(36)
「……遠慮しとく」
中島さんはスマフォを操作して、急に呼び出し音が聞こえてきた。
「誰にかけ……」
口の前に指をあてた。
「しっ」
中島さんがスマフォを耳に当てた。
「中島です…… 入ってみたんです…… 霊が大量で…… けど、結局、彼は何も思い出していないんです…… 今、彼の家に避難してます…… 大丈夫ですよ。間違いなんか起こしませんから…… えっ、あの…… 来ない方がいいと思いますよ。めっちゃ狭い…… だから、大丈夫。あっ、切れた」
「なんです、その会話」
「所長がここくるって」
「えっ、入れないですよ」
俺は周りを見回した。縦に座れるが、座れるというだけだ。何しに来るというのだ。
「そう言ったんだけどね」
コンコン、と扉を叩かれた。
「えっ、もう来たんですか?」
「そんなワケないでしょ」
そう言って中島さんは笑った。俺は立ち上がって玄関へ移動した。
扉の外に、屋敷から流れてきた霊がいるかもしれない。俺は覗いて扉の外を確認した。
扉の外には、小柄な女性が立っている。
つやのある真っ赤な口紅。
見たことがあるような、ないような…… えっと…… 美紅さん。
「影山くん?」
中島さんから呼びかけられる。
「……」
俺はもう一度のぞき込む。そうだ。髪が長くて、雰囲気も違う。
美紅さんじゃない。俺はそう思った。
見ていると、扉の前の女性は扉を叩いてきた。
「あの…… お願いです。お願いです。開けてください」
声も、俺の知っている美紅さんよりワントーン低い。やはり別人だ、と俺は思った。
つまり…… 怪しい。
あからさまに怪しい。
さっきまで、そんな焦っている感じもなかった。
俺は中島さんの方を振り返った。
「……」
中島さんは無言で首を振った。つまり、同意見だということだ。
俺は無視しようと思って、扉を離れようとした。
「待って、そこであなたを見かけて。頼れる人があなたしかいないのよ」
「?」
急に声が変わった。美紅さんなのか……
俺は扉から覗いてみる。
カツラを手に持っていて、短い髪、そして内向きにカールしている。
つやのある、魅力的な唇。
「美紅さん?」
と、俺は思わず反応してしまった。
「あっ! たすけて、お願い、助けて。組織に追われてるの」
ドンドン、と扉を叩いてくる。
「組織って?」
俺が覗いている、と思っているのか、扉の穴の方に顔を近づけてくる。
「私、霊を集めていたのは知ってるでしょ? あれ、ある組織にやとわれて霊を集めていたの。けれど、もう抜けたいって言ったら、態度が豹変して」
「豹変して?」
「あたし、殺される。秘密を知ったものは生きて組織を抜けられないって!」
すると、ガチャリと扉が開いた音がした。
「?」
目の前の扉は開いていない。俺は中島さんを振り返るが、中島さんも分からず首を振る。
「うるせぇぞ、このアマ!」
「キャッ。止めてください!」
俺は扉の外を覗き見た。
組織の男かと思ったが、隣の部屋の住人が出てきていた。
男は俺の部屋の扉を叩いてきた。
「こら、騒がしくするな。さっさと、この女を入れてやればいいだろうが! こっちは夜遅くまで働いて帰ってきたところなんだ。とにかく静かにしろ!」
お前の声の方がよっぽどうるさい、とは言い返せなかった。
俺は思い切って扉を開けた。
「話、聞くから中に入って」
少しだけ開けた扉から、するっと美紅さんが入ってきた。
「最初っからそうしろ!」
俺は隣人に頭を下げ、そっと扉を閉じた。
「良かった……」
美紅さんが、ぶら下がるように俺の首の後ろに手を回してきた。
胸を…… 胸をわざと当てて、体を動かしている、ように思えた。
「ね? 私が来て、良かったでしょ?」
中島さんが冷たい視線を俺に送っていた。
「あの、他人がみてるのでやめてくれませんか」
「えっ?」
美紅さんが後ろを振り返り、中島さんの存在を確認した。
「あっ、ごめんなさい。あちら、彼女さん?」
中島さんは立ち上がって、睨みながらこっちに向かってくる。
俺は怖くなって手を振った。
「あの、あの……」
俺を飛び越えて、美紅さんの方に近づいていく。
「どういうお知り合いかしら」
「どういう関係か説明するのは、あなたの方じゃない?」
顔と顔が近づく。
光の加減か、中島さんのメガネが光ったような気がした。
「彼にトンネルに連れ込まれて、胸を触られた……」
「えっ、俺、胸なんて触ってないじゃん? そっちが勝手に押し付けてき……」
「お兄ちゃん?」
言った中島さん自身、口を手で抑え、ビックリしている。
言い方と言うか、イントネーションのせいなのだろう。俺には聞き覚えのある別の人物の声に聞こえた。だが、それが具体的にこんな人物、というのは思い出せない。俺に妹とかがいたのか…… だめだ。家族というものの記憶がない。一年より以前の記憶がないのと一緒だ。
「……」
「妹さんか。な〜んだ。そういうこと」
美紅さんは勝ち誇ったような顔をして、腰に手を当てた。
「妹さんはどんなに好きでも結婚できないのよ。いくら妹でも、お兄ちゃんの自由恋愛の権利を奪うことは出来ないのよ」
何を言いたいのか不明だが、美紅さんが俺の腕を強く引っ張って引き寄せた。




