名門復活の始まり
俺は、前田健一。今年からLP学園野球監督に就任することになった。元巨人の桑田さんから、名門LP学園野球部の復活を託された。
俺は、プロ野球の巨人で7年間の現役生活を過ごしたが、脳腫瘍の悪化により引退を余儀なくされた。
その俺が新たな夢の舞台に立つ。
目指すのは、甲子園優勝だ!
LP学園野球部は、数年前から休部状態だった。もちろん部員はゼロだ。だから、全国の中学校を回って、俺は監督として先生方に頭を下げて、入部希望者を募集した。でも、積極的なスカウトは行わない。あくまでも、本人の自由意思で入部して欲しい。
野球部が始動する日、一年生の新入部員が9人集まってくれた。みんな気合いが入ったヤツらばかりだ。
彼らは、LP学園野球部が凄かった時代を知らない年齢層だ。彼らの父親世代は、LP学園のファンも多くて、親御さんからも期待の言葉を多くいただいた。
新入部員の山川の父親は、ひときわ喜んでおられた。
「前田監督、LP学園野球部が復活するなんて夢のようです。私は、高校時代に甲子園でLP学園と対戦した経験があります。めちゃくちゃ強かったです。LPの輝きを取り戻して下さい」
プロ野球にも多くの選手を輩出して、高校球界では、レジェンドと言ってもいいチームだ。そのチームの再興を任される重圧をひしひし感じる。
俺は、脳腫瘍の主治医に一応相談した。主治医は、
「前田さんはプロ野球を引退しても、おとなしくしていないだろうと思っていたけど、LP学園野球部監督とは驚きましたよ」
そして、笑いながら続けた。
「私が、やめろって言っても、やるんでしょ?」
俺は、申し訳なさそうに頷いた。
「俺はどうしてもやりたいんです。お願いします」
主治医は納得した顔で、
「私は昔、高校野球をやっていました。LP学園野球の復活は嬉しいですよ。前田さんの新たな夢を応援します」
「悔いのないように頑張って下さい。でも、定期的な検査で異常が見つかったら、私の指示に従うことを約束して下さい」
こうして、主治医の許しもいただけた。
さて、新生LP学園野球部のメンバーは、9人ギリギリ試合ができる人数だ。そのレベルも高いとは言えなかった。でもその方が、監督としてやり甲斐があるな。
コイツらを鍛え上げて、甲子園に連れて行くぞ!
俺は指導者としての経験がないので、日々勉強しないといけない。まずは、ノックを打つ練習だ。これがなかなか難しい。現役時代は、ピッチャー専門だったこともあって、ノックにかなり苦労する事になった。
特に、フライを打つのが難しい。練習でも、外野フライを打つつもりが、内野フライになる事も多かった。
「ノッカー、 しっかりお願いしますよ〜」
部員から、声が飛んだりした。チームの雰囲気は明るい。
俺だって負けていない。
「うるさーい。次は飛ばすから待ってろ」
次こそ、外野フライ……と思ったら、ライナーになった。部員は、それでも横っ飛びでボールを追った。
この姿があれば、みんなきっと上手くなる。今はまだ弱いチームだが、強くなれる連中だと俺は信じている。
チームのエース候補は、山川だ。というか、ピッチャー経験があるのは山川だけだった。
山川は、細身でストレートも速くないが、武器を持っていた。フォークボールだ。
山川が投げるフォークは、高校一年生のレベルを超越していた。元プロ野球選手の俺でもビックリするほどの落差と鋭さを持っている。
俺は聞いてみた。
「お前のフォークは凄いな。どうやって覚えたんだ?」
山川はニッコリして、
「僕は小学生の頃からフォークを投げています。その頃、テレビの向こうで巨人の前田さんのフォークに憧れたんです。あのボールを投げたいと思って練習していました。だから、前田さんがLP学園の監督になると聞いて、嬉しくてたまりませんでした」
「LP学園への進学を親に相談したら、喜んで送り出してくれたんです。父親は、前田さんのフォークを死ぬ気で教わって来いと言っていました。父親は熱血巨人ファンでした」
やっぱりプロ野球選手は、少年たちに夢を与える職業なんだな。俺の7年間は無駄じゃなかったんだな。
山川を鍛えれば、LP学園は戦えるチームになれる。野球は何といってもピッチャーだ。
「山川、ピッチャーはとにかく下半身を鍛える事が重要だ。フォークボールだけで満足せずに、ストレートのキレを高める為にも走り込むんだ」
山川、これまで綿密な指導を受けた事はなかったらしい。ほとんど自己流でやっていた。
しっかり走り込んで下半身を鍛えた経験がなかった。
危惧していた通り、走り込みに耐えうる体力を持っていない。5キロのランニングでも、チームメイトから遅れ気味だ。
焦ってはいけない。今時の若い子は長い目で見てやらないとな。
「山川、今は1キロでいいから必ず毎日走れよ。雨が降っても、カッパを着て走れる。休んだら、成長が止まるぞ」
山川は、俺の言いつけを守ってちゃんとやるだろうと思っていた。
しかし、一筋縄ではいかなかった。