(5)
「は、はい」
「影山さん? 理解した? すごい適当な返事に聞こえるけど」
「カードを作るんですよね。カードは重要で、なくしてはいけないんですね」
目つきは怒っているようなのに、口元だけニヤリと歪んだ。
「まあ、そうだ。現場は安全第一だ。カードと一緒に渡される安全上の注意事項を守るように、そしてあそこのプレハブ内の掲示板…… みえるだろう?」
確かに入り口のすぐ見えるところに何かマジックで書いてある。
「掲示板には新しい注意事項や運用が変わった点が書いてある。渡された注意事項より優先する事項になる。絶対厳守だ。いいかね。あんたが万一事故をしたらものすごい請求が『あんたの警備会社』にいくことになるんだよ」
「ものすごいって、どれくらい?」
「何千万とか、億の単位だ」
「えっ?」
「通常、その金額は払えない。警備会社側次第では、あんた自身に請求がかかる場合もあるだろう」
「はあ」
口元の笑みも消えた。
「あんた自身は怪我をしたり死んだりしているのに、さらに追い打ちをかけるように賠償金の請求があんたにかかる。バカバカしいだろうが、事実はそう言うもんだよ。わかったね」
「はい。安全第一で行動します」
「よろしくお願いするね」
そう言ったと思ったら、監督は踵を返してビル側へスタスタと戻って行ってしまった。
本当にそんなことあり得るのだろうか。下請けいじめにもほどがある。法律に引っかかるのでは無いか。俺はそう思いながら、去って行ったほうを見つめていた。
「ほら、カード作るよ?」
プレハブ側から声がした。
振り返ると、黒いセルロイドの蓋が太いメガネをかけた女性が扉を開けて俺を見ていた。
「今日から警備のバイトなんでしょ?」
「……はい」
「カードを作るから、早く入りなさい」
女性が扉を放して中に戻るのに間に合うように、慌てて中に入る。
「影山醍醐さんね」
メガネの女性は言いながら、チャカチャカ、とキーボードを打つ。俺は胸元のふくらみ…… ではなく、胸元に下げられているIDカードを確認した。そこには『斎藤ゆうこ』と書かれている。
「斎藤さん?」
「……」
いきなりIDカードを見て読み上げてくる男に、そのメガネの女性の警戒心が働いたようだった。斎藤さんは顔を上げて、俺を睨むように見てきた。
「……何でしょう?」
「ごめんなさい。なんでもないです」
斎藤さんの手が止まると、机の引き出しからカメラを取り出した。
「影山さんはそちらに立ってください。カード用に写真を撮りますから」
「はい」
そちら、と言われたプレハブの壁は、一部白く塗られていた。
「床にマークがあるでしょ? そこに立って」
小さなモーター音がするとカメラのレンズが動いた。ピッといって止まったかと思うと、パッとフラッシュが光り、斎藤さんはまた机に戻ってカメラをつなぎ、キーボードを打ち始めた。ターン、と軽快な音がして打ち終わると、横のプリンタの排気音が始まった。排気音が止むと、排出口から小さなカードが出てきた。さっきとった俺の顔写真が入っている。
斎藤さんが手にとると、『プッ』と笑った。
俺が手を伸ばすとそっとカードを手渡してくれた。慌てて写真をのぞき込むと、カードに印刷された俺の間抜けな顔が確認できた。
「斎藤さんの悪意を感じます……」
すると斎藤さんは俺を指さして爆笑していた。
「ごめんごめん、カメラの画面が小さいから印刷するまで分からないの。後、印刷したらやり直しできないのよね。大丈夫。IDカードの写真なんてみんなそんなもんだから」
笑い足りないという感じで、ニコニコしながらこっちを見ている。
と思うと、急に表情が変わって、ビルに向かって指をさした。
「はい。仕事しなさい」
斎藤さんの急変した態度に戸惑いながら、俺はカードを持ってビルへ向かった。
ビルの通用口につくと、俺はカードを見せて名前を名乗った。
警備員の背服を来て座っていたおじさんが、メガネをずらして俺を見て、またメガネをかけると手元の書類を見た。
「ああ、今日から入るバイトの…… 醍醐くん?」
「はい」
俺は少し笑顔を作った。
「こっちから入りなさい」
言われた扉から警備室に入ると、入り口のおじさんは部屋の奥へ声をかける。
「醍醐くんきたよ。中島くん、ちょっと教えてあげて」
「了解」
「ちょっとここで待ってて」
そう言うとおじさんはさっき座っていた席に戻った。
奥から同じ警備員の制服を着た、中島さんらしき人が出てきて、俺と一瞬目を合わせると、すぐに視線をそらした。
「こっちきな」
「中島さんですか?」
うなずいたか、と思うとすぐ来た方へ戻っていく。俺は中島さんについて行くと、奥にもう一つ部屋があった。
部屋は畳をしいた部分に布団がしいてあり、壁沿いにロッカーが並んでいた。
中島さんが、トントン、とロッカーを叩くと俺はそこを見た。名前のところに『影山醍醐』と書いてある。どうやら俺のロッカーらしい。
「開けてみ」
言われるまま開けてみると、そこに制服が入っていた。
「とりあえず着替えちゃって。けど、今日は一通り説明したら一度帰って、夜からの勤務だから」
俺は制服に着替え始めると、中島さんは布団の上に寝転がった。
「ここ呪われてるけど、大丈夫か?」
「えっ? 本当ですか?」
「知らないわけないよな。面接の時、ウチの社長に言われたもん」
俺は面接していない。おそらく松岡さんが代わりに受けたとか、面接なしで採用してもらうように手を回したのだろう。だが、そんなことは言ってはいけない。俺は忘れたふりをした。
「聞いたかもしれないけど…… 忘れちゃいました。どんな呪いですか。教えてください」
「忘れたって? マジかよ。ずいぶん胆が据わっているな。じゃあ、教えてやるよ。このビル、もう何か月も内装が完成しねぇんだよ。もう、これは呪いじゃねーか、ってな。しょっちゅう内装業者が怪我するしよ。あるときは内装請け負ってた会社が倒産したし、作業者は相変わらず怪我したりして、内装がいつまでたっても終わらないんだ。現場監督が情緒不安定になっちまってさ。ここで作業するとき、初めにお前も会ったろう?」
「ああ、現場監督さん。そう言えば、なんかヒステリックな感じしました」
中島さんは、伸びをして、大きなあくびをした。
「そうだろう。俺は、ビルじゃなくて、あの人が呪われてるんだ、と思うんだ」
俺はネクタイを調節して、上着を羽織った。そして中島さんを振り返って言った。
「中島さんはどうしてそう思うんですか?」
「あの人の目の前でそういう出来事が起きるからだよ。作業者の怪我は尋常じゃない数発生していて、それってあの監督の目の前で起きたんだぜ」