(8)
それまでの間は、警備室で鍵の置き場所、鍵の貸し借りの時に記載する表の書き方や、事前に連絡がなかった人を入館させない為の断り方とか、細かい警備室での業務の方法を教わった。
「ちょっと急いだけど大体こんな感じだね。イレギュラーなことは逐次教えるから」
「わかりました」
と言ってから、俺は少し息を吐いた。
「少し休憩入っていいよ。さっきの休憩所に行っても良いし、裏で休んでもいい」
「はい。ちょっと上に行ってみます」
平田さんに軽く手を振って、俺はエレベーターホールに出た。
ポケットに手をいれると、スマフォが入っている事に気がついた。本来、警備のバイト中は私物はロッカーに入れていなければならなかった。
「そうだった。後でロッカーに戻しておこう」
エレベーターに乗ると、スマフォの画面を確認した。
冴島さんからの着信があった。
「あれ?」
飲み物の自動販売機があった休憩室につくと、俺は冴島さんに折り返した。
「もしもし、影山です」
「どう、仕事は慣れた?」
いきなりテンション高い感じだった。
「初日ですよ、分かってて言ってませんか?」
「ああ、そうだったかしら。私は私で色々あったから、どれくらい日が経ったかよくわからなかったのよ。それより、霊がついてそうな人物に目星はついたの?」
やけに明るい感じの口調。酔っ払っているのか。俺は勝手に推測した。
「だから初日ですよ? まだ分かりませんよ」
だんだん俺も声が大きくなっているような気がする。
「ビルが完成しないんだから、結構強烈な状態になってると思うんだけど?」
俺は嫌味の一つでも言ってやろうか、という気持ちになっていた。
「ええ、そうですね。さっき大怪我しそうになりましたから」
「大怪我? しそう、ってことは平気だったのね」
気にもとめないような口調。少し悔しい。
「……と、まあそんな話です。体はおっしゃる通り無事でしたが、心は震え上がってるんですよ」
「落ち着きなさいよ。そういう時の為にあの高額な腕時計を渡しているんだから」
えっと…… いや、そんな機能は無かったはずだ。というか、どうやって腕時計で木刀を回避するというのだ。
「……使い方しらないくせに」
少し間が空いた。いいところをついたようだった。
「し、失礼ね。あの時はちょうどマニュアルを読んだばかりで」
冴島さんが動揺した感じに、俺は『この手は使える』と思いニヤリとした。
「それより、この仕事で一つ疑問があるんです。俺、霊なんか見えませんよ。どうやって人物を特定するんですか?」
冴島さんは間髪を入れずに答えた。
「あなたさっき腕時計の機能を知らないみたいに私にいったのに、あなたこそまだ使い方わかってないの?」
「……」
なんだろう、俺は必死にマニュアルの内容を思い出していた。目次、とにかく目次に書いてあった項目だけでも思い出せないだろうか。
「機能3、腕時計は悪霊に反応して装着者に知らせます、って。ここに、ちゃんと書いてあるじゃない」
間に合わなかった。完全に勝ち誇ったような冴島さんの声。
「つまり、ようかい〇ォッチと同じってわけね」
電話越しに、マウスのクリック音が聞こえた。
「あっ、マニュアル、今見てるでしょ?」
「あなたこそ見てても、覚えてないんでしょ」
何を言っても今の状態では負けだ。
俺は話を進めることにした。
「分かりました。けど、それならもう腕時計が反応してても良さそうですけどね」
「特定はしていないけど怪しい人物と接触はしている、ということなのね。それは誰、どんな感じなの?」
冴島さんも話を進めようという雰囲気だった。
俺は今一番怪しい人物を頭に描きながら、言った。
「さっきの大怪我の話しですよ。現場監督です。いきなり木刀を振り下ろして来て……」
あの現場監督が霊に取り憑かれていない、というなら、誰が取り憑かれているのだ、と俺は思っていた。
「ふ〜ん。けど、時計が反応していない、ということはそれは霊の力でやっていることじゃないのよ。おそらく本人がやっていることね。問題ないわ」
「えっ、この時計、そんなに信用できるんですか?」
あの現場監督が悪霊に取りつかれていないのだとしたら、この腕時計が反応する頃には俺は殺されている。そんな気がした。
「信用もなにも、その時計、一体いくらしたと思っているのよ」
「いや、金額と信頼度は必ずしも一致しないと思うんですが」
「貧乏人の考え方ね。何故、お金持ちが外車に乗るのか理解できないことに等しいわ」
俺は前々から外車に乗るセレブの考えが分からなかった。
ここで一つ疑問が解けるかもしれない。
「じゃあ、外車に乗る意味を教えてください」
「分からないの? 詳しく調べることなく、対価に等しいものが得れるからよ。さっきも言ったと思うけど。ブランドと信頼の関係ね」
「……」
ぐうの音もでなかった。
俺たちが必死に『調べている時間』を連中は金で買っているというわけだ。
「まあ、なら、この時計は『信頼』にたるということですね?」
「そういうこと。また明日連絡してよ。じゃあね」
「えっ、あの……」
反応がない、と思って画面をみると、すでに電話は切れていた。
休憩を終えて警備室に戻ると、次の巡回は俺は一人で行った。
さっき内装工事を行っていたフロアから工事業所も、現場監督もいなくなっていた。誰もない、工事途中のそのフロアを見回りして、巡回した時間に加えて問題なしとメモを取る。
のこりのフロアも順調に回って、警備室に戻ってきた。
警備室には、『巡回中』の札がかかっていて、小窓にはカーテンが閉じていた。
鍵をあけて中に入ってみると、机の上にメモがあった。
『さきに寝るから、4:00に交代しよう 平田』
「はぁ……」
俺は座って小窓のカーテンを開けると、警備日誌にさっきの巡回のことを書き加えた。
日が昇り、明るくなると、ビルの外が騒がしくなった。
交通整理の警備の人もやって来て、トラックやワンボックス車の誘導を始める。工事は時間が来てからしか始められないが、その頃に来ようとすると、車が渋滞して来れないらしい。皆トラックの中で休憩したり、ワンボックス車の中で仮眠したりしている。
「眠いようなら、外を歩いてきたらいいよ」
平田さんに言われるまま、俺はビルの周りを歩いていた。
ただ、現場監督さんには合わないことを祈りながらだ。当然、昨日の木刀の件はまだ頭の中に残っていて、思い出すだけでも震えが来る。眠気が強くなるとああなる、ということだから、万一現場監督さんが徹夜していたら、相当気が立っているだろう。その場で真っ二つにされる可能性だってある。
しかし、昨日の二度目の巡回の時には内装業者も帰っていたし、監督もいなかったのだから、おそらくしっかり睡眠を取っているであろう。まあ、それとしても顔を合わすのはいやなのには違いなかった。
「?」
プレハブの方から視線を感じ、俺は散歩のつもりで近づいていった。