届くまでにも年数が経ってる」


 その分値段も高いのだが、それを言うのは野暮だろうし、値段ごときでごたごた言いそうな客じゃないのは雰囲気で分かる。


「それで師匠さん……」


「ガイ、だ」


「オーケー、ガイ。何だってここに?」


 ガイはグラスをカウンターに置いてもう一杯を頼むと酒が出てくるまでの暇潰しとばかりに口を開いた。


「なに、ちょっとばかし昔馴染みに仕事を頼まれてな。結果の報告に冒険者ギルドに顔を出したところで、同じ目的の弟子にあったってわけだ」


「なるほど」


 グラスを下げて新しいグラスに酒を半分ほど注いでいく。「同じグラスでも構わんが?」とこちらを気遣う客に笑顔を一つプレゼントしながら、「こだわりがあるのさ」と客の手元に酒を運ぶ。


 そうすると、観念したように男は軽く息を吐いて続きを、というより本音に近い部分を話し始めた。


「あとは単純に、弟子の話を聞くために、だ」


「それは、本人から、それとも周りからかい?」


「どっちもだ」


 ガイがグラスを軽く傾けながら口にする、今度はちびりとしか飲まず乾いた唇を潤すかのようだった。


「あいつは、どうだ?」


「見込みのある若者ってところさ」


 あいまいな質問にあいまいな返答が帰ってくる。


「素直で良い子だよ。ちょっと世間知らずというか考え無しなところがあるけど」


 それを咎めるように横からエルマが口出ししてきた。手には、フライが盛られた皿を持っていた。


「余り物の野菜やら魚やらを揚げたもんだよ、つまみがいるかと思ってね」


「ありがたい」


 弟子の評価に関してか、それともつまみに関してか。


「若者らしく無謀で前向きで、そして困っている人を見過ごせない小さな正義と優しさを持っている……ま、そんなところかね」


「そうか……」


 マルコが次のグラスを手に取って磨き始めながら言えば、ガイはグラスを手に取って中身を飲み干した。


「もう一杯?」


「ああ」


 話が途切れたところで、どたどたと階段を駆け下りてくる音が聞こえ始めた。


「……さっきのは」


「他言無用、だろ」


 短いやり取りを交わし、男たちは空のグラスと新しく注がれたグラスを交換した。


「あ~!!師匠!!何先に飯食いながら酒飲んでんですか!?」


 ぷんすかと音を立てるかのように腹を立てつつ、オルレオはガイの左隣に腰かけた。


「お前が遅いからこうなる」


「いやいや、これ以上ないくらいに速かったですから!最速でしたから!!」


 言いつつ、オルレオはつまみにと置かれていた揚げ物を何個も手に取って一気にほおばった。


「あっち、あっつ、あふい」


 口いっぱいに放り込んだものの余程熱かったのだろう。変な声を挙げながら食べ進めていくオルレオを、ガイとマルコは呆れたように見つめていた。


「何か冷たい飲み物を出してやってくれるか?」


「あいよ」


 男二人がため息をついた横では、未だ口の中の揚げ物と格闘しているオルレオの姿があった。


「はっはっは、なんだか今日のオルレオは一気に子供みたいになっちまったね」


 そんな様子を笑いながら、厨房からエルマがやってきた。その手にはもちろん、二つの皿が用意されている。


 マルコから差し出された飲み物を手に取って口の中のモノを流し込んだオルレオは待ってましたと言わんばかりに輝いた眼で、目の前に準備されていく料理を見ていた。


「とりあえずは、翼竜胸肉のソテーね。後はもも肉と手羽元の揚げ物をだすからもうちょっと待ってなさい」


エルマの言葉に、より一層目の輝きを増しながら、オルレオは行儀よくナイフとフォークを持つと手早くソテーを切り分けた。


「オルレオ」


 そうして口にソテーを運ぼうか、というところでガイに声をかけられて動きを止めた。


「なんです師匠?」


「どうだ、街に出た感想は?」


 思いもよらない質問だったのか、パクリ、とフォークに刺してあった肉を口の中に放り込んで租借しながら考えていく。感想と言っても街に出てまだ数日だ。いろんな人に会って色んなことをしたけど、思い出にするには早すぎるし、むしろ記憶に残りすぎるほど濃厚な日々だった。だから。


「すっごく色々ありました!!」


 とにかく話していくことにした。初日から今日までの日を自分がどう過ごしていたのかを知って欲しかったし、何よりもそれを聞いて目の前にいる師匠がどんな反応をしてくれるのかも楽しみだった。


 その日の夜は、オルレオが今まで過ごしてきたどんな夜よりもたくさんの話をして、そしてどんな夜よりも長い夜だった。

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