(3)
「もうおやめなさい。食べすぎは体によくないのよ」
「わいひょうふでふ。いふももっとたへてます」
「本当にお腹壊すわよ」
そう言って、冴島さんは俺に右手をかざした。
「?」
その手のせいなのか俺は急に食べてはイケナイ、という気持ちになり、給仕に肉を切るのを止めさせた。
給仕の人は手を止め、俺に尋ねる。
「もうよろしいので」
「はい」
いや、食べれるけれど…… 俺は心とは違う答えを言っていた。
「下げてください」
えっ、いや、あの、まだお腹空いてるんだけど……
会釈をすると、給仕が肉の塊をさげてしまった。
「……」
納得行かなかったが、とにかく皿に盛った分を平らげる。
最後にデザートをもらって、食事を終えると、冴島さんがチェックをしてレストランを出た。
「すこしだけお話をしましょう」
「はい」
レストランのフロアから、さらにエレベータで上の階に行くと、赤い絨毯敷きの廊下を歩いた。
老人が立ち止まると、扉を開けた。
冴島さんがすっと入っていく。俺は入って良いものか戸惑った。
「どうぞ」
「失礼します」
通された部屋は、テレビや映画でしか見たことのないような豪華な部屋だった。
調度品が一つ一つ高いとかは分からない。俺のような不慣れな人間でも、天井の高さや広さが圧倒的なことはわかった。つまり、すごく高い部屋なのだ。
「すごいですね。こんな部屋に泊まるといくらかかるんですか?」
「百万ぐらいね」
冴島さんは椅子に座ると、俺に向かいに座るように促した。
「さっきはごめんなさいね」
「?」
「もう少しお肉を食べたかったでしょうけど、あのお肉の値段知ってる? 奢るって言った以上、こっちが払うんだけど、あれ以上食べられたらこっちも経費が足らなくなるのよ」
「えっ、あれは冴島さんが何かしたんですか? 少し変な感じがしていたんです。食べたいのに、『下げてください』って言っちゃったから」
「あれは霊の力を借りて、あなたにそう言わせたのよ。あなたにバイトとして頼むお仕事にも関係するわ」
「霊が、ですか?」
「あの部屋に入って契約書にサインする。そんなことができたのがあなた一人だった、ということよ。あのバイト募集のカラクリを教えてあげる」
「カラクリ?」
「まず、受け付けはこちら、が読めないと話にならなかった。何も分からず並んでいた連中は、素養がないことになるわね」
「はあ」
「次にわかったとして、あの部屋の扉を開けれる種類の霊力でなければならない。あの部屋の扉は、私は開けないの。タイプというか、相性のせいで」
「あのおじいさんは入ってましたよ?」
「そうね。松岡もあなたと同じタイプよ」
「あのおじいさん松岡さんっていうんですか。なら、松岡さんにやってもらえば……」
「松岡には私身辺警護と運転手という役目があるわけね。正直、人手が足りないのよ。霊はいろんなところで人に憑いているんだから。あなたがどこまで知っているか分からないけど、世の中の一部の人間はこんな霊の力を借りて能力を高めている人たちがいるのよ。プロ野球の王田仁、メジャーの一翁、プレミアリーグのウェイン・アーニー、マイクロフトのCEOだったゲイツとか、中国の主席とかもそう」
「……昔流行った『悪霊のせいなのね、そうなのね』ってやつですか、何でもかんでも悪霊のせいにしちゃうっていう」
「ああ、あれはあれで、ある意味正しいのよ。さっき言った人物の例は全部明確に分かるものだけ。実際は本人も気づかないパターンを含めて、もっとあるに違いないわ。そして、霊もいい方向だけじゃない。人間とは思えないような殺しをする連続殺人犯なんかも、そういう霊に取りつかれた結果であることがあるの。私はどちらかというとそういう悪い方を取り除く仕事をしているのね」
「除霊士、というやつですか?」
「そう」
「と言うことは、俺は除霊士の補助をするバイト、ってことですか?」
急に冴島さんが笑った。
「そうよ。さっきの契約書はしっかり読んだかしら?」
「いえ、お腹が減っていたもので、しっかりとは……」
「遅いですけど、後で読んでおいてください」
ニコニコと笑っている。
「ちょっと怖いです」
「仕事の説明の続きをしておきましようか。今度の仕事はビルの警備員のバイトをやってもらうの。新築のビルなんだけど、なかなか内装工事が終わらなくて、引き渡しに至らないのよ。霊のしわざのようなんだけど、そこを調べてもらうわ」
「直接冴島さんが行ったらすぐ分かるんじゃないですか?」
「他のお仕事もあるし、私が行くと霊も警戒するのよ。警戒されないタイプの人間の調査が必要なの」
「それがバイトの役目ですか」
「あなたはバイトの案内札を読めるだけ霊力があるわ。そして、あの部屋の扉開けることが出来るタイプの霊力。あなたは捜査にうってつけってこと」
「捜査にうってつけって…… つまり、霊に出会いやすい、とかそういうことなんでしょうか? では、いままではどうやってお仕事をしていたんですか…… なるほど。前任者がいたってことですね。俺はその代わりなんだ?」
冴島さんが視線をそらした。
「まさか…… 前任者の方って、亡くなった? とか?」
「ほら、勘もいい」
「……」
「霊を引きつけ易いのは才能なのよ。ラッシュ松岡みたいに扉は開けれても霊が見えなければ役に立たない」
「ラッシュ松岡って言うのは、もしかして、あの老人のことですか?」
「そうよ。もとプロボクサーで私の運転手」
老人が部屋の入り口の方から、こちらに会釈した。
「……じゃない、話がそれるところだった。俺の前任の人、亡くなったんですか。そんな危険な仕事だなんて聞いてなかった」
「待って」
と言って冴島さんが俺の前に手をかざした。
「もう契約は済んでいるのよ。手付金も払った」
あれ? 何かおかしい。
「おっしゃる通りです。バイトはちゃんとやりますよ」
えっ、そんなことを言うつもりはないのに…… まさか、また霊力を使った?
「良かったわ。快諾してもらえて」
冴島さんはそういうと俺の方を向けていた手を下げた。
「それ、さっきもやったやつですよね……」
すっと、手を向けられ、俺は続きをはなすことが出来なくなった。
「あのね。この仕組みを教えてあげる。あの契約書にサインしたから、私が手を上げた時に抵抗出来なくなってる、というワケ。いい? 私があなたに屋上から飛び降りろ、と命じたら、あなたどうなるか分かるわね? 何の証拠も残らないわ」
俺はごくり、とつばを飲み込んだ。
「怖がらなくてもいいわ。あの契約書は強い力がある代わり、期日がしっかりあるから。松岡、見せてあげて」