(62)
「しつこい!」
声が聞こえて、俺のやらねばならないことを思い出した。
公園の林の中を走り抜けていく。
と舗装した通路を、走っていく人影を見つける。
俺はそれを追う。
「井村さん!」
前方に人影が見えてきた。
「影山さん?」
「?」
手前にいる、ハゲのおっさんが振り向いた。
「なんだお前は」
おっさんは立ち止まって、俺を指さした。
「人の恋路をじゃまする奴は、こうだ」
おっさんがポケットから出した白紙を広げ、懐から出したペンでさっと書きなぐる。それを弾くように俺に向けて飛ばしてきた。
紙は不自然に飛行してくる。前に走りながら、身体をずらしてよけた。
「えっ?」
バタバタ、と音がしたかと思うと紙は急カーブして俺の左足に絡みついてきた。そして、みるみるうちに粘つくようになり、重くなった。俺は手をついてしまった。
「い、岩?」
左足が、黒光りする石の中に埋まっている。重すぎてビクともしない。
「影山さん!」
井村さんが、俺に気付いてこっちに向かってくる。
そこをおっさんが、抱きつくように捕まえる。
「やっと捕まえた」
一瞬にして、井村さんの意識が飛んでしまった。
「やめろ、井村さんを離せ!」
動く右足と両手をついて、前に進もうとするが、まったく動けない。
おっさんに担がれて、井村さんの足が宙に浮いた。
「やめろぉ……」
ハゲのおっさんがニヤリ、と笑って後ろを向き、公園の奥へ歩き始めた。
「ちきしょう……」
その時、俺の視界の隅を、さっと、動く影が見えた。
おっさんが立ち止まる。
「何者だ」
おっさんと、おっさんが担いでいる井村さんのせいで、その先にいる者の姿は見えない。
「仲間を返してもらうか」
「仲間だって…… これは人じゃ…… まさか」
可能なかぎり体をずらすと、おっさんの前にいる人物が、真っ赤なジャケットを着ているのが分かる。
「なんだ?」
おっさんの前に立った真っ赤なジャケットの人物から、煙、いやオーラが発せられた。
立ち上る煙のような、陽炎のような空気の動き。
おっさんは怯えたように足が震えはじめ、肩に載せていた井村さんをゆっくりと、通路に寝かせる。
暗くて遠くて良くは見えなかったが、真っ赤なジャケットの人物の顔がうっすらと見える。男だ。
「これでいいだろうぉ…… ゆるしてくれよぉ…… こっちはクライアントだぜぇ……」
真っ赤なジャケットの男が、パッと手を払うような仕草をする。
「ひっ!」
おっさんは一瞬にして、通路横の林に去って行ってしまった。
赤いジャケットの男が、手をかざすと、井村さんの体が宙に浮かぶ。
すーっと赤いジャケットの男の肩に引き寄せられるように移動していく。井村さんを担いで、赤いジャケットの男は公園の奥の方へと消えて行った。
暗い、人のいない公園。
「なんだったんだ……」
自分の声が虚しく消えていく。俺は自分の置かれている状況を再確認した。
「えっ? 俺、これどうしたらいいの」
足に石を付けられた晩、俺は冴島さんに電話して、GLPを使って『鉄龍』という霊力のある杖を出した。『鉄龍』の杖によって足元の石を割って脱出が出来た。公園を出る際、入った時のような跳躍力もなく、全身をつかってなんとか塀をよじ登ってから、槍の間を抜けてこっそりと外に出た。店に戻る勇気はなかったから、そのまま駅に行って終電で家路についた。
翌日、大学の授業が終わると、バイト先に電話を入れた。
チーフが出て、ものすごい怒っていた。店の床掃除を全部チーフがやったこと、俺の前掛けを片付けたこと。それらを含めてペナルティを課す、ということだった。そして今からバイト先に来い、今日のホールの清掃はお前がやれ、とそういうことになった。
俺はしかたなくバイト先に行った。
それとなく調理師の人に井村さんのことを聞いた。
「チーフが一人辞めたって言ってたけど、もしかしたらその娘のことかもな」
やっぱり、あんなことがあったら普通辞めてしまうだろう。店からずっと追い掛け回されたわけだからな。心の傷は簡単には消えない。忘れるにはここに来てはダメだ。
俺は残念だったが、井村さんのことを思うとその方法しかなかっただろう。それとあの時、井村さんを助けた、あの赤いジャケットの男とはどういう関係なんだ。井村さんの心に俺が入る隙間など、そもそもなかったのではないか、などと自虐的な考えが頭に浮かび、初めから井村さんと仲良くなろうなんて考えなければよかった、と思った。もう俺は誰かを好きになったりしない。自分が傷つくだけだから……
「カゲ、お前にお客さんだ」
ホールから戻ってくるなり、チーフが言った。
俺は前掛けをはずして、ホールに出た。客席で手を振る女性がいた。
「あの人だ」
俺はその女性の向かいの席についた。
「どうしたんですか、橋口さん」
「しっ…… その名前は言わないで」
「……」
橋口さんは、トレンチコートを席の背もたれに掛けていて、大きな胸をテーブルに載せるような格好で、俺に手招きした。椅子に座り直して、俺も橋口さんに顔を近づけるように体を寄せる。
「(例の降霊師と降霊を依頼した男の情報)」
「(えっ、どうしてそんなこと俺に?)」
「(そこ、そこに入った)」
橋口さんの視線の先だとすれば、VIPルームだ。
「(えっ、どうすればいいんです?)」
「(GLPで……)」
「キャァー」
VIPルームからの声だ。
ホールの女の子がVIPから出てくる。
チーフが目立たないように慌てて移動するのが見える。
「(ほら、早く、あの光の壁)」
「助逃壁」
竜頭を回してセットする、チーフがVIPルームの扉をスッと開けて中を覗き込んでいる。
「いいから早く撃て!」
橋口さんが俺の頭を叩く、そのまま竜頭を押し込むと、光の壁が飛び出し、VIPルームの方へ大きくなりながら進んでいく。ホールにいる多くはない客は、俺と橋口さんが立ち上がっているのを見るだけで『助逃壁』をみようとしない。
「(はしぐちさん、もしかして、『助逃壁』って霊感のない人には見えないんですか?)」
「(みえないでしょうね)」
橋口さんは、椅子に掛けてあったトレンチコートに袖を通すとVIPルームの方へ近づく。
チーフは中の様子を確認するために入ってしまう。
「チーフ!」




