(91)
記憶も戻らない状態なのに、妹は戻ってきた、というのか。
「蘆屋さん! 大丈夫?」
「ちがうよ。私、さやか」
音が、微かに記憶にひっかかる。声も蘆屋さんの声ではなくなっている。
「……」
冴島さんが蘆屋さんの背後に回り、俺に言う。
「話しかけてあげて。さやか、って」
俺は蘆屋さんであることを忘れることにした。
記憶は戻ってきていないが、妹を呼ぶ。
「さやか」
「お兄ちゃん」
「さやか、俺を覚えているのか?」
「何を言っているの。あたりまえでしょ」
「俺は覚えていないんだ。ここに居たこととか、お前のこととか」
「大丈夫、一緒に中に入ろう。あの時のことを思い出すよ。だって……」
「だって?」
「ううん。なんでもない。じゃあ、お兄ちゃん、お家の入り方も忘れちゃったのね」
「ああ」
「じゃあ、ちょっとこっちきて」
俺はさやかに連れられて、冴島さんと橋口さんから離れた。
そして、家の鍵の開け方を聞いた。
「……さっきの話、ほんとうか?」
「本当よ。私が鍵なんだから」
「……」
俺は、冴島さんと橋口さんのところに行った。
「ちょっと中に入る支度をするので、こっちで待っていてください。鍵が開いたら呼びますから。見ないでくださいね」
冴島さんたちを誘導して、玄関から見えない位置まで連れてきた。
いそいで俺はさやかの元に戻る。
「さやか、本当に間違いないんだな?」
「本当に思い出せないの?」
「……」
「本当よ。ほら、私が扉に立つから、お兄ちゃんが鍵を開けて」
そう言うとさやかは瞳を閉じて、少し上を向いた。
唇を見つめながら、本当にこれで開くのかと何度も考えた。
しばらくしてから、俺は決断した。
やるしかない……
俺はさやかの鍵を開いた。
ノブを回すと、屋敷の扉が開いた。
「……ちょっと待っていてくれ。冴島さんたちを呼んでくる」
「うん」
俺は屋敷の角にいた冴島さんたちを呼んだ。
冴島さんも橋口さんも、何か俺を見る目が変だった。
「俺の顔になんかついてます?」
「……」
「今、何をしたのか。自分の胸に手を当てて良く考えてみればわかることなんだケド」
「えっ? 橋口さん、それどういう意味ですか?」
「……なんでもないんだケド」
「見ないでくださいって言ったはずです!」
俺が橋口さんを問い詰めようとすると、冴島さんが俺を押し返すようにして言った。
「ほら、いいから早く入るわよ」
扉で待っていたさやかに合流し、俺たちは屋敷の中に入った。
窓にはカーテンが掛かっていて、部屋には明かりがなく、薄暗かった。扉の周りを探るが、明かりのスイッチのようなものはない。床は段がなく靴のまま入るようだった。
中は広く、フロアの中心に大きなシャンデリアが釣り下がっている。正面の階段を上ったところは壁になっていて、大きな窓がはめられている。階段は左右に別れて、それぞれが二階に通じていた。
「かんな、霊圧を調べてみて」
「麗子、それよりこの壁の模様……」
「!」
冴島さんは何かに気づいたようだった。
壁に触れている橋口さんは、スマフォをかざして写真を撮っている。
俺には白い壁以上でも以下でもなかった。
「何が……」
「魔法陣と呼んでもいいかもしれないわ。何か細工が施されている」
「建物の壁にこんな細工をするんだとしたらいくら掛かるのかしら。想像もつかないんだケド」
「かんな、後でその画像くれる」
橋口さんがうなずいた。
屋敷の奥の方を向く。
「それ以外は、西洋風の、いかにもなお屋敷ね」
冴島さんがそう言った。これだけ屋敷の中の様子を目にしても、俺にはここに居たころの全く記憶がな戻らない。せっかく屋敷に入れたというのに、何も思い出さないなんて……
「お兄ちゃん、そこだめ!」
俺は正面の階段を上がろうとして、何かにぶつかった。
立ち上がろうとすると、その瞬間にまた何かにぶつかった。
さやかが来て、俺を後ろに下げてから、立ち上がらせてくれた。
「二階には入れないわ。段階があるの」
「階段じゃなくて?」
「……準備が必要、という意味よ。お兄ちゃん」
「なるほど」
俺は二階を見上げた。
準備…… どうしたら二階に上がれるというのだ。
「お兄ちゃん、こっち」
さやかが、左にある両開きの扉に立って俺を呼んでいた。
「こっちの先に……」
さやかが扉のレバーを下げようとした瞬間。
「危ない!」
冴島さんの声だった。
同時に、俺には命令が入っていて、まったく動けなかった。
扉からは煙が上がっていて、さやかは、尻餅をついている。
「良く見えてるじゃない」
扉の向こう側から、女の声がした。
「一人はやれると思ったけど。残念」
金属が擦り合わさる音がして、声の主が近づいてくる。
扉から、馬上から使う大きな槍が突き出てきた。
「あ、あたし、いつの間に?」
「さやか?」
「あんたそれ、あたしに向かって言ってる?」
確かに声がさっきと違う。
「蘆屋…… さん?」
「なんでそんな確かめる口調なの?」




