(57)
「もちろんです」
橋口かんなは警部とパトカーにのり、殺人現場のある通りにつく。
「犯人らしい人物が逃げているのね」
「向こうのビルの上に」
「じゃあ、私たちはこっちのビルから行きましょう」
「橋口さん、ここでは遠すぎませんか?」
橋口はビルの上を眺め、言った。
「大丈夫。ここの方が見通しがいいから」
警部は意図を理解したように、他の警官は別のビルの屋上に向かわせ、自らは橋口と一緒のビルに入る。
屋上の鍵を預かって、外に出る。
周囲のビルがほとんど見下ろせる位置に出た。
橋口が手すりまで進み出ると、周囲のビルの屋上を眺める。
「あそこが発見したビルね?」
警部はタブレットで地図を見ながら言う。
「そうですね」
橋口はビルの屋上をじっと見つめている。
何かを投げるように手を軽く振る。
警部には何も見えない。
「あの、何か投げた、んですか?」
「しっ……」
橋口は口に指をつけて黙るような仕草をする。
警部も橋口が見ている方をながめるが、なにも見えてこない。
「警部。あそこ、三つめのあのビルの屋上」
「はい」
警部はすぐに無線を使ってビルを指示する。
「それと、周囲に逃げれないように周囲のビルの屋上にも」
「はい」
同じように素早く人員をコントロールする。
「橋口さんはどうしますか?」
橋口は、手すりを飛びこして、ビルの縁に立った。
「橋口さん?」
トレンチコートを両手でもって掲げ、橋口は目的のビルへ飛び出した。
「!」
警部がみると、橋口はトレンチコートをパラグライダーのように使って、下のビルの屋上へ滑空していた。
警部は無言のまま無線のやり取りに戻った。
「どうした、まだ休憩が終わるには早いぞ」
「殺人犯がこのビルに……」
「えっ、どういうことだ」
すると外にサイレンの音がして止まった。パトカーが来たのだろう。
「ん、なんだ」
店長が言う。
「さっき警官がパトカー呼んでました」
「ちょっとまて、本当なのか?」
俺はうなずいた。
店長は慌てて店に入って、店の女子店員を集め、説明する。
「今、非常事態が発生した。殺人犯がビルの周囲にいるらしい。下手に逃げるよりはここにいた方が安全だ。店の外の掃除はいいからな」
『はい』
全員の綺麗な声が返ってくる。
俺はGLPを確認する。まだ『助逃壁』は復活していない。他のやり方を知っているのは『鉄龍』しかなく、果たして、さっきの拳法使いのような奴に通用するかどうか不安だった。
何も考えずに竜頭をクルクルと回していく。
連動して変わっていく画面を見ていると、早すぎて見えなはずの文字が頭に浮かんだ。なんどか進めたり戻したりするうちにその文字で画面を止めた。
『黒王号』と書かれていた。
「こくおうごう……」
店長がGLPを覗き込んで、言った。
「ん、こくおうごうだろ? 確かものすごい大きい馬じゃなかったかな。乗っている奴がちょーつええんだ」
「店長、中国語得意なんですか?」
店長が興味を持ったようで俺のGLPを触ってくる。竜頭をクルクル回したり、画面をタップしてきたりする。
「ん〜 見た感じ、これ、中国語じゃねーんじゃねぇかな」
「えっ……」
GLPが中国製、ということで俺はこの画面の言語は中国語だと決めつけていた。
「中国語じゃないんだ……」
「確かに漢字がやたら多いがな」
俺はその『黒王号』というのがやけに気になっていた。すごい大きい馬なら、逃げるにも追いかけるにも都合が良さそうだ。なんなら『助逃壁』の代わりに壁となってもらってもいい。
「店長! 井村さんがまだ外でした」
「何!」
店長は慌ててレジのところへ行く。俺もこっそりと後ろをついていく。
昨日入ったばかりの井村さんが、外の看板を拭いている。
「なんか様子が変だ!」
店の前に止まったパトカーを盾にするように警官が銃を抜いた。
「井村さん……」
俺は何も考えずに店の入口から外に出ていた。
警官が銃を向けた先にさっきの上下レザーの男がいた。
井村さんは何も見えてないのか、看板を拭いている。
「そんなに足を伸ばしたまま身体を曲げると…… パンツが見えちゃう」
いや、そんなことを考えている場合ではない。助けないと。
独り言のせいで警官の一人が俺に気づいたようだった。
「キミ、下がって」
「あれウチの店員なんです」
俺は警官の制止を振り切ってパトカーの前に出た。
そうして、急いで井村さんの手を引く。
上下レザーの男、つまり殺人犯に聞こえないように、小さい声で言う。
「(危ないよ! 早く店に入って)」
ようやく周りをみて状況が飲み込めたようだった。
「(影山さんはどうするの、ほら、一緒に……)」
井村さんが手を引くが、それを振りほどく。
「(大丈夫、俺は大丈夫だから)」
井村さんが店に駆け込むのを見て、俺も店からの死角へはいる。そして、GLPの竜頭を押し込む。
「いでよ『黒王号』!」
俺の足元から、真っ黒い馬が浮かび上がってくる。
そのまま俺を背に乗せ、『黒王号』が現れた。
かなり、高い。
「えっ……」
犯人が、こっちを向いた。
「ラオウ……」
俺はラオウ、と言われて身体のなかのスイッチが入ったようだった。
「お前が見たのは死兆星。俺と戦う運命だったのだ」
自分で言っている、その言葉の意味がわからなかった。




