(34)
「俺の記憶って、どこまで見たんですか?」
「えっと、由恵とかいうバイトの娘から、ゾンビが出て、さっきの門までね。直後に、あんた、縛り付けていた拘束帯を全部外し、生きのいい魚のように跳ねまわり始めてね…… 危ないから解析機は緊急停止したの」
中島さんが言った。
「所長が言うから、もう一度縛り付けて、解析機に通したけど今度は全く反応しなかった」
「気が付くと、あんた呼吸してなかったから、慌てて胸部圧迫、人工呼吸って…… すぐ息を吹き返したから良かったけど。それですぐ、ここに運び込んだのよ」
俺は死にかけたことより、誰が人工呼吸をしたのかが気になって、三人の顔を順番に見て行った。
「えっ、やめてください。なんで松岡さんが頬赤くするんですか? まさか、松岡さんがしたの?」
「命の恩人になんて口の利き方するの」
いや、まあ、当然か。胸部圧迫もかなり力がいるときく。それにこっちの意識が無くなっているときのキスなんてありがたくもない。
「で、どうなの? 門は見たんでしょ? あなた、あそこに住んでたの?」
「ええ。見ましたが、記憶が戻った訳ではないんです」
冴島さんが頭を振って、髪を手で後ろに流すと、言う。
「明日。とにかく行ってみましょう。行って目で見てみれば、霊が抑えていない記憶が反応するかもしれない。いいわね」
すぐに答えられなかった。
冴島さんがいつものように、俺が決断出来ないでいると手をかざしてくるかと思っていた。
「……」
「どうしたの?」
「いつものように、こうしないんですか」
俺は冴島さんがよくやる、手をかざすしぐさをした。
「これはあなたの意志が重要だから」
「……ありがとうございます。行きます。思い出せるかは分かりませんけど」
「良かった」
そう言うと、冴島さんがしずかに俺に手を差し伸べた。
握手をすると、冴島さんがニッコリと微笑んだ。
「それじゃ、ゆっくり休んで」
冴島さんがそう言うと、三人は病室を出て行った。
退院の手続きをしていると、中島さんがやってきた。(普段着の描写)
「所長は来れないから、私と行きましょう」
病院でタクシーに乗ると、そのまま例の住所を告げた。
「ここから行くんですか? タクシー代がもったいないんじゃ」
「あら、意外と近いわよ。それにタクシー代会社持ちだし」
「冴島さんがよく許可しましたね」
「……それだけあなたのことが気になる、って思ってればいいんじゃない?」
中島さんはそう言って笑った。
しばらくすると車通りの少ない田舎道になった。
そして、タクシーが止まる。
「ここでいいですか?」
「あの門、あのあたりまで行ってもらえる?」
中島さんが言うと、運転手はもう一度アクセルを踏んだ。
タクシーから降りると、俺は手の平を空に向けた。
「まだ降ってはいないみたいですね」
雨が落ちてきたような気がしたが、錯覚だったのだろう。空は降っていてもおかしくないほど暗く、低く雲が垂れ込めていた。
「ここ、確か表札が見えたわよね」
中島さんが確かめるように門柱に近寄る。高いところに表札があるようだったが、そこはただくぼんでいるだけで何も文字は見えなかった。いや、そんなはずはない。
「確かにそのあたりに表札があった気がします」
記憶の中ではハッキリと読むことが出来ていた。そこには『影山』と書いてあった。
「私も解析機の映像を見た時はちゃんと書いてあったと思ったんだけどなぁ」
中島さんは諦めたようにこちらを振り向いた。
「どう? 何か思い出すことは?」
あの時、俺が解析機にかけられていた時、この奥の建物を見て恐怖を感じた。
しかし今、実物を目の前にしているのに、何も感じない。怖さも、懐かしさも。
「何かピンときませんね。あの時見たものとも違うものなんじゃないかって、そんな気すらします」
「もしかして君は、あの事件の『影山』とは関係ないってこと?」
一家失踪したのだとしたら、確かにここにたち、その家を見れば何か恐ろしくも感じるだろうし、懐かしい気持ちも出るだろう。けれど今は何もない。何も感じないのだ。俺の一家がそんな事件と無縁であれば、何も感じないとしても、それが普通だろう。逆に何か関係があるのに何もないのだとしたら、この場所が間違っているのだ。
「俺に聞かないでください」
「入ってみますか?」
「いくらなんでも、それ、不法侵入ですよね?」
「あなたの家なんだから、まったく問題にならない」
いや、記憶がないんだって、俺はそう言いたかった。
けれど、自分自身でその言葉を飲み込んでいた。入って確かめたい好奇心が勝っていたのだ。
「……」
「決まりね? いくわよ。周り見ててね」
中島さんが、大きな門の横の扉に針金を差し込む。金属がこすれるような音が何度かすると、カチャリ、と軽い音がした。
「ごめんくださ〜い」
軽い調子で中島さんが言う。そして扉を開けると、俺に続くように合図する。
「失礼します」
俺もそう言って中に入った。
外から見られないよう、門からまっすぐ伸びた道ではなく、庭の中を通る道を歩きながら、奥へと進む。
庭の木々の陰に、こちらを追うような影が動いている、そんな気がした。
「何かいる……」
中島さんが俺の視線の先を追う。
木々や草の葉が不自然に動いた気がするが、気配は感じない。
「ちょっと、脅かさないでよ」
中島さんはそう言うと、屋敷に向かって歩き出そう、として立ち止まった。
何かバッグの中をごそごそと探している。
「あった。これ、渡しとけって言われてたんだ」
「GLPですか」
解析機にかけられる時に、外せといわれて外したままだった。
俺がそれを受け取ると、俺と中島さんの間に、急に黒い影が現れた。
『くれよ、それくれよ』
「きゃっ!」
中島さんは飛び退いた。
黒い影は俺のGLPを狙っているようで、俺の腕に絡みついてきた。
「影山くんなにそれ、霊?」
「詳しくはないですけど、きっとそうだと思います」
『くれよ、その時計くれよ』
俺は振り払うように、でたらめに腕を振る。
黒い影は、木々の葉や、地面に叩きつけられる。
『はなせよ、おれんだ』
巻きついた黒い影が、俺の腕を絞り上げてきた。




