(4)
老人がバックから契約書を取り出して、俺に向かって広げて見せた。
今年が17年で契約の期限は…… 20年?
「さ、三年後……」
「大丈夫。三年なんてあっという間だから」
松岡さんが契約書をしまうと、何やら別の書類を持ってきた。
「これが明日から働いてもらうビルの警備の仕事の資料になります」
「本名で登録してあるから、明日からこのビルの警備のバイトをお願いね。霊が乗り移っている人物を見つけたら、私に連絡して。連絡先は」
「ちょっとまって、本名はさっき伝えたばかりじゃ…… まさか面接に来る前から何か仕掛……」
冴島さんは自分の口の前に人差し指を立てて見せつつ、慣れた手つきで二つ折りのガラケーを開いた。
カチャっと機械的な音が聞こえ、俺の方に画面を向ける。
「この番号に連絡頂戴」
「が、ガラケー? 連絡って、通話ですか。メールとか、メッセージじゃだめですか?」
冴島さんは怒ったような表情をして言った。
「ガラケーってバカにして。理由を教えてあげましょうか。スマフォの多くは静電容量タッチ式。それは、低級の霊でも操作可能なの。まあ、もちろん、上級の霊なら物理キーでも操作可能だけどね。けど、除霊士たるもの、そんな低級霊にすら触れる、不確定な機械を連絡手段に使うことは出来ないって訳」
「へぇ…… そんな事情があるんですね」
もう一度、画面をこちらに向けた。
「とにかく番号を控えて」
俺がスマフォで記録すると、冴島さんはバックから別のものを取り出した。
それは竜頭のついた時計に見えた。
「時計ですか」
冴島さんは首を振る。
「これ、かなり高額なアイテムだから、本当にヤバい! って時だけ使うように」
俺が手を伸ばそうとすると、パッと上に引き上げた。
「ちょっと。まずは返事から。本当にヤバい! って時だけつかうように」
「はい」
俺はようやくその時計を渡された。
時計のようだが、文字盤があるべきところは真っ黒で何も表示されていない。
そこに軽く触れると、そこに漢字でメッセージが現れた。
「あ、こっちは静電タッチの機械じゃないですか。あのスマフォメーカーの時計型ガジェットですね?」
「違うわ。お助け霊を呼び出すGLPというものよ。竜頭を回してみて」
竜頭を回すのに合わせ、表示されていた漢字のメッセージがクルクルと変わっていく。
「……全部漢字ですね」
「中国製だから」
「で、どうつかうんです?」
冴島さんは俺の方に近づいて、画面をのぞき込んできた。さらに竜頭に手をかけ、何回か送ったり、戻したりした。
「う~ん。いいのが見つからないから、今日はやって見せないけど、呼び出したいお助け霊の表示になったら、竜頭を押し込むのよ。いい、今やったら絶対だめよ。仕込まれている霊はどれも高価な霊で、呼び出すと必ず呼び出した者を助けてくれる。さっきも言った通り、本当にヤバい時だけつかうの」
本当はこの漢字の意味がわからないのでは? と言いかけたが、そこは耐えた。
「……はい」
冴島さんに、俺の命と金とどっちが大切か、と訊きたかったが、おそらく答えは決まっている。
冴島さんの様子から判断して、俺の身を守ってくれるのはこの○ップルウォッチもどきだけになる。いざ、という時に使えるように、表示されている漢字の読みを調べ、覚えておくべきだ、と思った。
俺は黙ってその腕時計型のGLPという道具を腕に付けた。
○ップルウォッチもどきをつけると、漢字の表示が時計の表示になった。
冴島さんは、大きなあくびをした。
「じゃ。そういうことで。明日は早いからすぐに家に帰って寝ることね」
俺は、思わずGLPを見た。
「えっ? もうこんな時間じゃないですか。冴島さん、俺をここに泊めてくれるとかはないんですか?」
キッと俺を睨んでくる。
「それセクハラ。セクハラで訴えるわよ。慰謝料請求するわよ」
「じょ、冗談です」
「冗談でも同じよ」
急に俺との距離をとった。ああ、何か急に距離が縮まるわけないか、と俺は思った。
「すみません。帰ります」
頭を下げて、部屋を出ようとした。
「まちなさい。送っていくよ」
松岡さんがそう言って俺を追ってきた。
ホテルの駐車場に一緒に行って、車に乗せてもらう。
道が空いているのか、松岡さんの運転がうまいのか、いつのまにか俺の家の前についていた。
「ありがとうございました」
俺は自宅前の道で降ろしてもらった。
去り際に、車のウインドウを下げて、松岡さんが言った。
反対側の家を指さしている。
「こっちの家、見覚えが……」
俺は口に指を当てて、言った。
「俺もそっちの家、なんかあった気がするんですよね。実は。けど、俺、一年より前の記憶ないんです」
「……」
松岡さんは何かメモを取っているようだった。俺はそれを待たずに言った。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい。明日から頼んだよ」
松岡さんは静かにウィンドウをしめて、真剣な表情をつくった。
「はい」
俺の返事が聞こえたか聞こえないかのタイミングで、車は静かに加速し、去っていった。
よく朝、俺は警備会社にはいってレクチャーを受けた。その後、お昼ご飯を食べ、今日からバイトをするビルの建設現場に行った。
入り口に立っている警備の人に聞くと、それなら中のプレハブで待っていろ、監督を呼んでおくから、と言われた。俺は中に入って、奥にあるらしいプレハブ小屋を目指した。
見上げると、ビル自体はほぼ完成していた。全面ガラス張りの外側から見る限りは、例えば天井がまだついていない。完成していない、というのはおそらく内装なのだ。俺は言われた通りに入っていき、プレハブ小屋の前で、監督と呼ばれる人物を待っていた。
建設中のビルから何人かヘルメットをした人物がやってきたので、会釈をするとその人たちは無言でプレハブ小屋へ入っていった。
「……」
建設会社の名前が入ったヘルメットをしていたが、監督ではなかったようだ。
「君」
背中を急に叩かれ、俺は振り返った。
同じようなヘルメットをした少し背の低い男が立っていた。
イライラしているような表情というか、怒っているような目つきをしている。
「警備のバイトだね」
「はい。影山醍醐です」
名前を言うと持っていた書類を広げ、リストをチェックしていた。
「はい、影山さん。説明するね。プレハブ内で登録して、カードを作って。建築現場では通行にカードが必須だからなくさないように。なくしたら再発行が必要になって、バイト代から一万円差し引くから。ああ、言っておくけど、差し引くのはあんたんところの警備会社から差し引く代金ね。警備会社が、実際に、あんたのバイト代からいくら差し引くかは知らない。それだけ。警備の仕事のことは、警備の人に聞いて。こっちから言うことは一つ。こっちの知らないところでビルが傷ついたり、破損したり、モノが紛失したら会社の方へ請求するから。そのつもりで」
すごい早口でそれらを捲し立てられ、半ば聞こえていなかった。