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考える前にそう口にしていた。
俺は何か忘れている。あそこに住んでいた理由があったはずだ。
「なに? 忘れ物なら明日にしなさいよ」
「違うんです、このニュース」
「コンビニ立てこもり事件?」
冴島さんがディスプレイを指さす。俺はうなずいた。
「影山くんのせいだとか?」
「そうだとは言い切れないんですが、そんな気がするんです」
冴島さんは顎に指をあてて何か考えている。
「ここに入って一時間弱。荷物を移動してからとしても四時間弱だわ。たったそれだけの時間で何かが変わった、と判断するには短すぎる。大体、なにをしていたっていうの」
「記憶が出てこないから…… けど、何かがあるんです。俺の役目があるはずなんです。あそこに居なきゃいけない理由が……」
思い出せないと話にならない。
思い出そうとしても目を閉じてバットを振るぐらい空しい。探そうとしてる意志だけが空回りしている。
「……この前の機械、もう一度乗る気ある?」
中島さんがソファーから立ち上がった。
俺がうなずくと、中島さんが言った。
「すぐ手配します」
「お願い。じゃあ、これから除霊事務所に行くわよ」
中島さんが二階に消えていき、冴島さんが電話をかけた。
三分ほどして外に出ると、松岡さんが車を回して待っていた。
「お嬢様、こちらに」
「自分で締めるから早く車を出して」
松岡さんは驚きもせずに運転席に乗り込む。俺も慌てて助手席に飛び込む。
墓地の周りを走ってから、大きな通りにでると、坂を下るトンネルに入った。
トンネルを出ると、にぎやかな街に出た。すぐの信号を曲がり、地下駐車場へと入って行く。
エレベータ口で俺と冴島さんが降りる。
冴島さんがエレベータにカードをかざすと、エレベータの呼び出しボタンが赤く高速点滅した。
「なんですか、今の?」
「普通はこのエレベータからは除霊事務所へのエレベータは使えないの。それを臨時につかえるようにしたってだけ」
エレベータにのり除霊事務所に付くと、所長室に入った。
「玲香ちゃんが来る前に、あなたの中身を見やすいように準備をしておくわ。そこに座って」
俺はソファーに座った。
「目をつぶって。何があっても開けろ、というまで目を開けないのよ」
冴島さんは手をかざすようにして言う。しかし、そこに強制されているような力はなかった。
「はい」
そう言って目を閉じると、何かが近づいてくるのを感じた。顔の前に何か来ている。
かすかに呼吸音がする。まさか…… いや、目は開けれない。
「!」
唇に柔らかいものがあたる。しばらくすると、フッと消えるように離れていく。
この感触は冴島さんのアレに間違いないだろう。しかし、確認することは許されない。
ギャグ漫画でありがちなネタとしてこれは、松岡さんのアレ、かもしれない。
しかしとてもいい匂いだ。俺と冴島さん以外にこの所長室に入ってきたとも思えない。とすれば結論として、冴島さんの……
「はい、目を開けて」
俺の間近に冴島さんの顔があった。冴島さんの綺麗な瞳の中に、俺が映っている。
本当に、この唇が、俺の……
「少し寝ててもらうわよ」
言われた時には、すでに瞼が重くなっていた。
サングラスをかけた男が、暗い部屋でタバコを咥えている。
タバコの炎は、吸うたびに明るく光るだけで全く燃え進まない。部屋の扉が開くと、ショートボブにつややかで真っ赤な口紅をつけた女性が入ってくる。
「また失敗したな」
「……」
女性は何も言わずに頭を下げる。
「しかし、事態は動き出した」
「?」
「わからんのか。それと、その男がキーではないことも明確になった」
女は口を尖らせて何か言いかけた。
「キーとなるのはもうひとりの影山だ。俺もまだ見たことはないが」
「もうひとりの影山?」
「ああ。まあ、それに気づけたのはお前のおかげだよ」
タバコを咥えて、大きく吸い込んだ。しかし炎は進まない。
ふぅ、と大きく吐き出すと、女は軽く咳き込んでしまう。
男は突然口が緩むと、笑い始める。
「ハッハッハ…… このことは冴島も気づいていまい。準備しろ」
「はい」
女は業務用の大型の掃除機のようなものを引っ張り出す。
男は真っ黒な薄手のコートを引っ掛けると部屋を後にした。
「待て。俺の車で行くぞ」
女は緊張した面持ちになったが、うなずいた。
エレベータで地下まで降り、駐車場を歩くと、黒いスポーツタイプの車の前に止まった。
黒と言っても光を映すようなツヤはなかった。漆黒の車。早く走るために飾りを取り去って出来たくさび形。
男が小さなスペースに女の持ってきた掃除機を入れる。
女は車のドアの開け方が分からない。サングラスの男が後ろに回って、指先で軽くドアを開ける。
寝そべるような恰好のシートに座るが、女はシートベルトの付け方も分からない。
「キャッ」
男は女の股間に手を入れたかと思うと、直後にカチッと音がしてシートベルトが固定された。
男の表情は分からなかったが、女は男の機嫌がいいことが分かった。
イグニッションを回すと、地下の空間に爆発的なエンジン音が響き渡った。
「!」
「……起きたわね」
どうやら俺はソファーに寝かされていたようで、俺の横の椅子に中島さんが座っていた。そこで中島さんも寝ていたようだった。
「どう…… でした?」
「分からない。あの屋敷のことは一切出てこなかったの。一つ明らかな映像があって、今冴島さんがいろいろ当たっているところ」
中島さんがタブレットを操作して、俺の方へ向けた。
「唯一取り出せた映像はこのお婆さん。知ってる?」
そこには白髪をカラフルに染め上げ、大きめのメガネをして微笑んでいる老婆が映っていた。記憶がある、と言えばある。どこで見たとか、これが誰だ、とか言われるとまったく引っかかるところがない。
「知ってはいるんですが、誰だとかどこであったとか、俺との関係とか……」
「……やっぱりそうなのね」
中島さんはがっかりしたようにスマフォを操作し始めた。
「冴島さんが言っていた通りだった」
「すみません」
「あやまることはないわ。予想通りだったんだから」
スマフォを操作し終わると、中島さんは言った。
「テレビでもみる?」
俺は上体を起こしてソファーに座り直した。




