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「影山くん! 危ないんだケド!」
橋口さんが上から飛び降りてきた。
「えっ、どこから?」
そう思うと、上下レザーの男が飛び上がって、黒王号の上にいる俺の高さまで上がってくる。
拳が打ち込まれる寸前、橋口さんが投げたコートが上下レザーの男に絡みつく。
「うぉっ!」
上下レザーの男は顔をトレンチコートにくるまれて、道でのたうちまわっている。
橋口さんは九字を切る。冴島さんがやっているところを見たことはあるが、橋口さんもするんだ、と俺は思った。
「えいっ!」
橋口さんの手刀が振り下ろされると、バタバタと動いていたレザーの男の動きが止まった。
光の粒が、パッと飛び散るように見えた。
「橋口さん」
警察官が拳銃を向けながら近づいてくる。
「もう大丈夫。除霊は済んだわ。殺人容疑で取り押さえて」
銃をしまうと、警官は一斉に飛びかかった。
橋口さんは俺に近づいてくる。
「で、あんたはなにしてるのかな?」
「えっと…… この馬、黒王号っていうらしくて」
俺はなんとなく腕の方を見た。
「ああ、GLPから出したってわけね? 選ぶにしても最悪のを選んだわね」
確かに高いし、下りたくても下りれない。
「どういうことですか?」
「普通の霊なら、この馬の力で蹴散らしたり、追いかけたり、逃げたりできたでしょうけど」
俺も実際のところ、そのつもりで呼び出していた。
「相手はケンシロウよ。つまりあなたはラオウ。黒王号ではケンシロウを蹴散らすことも出来ないし、ましてや逃げるなんて選択肢はないのよ」
「い、意味がわかりませんが」
「……はあ。まあ良いわ。上下レザーの男には注意するのね」
橋口さんは踵を返して、後ろ姿のまま手を振った。
「あっ、えっと……」
俺は…… どうしよう。下りたとして、この馬は消えるまでどこかにつなげておくべきなんだろうか。
通行人の何人かがスマフォのカメラを向けて写真を取り始めた。
撮るなと怒るわけにもいかず、曖昧な笑いで返していると、撮る人たちが増えていく。
「これ、いつ消えるんだろう……」
とりあえず『鉄龍』と同じように霊力を使い果たせば消えるだろう。
そう思い、俺は馬を走らせることにした。
店に戻ると、店長から怒りをぶつけられた。
「なんでいなくなったんだ。そして、行ったっきりずっと帰ってこない。外には殺人犯。死んだかと思ったよ。そして、この食器や皿を見たまえ。君が怠った仕事の結果だ」
俺は必死に食洗機を使いながら仕事を進めた。
汚れが軽いものは、直接手洗いした。
結局、あの馬はちょっと走るどころでは使いきれないぐらいの霊力をもっていたのだ。
店の前の通りでは全く話にならなかった。だから車道に出て、自動車の後をついて行ったのだから、きっと六十キロ近くでていたろう。それくらいの速度で走り回って、一時間近くを費やした。自動車やバイクでの六十キロとは違い、初めての乗馬での六十キロは、生きた心地がしなかった。
店に戻ってきた時は、桶には食器が山となっていて、店長はこんな感じだった。
「すみませんでした」
「井村くんが無事だったのは幸いだった。だが、君が働いていない一時間近くの間の賃金と罰金を給料から差っ引かせてもらうよ」
しつこい。これで十二、三度目ぐらいだろうか。店長はひたすら回数が多いとは聞いていた。逆にチーフの説教は、相当胆を冷やす代わりに回数がすくないらしい。もしかしたら、チーフの方が…… いや、どっちらもあまり変わらないか。
「聞いているか?」
「は、はい。すみません」
「急いで食器をそろえて。井村君のせいか店はかなり混んできている」
「え、また外の掃除をさせてるんですか?」
この店では新入りの女の子に、わざと外の掃除させ、気を引かせて客を呼び込んでいる。
掃除といっても、本当に汚れを落とすようなことではない。
本日のメニューを書いた置き看板と、自動ドアのガラスを軽くふく程度。
女の子の制服と、そのしぐさをアピールするのが目的なのだ。
「ほら、料理出来たからプレート頂戴」
乾燥が終わったプレートを素早く差し出す。
「カップとソーサーも」
「はい」
大体、他人が少なすぎるのだ。今日一日、朝から夜まで俺が入らなければ店は回らない。
なのにも関わらずこの皿洗いに対して、店内のリスペクトはゼロだ。
そりゃ、次から次に辞めていくだろう。無理もない。
そんな風に、へとへとになりながらも、俺は仕事を終えた。
後は店内の清掃をすれば上がり、というところで、店長が俺に言った。
「いや、今日は本当にありがとう。井村君が助かったのもそうだし、なにより今日君が入ってくれたおかげで、食器が早く準備出来て、いつもより客を回すとことが出来た。本当にありがとう」
「は、はい。どういたしまして」
なんだろう、俺の心の声が聞こえたのだろうか。
俺がいなければ回らない、ということを理解したような店長の発言だった。
「もう少しだから頑張って店内の掃除をしてもらえるかな」
「はい」
俺は店内の掃除を始めた。
店内の椅子やテーブルをすべて綺麗にし終えると、俺は厨房に戻った。
前掛けを自分のところに引っかけて、厨房のゴミをまとめると店長に挨拶した。
「今日は、これであがります。お疲れさまでした」
「ああ、ありがとう。明日は午後からだったかな?」
店を出よう、解放される、と思った瞬間、頭をハンマーで叩かれたような感覚になった。
「……俺、明日シフトは入っていないはずですが」
店長は何かノートを広げてみている。
「大学の授業は午前中だときいていたから、入れると思って組んでしまったよ。お願いだ、入れないか?」
そういえば時間割りを提出させられた。取っている授業にマーキングさせた上でだ。
「えっと……」
「決まりだな。頼んだよ。お疲れさま」
俺が何か言い訳を言い出さないうちに帰らせ、シフトを確定しようということのようだ。
店長に押し出されるように店を出て、明日の午後のバイトが確定した。
「……はあ。ブラックにもほどが」
ビルのゴミ集積所に両手のゴミを叩きこむと、俺はビルを出た。駅の改札につくと、女の子がこっちをみているのに気付いた。
「あっ、井村さん」
「影山さん、待ってたの」
「えっ? 俺を」
井村さんがうなずく。
俺は除霊事務所のバイトを初めてから、何度も来たと思ったモテ期が、こんどこそ本当に来たのかも知れない。そう思ったが、過去の経験から疑り深くなっていた。




