(29)
「た、助け、て……」
もう冴島さんの方を振り返ることも出来ない。自分が吸い込まれないようにするので必死だった。
「ええぃ…… これでも喰らえっ!」
冴島さんがそう叫ぶと同時に、俺の腕スレスレに銀の剣が振り下ろされた。
「えっ……」
後数センチズレていたら、俺が真っ二つ。
冴島さんは、その後、何度も剣を振り上げては、大きな唇状の肉片に振り下ろした。
いや、だから俺に当たりそうなんですって! 避けるのが精一杯で、声に出せなかった。
俺は心の中で必死に叫んだ。そして当たらないことを神に祈った。
「うぉっ…… げふぉぉぉ」
床に張り付いた唇が、そう言った。
俺はそのままゲロと一緒に吐き出された。
一帯に散らばっているゾンビの腐った肉片にまみれ、俺は床に転がり、横たわった。
床に広がっていた唇と、集まり切れなかった肉片は、黒い霧として、まるで重さがないような黒い粒子として、分解されて、消えていく。俺の体にへばりついた肉片や赤黒い液体も同じ様子だった。
泡がはじけて消えるように、黒い粒子が立ち上っては消えていく。
「勝った……」
冴島さんが剣を突き立て、髪を後ろにはらってそう言った。
「影山くん、生きてる?」
「ええ…… (あなたに殺されそうでしたけど)」
松岡さんが、冴島さんの剣を引き取ってサーバールームから出ていく。
サーバールームの電源が回復し、白い照明に切り替わる。
冴島さんが俺のところにやってきて、手を差し伸べた。
「仕上げといくわよ」
「仕上げ? 俺、この件まだ理解できてないんですけど」
俺と冴島さんは爆破して開けた壁の穴から廊下に出た。
「監視室に戻れば理解できるはずよ」
俺たちはサーバールームを後にして、監視室へ戻った。
監視室を開けると、バイトの先輩とスーツ姿の社員さんが見えた。
先輩と二人の社員さんは縮こまるような感じに、両手を上げていた。
その目線の先には、篠原さんと、そののど元にナイフを突きつけている…… 香川さんがいた。
「えっ?」
冴島さんが俺の肩に手を置いて、言った。
「説明しましょう」
監視室の雰囲気を無視して、机に座ってメモに何か書き始めた。
「これが篠原さん。これが影山くん。これが香川さん」
篠原さんから俺に矢線が書かれ、香川さんから篠原さんに矢線が書かれた。
そして今度は色を変えて、香川さんから俺と、篠原さんに別の矢線が書かれた。
「最初の黒い色の矢線は、誰が誰を好きか、ということを示すのね。見ればわかるように、あんたは篠原さんから好かれていた。そして香川さんはその篠原さんのことが好きだった」
なぜ空気を読まずにこんなことをするのだろう。俺はそう思いながらも、二人の方を見た。
ナイフを首元に突きつけられている篠原さんが、後ろにいる香川さんに視線をむけた。
「うるさい!」
冴島さんは全く聞こえないような感じのまま、話を続ける。
「そして色を変えた赤い矢線は、二つの怒りの感情。自分を振り向いてくれない篠原さんへの恨み。影山くんの方には嫉妬の感情ね」
ナイフを震わせながら、香川さんがまた叫んだ。
「うるさい! この女がどうなってもいいのか?」
冴島さんは立ち上がった。
「好きな人を傷つけるなんてできないでしょう? ほら、こっちと交換して」
冴島さんが俺の肩を、トン、と叩く。
俺はまるで自分の意志でそうしているように両手を上げて、香川さんの方へ近づく。
「えっ?」
冴島さんの霊力に従って、俺は香川さんの方へと歩く。
「こら、近づくんじゃねぇよ。篠原さんがどうなってもいいのか?」
「影山くん、ダメよ、身代わりになったらあなたが殺されちゃう」
篠原さんが何か決意したような表情に変わる。
「……」
「何をする、篠原さん、やめて」
香川さんが突然、声を裏返してそう言った。
篠原さんが香川さんのナイフを持っている手を引っ張り、自らの喉に刺そうとしている。
「影山くん、それ以上近づいたら私刺されるから」
「篠原さん、やめて」
「影山くん引き返して」
俺は香川さんたちを向いたまま後ろ歩きで戻った。
冴島さんが耳元で言う。
「どうすればこんな短時間で女の人をその気にさせることができるのかしら。今度からこのサーバー管理のように毎日エクセルでレポート打ちさせようかしら」
「何もしていませんよ」
「そうか、本人にレポート書かせても嘘つくかもしれないわね。行動監視カメラをつけといてもらおうかしら」
香川さんと篠原さんがこっちを睨みつける。
「無視するな」
「影山くん、その女は誰?」
その時、小さな影が、監視室を走った。
直後、金属が跳ねる音がした。香川さんの持っていたナイフがなくなっている。
「松岡さん!」
篠原さんを引き離し、松岡さんが香川さんとの間に入った。
松岡さんが一瞬目線を冴島さんに向ける。冴島さんはそれにうなづく。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
同時に指で印を結ぶ。
香川さんが急に苦し見出して喉を押さえる。
俺は香川さんの口から何かが出ていくのが見えた。何かというか、何が見えたわけではない。ただ陽炎のような空気の歪みだった。その歪みは、散らばって消えていった。
香川さんが膝が折れたように倒れると、俺は駆け寄った。
「先輩、大丈夫ですか」
「……お前、さっきその女の人が言ってたことを聞いてなかったのか?」
「聞いてましたけど」
俺は香川さんに肩を貸して立ち上がらせた。
「俺はお前のことを憎んでいるんだぞ。嫉妬しているんだ」
「?」
「何かされると思わないのか」
「思いません」
とりあえず香川さんを椅子に座らせた。
冴島さんが近づいてきて言った。
「あなた、このデータセンターの電力設備に悪霊を仕掛けたわね」
「……」
「冴島さんなんのことですか?」
「影山くんは黙ってて」
香川さんは机の上の一点をじっと見つめて言った。




