(56)
昼の混雑が過ぎ、一通り食器を洗い終えた。十五時以降の混雑の前に、俺は休憩をもらった。
「休憩に行く途中で、ゴミ出ししてよ」
店長もチーフ同様に容赦なかった。
俺は前掛けを外してから、ゴミの袋を抱えて廊下にでて、集積所に突っ込んだ。
「ふぅ……」
しばらくの休憩時間だ。ため息をついた瞬間、スマフォにメールが入った。
「冴島さんだ」
俺はスマフォを開けてメールを読む。
橋口さんからの情報で、殺人犯はまだそこらへんにいるから注意して、まあ出来ないだろうけど、何なら捕まえちゃって、という内容だった。
「はぁ……」
別のため息をついてしまった。
と同時に、俺は廊下の様子が変なことに気が付いた。そう思うと、GLPのあたりも何か変な感じがする。
変に歩き回らず、この違和感はなんだろう、と意識を集中させる。
影だ。自分の影。廊下の影が何か変なのだ。ということは……
俺はゆっくりと廊下の天井を見た。正面側には何もない。ということは、後ろ。
からだをひねりながら、後ろを向く。
「ほあたあ!」
ほあたあ? 同時に何かが天井から降ってきた。避けるようにバックステップする。
「あんた誰?」
あんた誰、というか、黒レザーの袖なしジャケットに、黒レザーのパンツ。
上腕は盛り上がっていて、ジャケットの間から見える裸の胸には、やけどのようなものが七つついている。
まさか、おまえはもう死んでいる、とか言わないだろうな。
「違う! そうだ。朝、店長が見せてくれた、殺人犯!?」
言いながら俺は左右に体を振りながら廊下を後ずさりする。
上下レザーの男は、ニヤリと笑いながら追いかけてくる。
「追いつかれる……」
やれること、やれることと言えば……
GLPの竜頭を回して『助逃壁』に合わせて、竜頭を押し込んだ。
「頼む!」
GLPから放たれた光の壁が廊下いっぱいに広がり、上下レザーの男は光る壁をみるなり、踵を返して逃げ出した。
「えっ?」
どう見ても人の姿だったが、光る壁を怖がるように逃げた。この光る壁の意味に気づき、逃げたのだとすると、上下レザーの男は人間ではないのか。
男は『助逃壁』の進むスピードより早く廊下を戻り、曲がり角をまがる。
この壁が直進するなら、壁が通りすぎた後、あの曲がり角からこっちに戻ってくるに違いない。
俺は『助逃壁』の進行方向とは逆、ビルから出る方向へ廊下を走った。
ビルから出て、人通りが多い場所に出れば、さっきの男とて、そう簡単に殺しに来ないだろう。今朝殺人があったばかりだし、もしかしたら警察が巡回しているかも知れない。
ビルを飛び出るとあたりを確認した。
警察…… 警察の人……
そして出てきたビルの出入り口から、中をのぞき込む。上下レザーの男が出てくる様子はない。
「どうしよう……」
このままじゃ、バイトに戻れない。運よくバイトに戻れても、ゴミ捨てに行く度に警戒する必要がある。
どうしよう、とにかく警察を呼ぼう。そして警察の人と、一緒にこのビルを探せば、すくなくともしばらくの間の安全は確保される。
俺はビルを離れて、交番に駆け込んだ。
「あの、上下レザーの怪しい男に追いかけられました」
「!」
その単語にピンと来たのか、警察官はすぐに外に出てきた。
「その男は今どこに」
「こっちのビルの廊下、だと思うんです」
俺は警察官と一緒にビルへ戻る。
「ここです」
中の様子を確認しながら、そっと扉を開けてビルに入る。
ビルに入るなり、警察官はためらいもなく銃を抜いた。
「あなたは下がって」
俺は警官の後ろについた。
ずっと奥へ進んでいく。例の曲がり角につく。
「どっちですか?」
警官は前方を警戒したまま言った。
「俺がいた時は、右側にいました」
『助逃壁』を裂けるためにそこを曲がって行った。間違いない。
警官は直進方向も警戒しながら、右側の通路を警戒する。
「この先はどうなっているか分かりますか?」
「こっちは店の厨房に……」
えっ? まさか…… バイト先の店に入られた?
「!」
俺は何かを感じて腰を落とした。
ガツン、と壁が叩かれた。そこには何者かの拳がめり込んでいた。割れたコンクリートが崩れた。
「ほう…… よく避けたな」
警察官が俺の方を振り返って、迷わず引き金を引く。
「フン」
と声がした。
俺はしゃがんだ状態から、上体をひねって後ろを見る。そこにいたのは、上下レザーの男だった。
男は左の人差し指と中指で、警官の放った銃弾を挟んで止めている。
「信じられん……」
再び警官の手から火花が見えると、レザーの男は上体を振ってそれを避けた。
三発目が発射される前に、レザーの男は廊下を走って逃げていく。
銃を持つ手を伸ばしたまま、警官が追う。
俺は足が恐怖に震えながらも立ち上げると、警官の後を追った。
警官は足音を追って階段を登っていく。
俺が追いかけていくと、警官が止めた。
「こっちに来てはダメです。あなたは安全なところへ」
警官は持っている無線機で他の警官の応援を呼んでいる様子だった。
「本当に戻ってください。安全な場所に」
「はい」
俺は諦めて階段を下りた。
「安全な場所って……」
店の厨房へ入る扉は暗証番号が必要だから少しは安全だ。
時間的には休憩時間ではあったが、俺は店に戻ることにした。
交番の警官から緊急連絡が入ったらしく、周りがあわただしく動き出していた。
「橋口さん、一緒に来てもらえますか」




