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「警察関係者なのか、女性の方が『検査してくれ』って何度も言っていたわね。外見上には何も傷らしいものはなかったけど、一応一通り検査をしたのよ」
「警察関係の女性? こう、胸の大きな、少し背の低い?」
「ああ、そうだったわ」
「(橋口さんだ)」
「しきりに先生に『異常値は無いですか? 正常ですか?』って聞いてたわ」
俺の健康を心配してくれているのだろうか。俺、やっぱりモテ期がこっそり進行中なんじゃないかと思った。
「あなた、人間かどうか疑われてるみたいよ?」
「えっ?」
「その女性が『鼻の骨が曲がっていて、顔面血だらけの人間が、数分でもとに戻りますか?』って聞いてた。それって、あなたのことでしょう?」
もしその状況が本当なら、俺は化け物か、妖怪の類としか思えない。人間の傷がそんなに簡単に治ってたまるものか。確かに不思議な話だが、これが初めてではない。居酒屋でバイトしていた時、店長の包丁が俺の手を突き抜けたはずだ…… しかし、今、小さな痕すら残っていない。
「……本人にそういうこと言います?」
「何かその女性は勘違いしているのかもね。機能の検査…… レントゲンやCTスキャンした限りは人間だから安心して」
「まるでそれ以外のところは人間じゃないようないいかた……」
「別に誰でもそうよ。知っている限りは普通の人でも、知らないところで変なクセが出たりするでしょ。あれと一緒。だから気にしない方がいいわ」
これって俺を慰めてくれているのだろうか。
「……」
ピピピピ…… と体温計がなった。
看護士さんが俺の病衣に手を入れてきて体温計を取って、値を記載した。
「ほら、体温だって普通の人間であること示してる」
俺のムスッとした顔を見て、看護士さんは笑った。
人間でないなら、平熱を出す意味はない。平熱を出さねば人間のフリは出来ない。
俺はどっちだ?
「はい、それじゃあね。食事がくる頃は私交代してるから」
看護士は手を振って病室を出て行った。
冴島は、以前、影山を連れて行った神武の家に向かっていた。影山のことを知る人物は、知る限りその人だけだったからだ。松岡が静かにブレーキを踏むと、車がゆっくり減速しながら道端に止まった。ハザードランプを点滅させ、松岡が後部座席に回り、冴島を降ろす。
「待っていて」
「お嬢様、ここは生霊がいたと記憶していますが、大丈夫ですか?」
「一対一ならなんとかなるでしょう。もし危なくなったら呼ぶわ」
「承知いたしました」
冴島はコウタケの家に向かい、呼び鈴を鳴らした。
『どうぞ』
家の扉は開いたが、人の姿は見えなかった。
冴島は開いた扉に進み、靴を脱いで家に上がった。
奥の居間に上がると、うっすらとコウタケを名乗るおばあさんが現れた。
おぼろげで、偏向ガラスに投影された映像のように透けていた。
『突然ですね。今日はどうしました?』
「影山くんのことなんです。不思議なことが何度かあったもので、なにかご存知ないかと」
『……本人はいないのね?』
「はい」
『不思議なことって、どういうこと』
「一つ目は影山くんが居酒屋でバイトしていた時に、店長が持っていた包丁で襲われ、手のひらを包丁が突き通ったそうです。しかし何十分後かには手に傷痕すら残さず回復している。次は火狼に飲み込まれた時です。巨大な狼に飲み込まれた彼は、腹を破って出てくるわけでもなく、光の粒が集まると彼の身体を作り出しました。最後は、つい昨日のこと。霧のような白い煙を使って、人を心臓麻痺で殺し、自らの負った傷を数分も経たずに治してしまいました」
『……あなたはどう思うの』
まさかの返しに、冴島は動揺した。
「えっ?」
『話を聞いた感じだと、それはあなたの専門分野に思えるわ』
「……」
『どうなの』
「完全霊体であれば、ありえなくない話ではあります」
『ごめんなさいね。完全霊体というのはどういうことを言うのかしら』
一瞬、コウタケのおばあさんがゆらり、と乱れた。
「人間ではなく、すべてが霊的物質で構成されている人型であれば、ということです」
『……それは人間ではない、という意味なのね』
「……はい」
『あの子は人間よ。それは確か。私も霊体が大学通うお金を立て替えたりしないわ』
「……はい」
『いい笑顔ね』
冴島の笑顔は一瞬だけで、すぐち冷静な表情に戻った。
「けれど、それならば憑いている”もの”の力がものすごく強いことになります」
『残念ながら…… それは私も知りえないのよ。残りの答えはあの屋敷にあるはず』
「……」
ふたたびコウタケの体が揺れ乱れた。
『ちょっと疲れたわ…… 体を消してもいいかしら』
「……はい。すみません」
『もうすぐ、屋敷の方で勝手にあなたたちを招き入れるはずよ』
「……」
冴島は無言でうなずく。コウタケがそれを見ているだろうと思っているのだろうか。
『予想はしているみたいね。すこし安心しました』
「……あの、あなたは」
『いつか、話……』
冴島が感じていたコウタケの気配が、完全に消えてしまった。
部屋をぐるっと眺め、冴島は四人が映っている写真をじっと見た。
さっきまで姿を見せていたコウタケのおばさんが、その中の女性に似ていないかを確かめた。
母親らしき人物、姉・妹のような人物。
どちらもさっき姿を見せていたコウタケのおばあさんとは似ていなかった。
かといって、父親がわや、影山本人とも似ていない。
まったく血筋が違うとしか思えない。
冴島は首を傾げ、コウタケの家を出た。
「お嬢様……」
「影山のいる病院に行きましょう」
「はい。お嬢様」
薄暗い部屋に赤いスーツの男が座っている。内ポケットからスキットルを取り出すと、あおるように飲み、代わりに、ため息のように息を吐きだす。
男の視線の先には女がいた。女は、一重の瞳、垂れ目で、唇は薄かった。顔はスッキリとほそかったが、バランスがいいのか、美人ではあった。
女は首を傾げ、尋ねた。
「実験体?」
男は失われた目のあたりを手で押さえる。
「あれは、人間じゃない」
「実験体というのは」
「どこまで霊圧に耐えられるのか実験したんだ」
男は女の反応を見ていた。




