(19)
ザラザラの壁を伝いながら、トンネル内をはしていると、ぼんやりとトンネルの入り口が見えた。
俺は立ち止まって、スマフォをかざす。
「外はダメか……」
トンネルの内側からは大きな鬼が迫ってくる。
俺は一か八か、GLPにタッチする。さっきの壁は再び使えるようになっている。鬼の方に狙いをつける。
鬼はトンネルの天井すれすれまで拳を振りかぶる。
「今だ!」
GLPをタッチして『助逃壁』を発射する。光る壁が前方へ繰り出される。鬼の足先がその壁に触れると、壁のこちら側はおじいさんの足に変わる。壁が進んでいくと、おじいさんの体が壁のこちら側に現れ、光る壁の向こうに何やらうごめく青い影が見える。
「やった!」
霊体とおじいさんを分離して、壁が霊を向こう側へ押しやったのだ。
霊から開放されたおじいさんはそのまま膝をついて倒れた。
「うっ……」
よろこんだのもつかの間だった。村のひら地から追ってきた霊が、俺の首を締めていた。
「……」
スマフォをインカメラに切り替え後ろの様子を見ると、一つ二つではない、無数の霊の影が見えた。ダメだ…… 苦しくなり、膝をついた。さっきは一つだったからなんとかなったが。この状態ではもうだめだ。俺は絶望した。
その時、スマフォの画面に見覚えのあるシルエットが見えた。
「諦めたらそこで試合終了よ…… ってマンガで読まなかった?」
さ、冴島さん!?
苦しくて声には出せなかったが、俺は必死にスマフォでその姿を探した。
スマフォに映る冴島さんは、指を組み合わせながら、小さく声に出す。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
冴島さんが手のひらをこちらに向けると、スマフォに映っていた影、つまり、かみくう村から追ってきた霊達は、霧がはれるように消えていった。
そして俺の首を絞めている手もなくなった。
「大丈夫だった? 影山くん」
冴島さんは俺の肩に手を乗せた。
俺は目の前で倒れているおじいさんを指差した。
「俺より、おじいさんを助けてください」
「ん? もしかしてトンネルの霊は『青鬼』だったのね」
冴島さんがおじいさんの様子を見に、トンネルの中に入っていく。
すると俺の後ろから、掃除機のようなモーター音が聞こえてきた。
振り返った冴島さんが言う。
「影山くん、その女を捕まえて」
「えっ?」
どこかで見たような掃除のおばさんが掃除機を引っ張りながらトンネルへ走ってくる。いや、清掃員のような格好でマスクをしているから実際の年齢はわからない。俺は言われた通り、とにかくその女の人を捕まえようと手を広げた。
清掃員はフェイントをかけて、俺の脇を通り抜けようとしたが、伸ばしていた腕に引っかかった。
「捕まえ……」
腕が絡みつくように清掃員を捕まえると、一気に顔と顔が近づいた。清掃員のおばさんのマスクと帽子の間にある目と少しの肌ツヤはおばさん、とは思えないほどきめ細かく、いい匂いがした。
清掃員はマスクで隠れた口を俺の耳元に寄せると言った。
「やんっ……」
「!」
俺は不覚にも…… いや、その声で罪悪感を手を放してしまった。マスクのせいか多少印象が違っていたが、聞き覚えのある声だったことも原因だった。
放してしまった清掃員はどんどんトンネルの奥へ入っていく。
「何やってんの!!」
おじいさんの様子を確認していた冴島さんも立ち上がって、清掃員の女性を捕まえに行く。
掃除機のノズルを振り回して、冴島さんをかわし、光の壁をすり抜けて奥へ入ってしまう。
「えっ?」
清掃員は影に掃除機を向ける。光る壁はGLPが作り出したもので、おじいさんと霊を分離していた。光の壁の向こうに霊が捉えられている。
すると、ものすごい轟音とともに回転が始まった。
「影が吸い込まれていく……」
「壁をすり抜けるっていうことは……」
俺は冴島さんの隣に並んでいた。冴島さんは吸い込まれていく影を見ている。
「青鬼も回収されてしまったわね」
清掃員の格好をした女は、霊を吸込む不思議な掃除機を持ってトンネルの反対側に走っていく。
俺は追いかけようとするが、光の壁に阻まれてしまう。
「えっ? ここ通れません」
「そうね。さっきの清掃員は通ったのに」
「……」
俺は冴島さんの言いたい意味が分からなかった。俺は通れなくて、清掃員は通れる。違いはなにか、という意味だ。男は通れないが、女は通れる? いや、違うだろう。何だ。俺と清掃員の違いって。
冴島さんは倒れているおじいさんの手を握り、言った。
「もう青鬼のちからを借りることはできませんよ。おじいさん。かみくう村も変わっていかなければならないんです。昔の事件のことを忘れるためにも、変わる必要があるんじゃないですか」
俺はなんのことかわからなかった。
「そう…… なのかもしれんの。お嬢さん、わしの代わりに工事関係の方に謝ってくれんかの」
リニアの工事現場に向かう最短ルート。おじいさんは、トラックがかみくう村を通るのがいやだったんだ。それで霊のちからを借りてそれを行っていた、ということか。
「はい。さあ、立ち上がってください。あの土地も悪霊が消え、草や虫も出てくるようになるでしょう。ご心配なさらずに」
「草も生えなかったのはやっぱり悪霊のせいじゃったか」
冴島さんがうなずくと、おじいさんは村の方を見つめた。
「ありがとうございます。わしは村に帰ります」
「さようなら、お元気で」
おじいさんは冴島さんに深々と頭を下げると、かみくう村へと帰っていった。
冴島さんがトンネルを振り返って、俺に手招きした。
「GLPを出して。この光の壁はもういいわ」
「?」
俺は腕に付けているGLPを出して、光の壁に向かった。
「えっと、どうすればいいんでしたっけ?」
「マニュアル! マニュアル読んだんじゃなかったの?」
冴島さんの指が俺のGLPに触れる。そしれ指先で軽くトントントン、とディスプレイ部を叩く。
すると光の壁が出てきたときの逆にGLPに吸い込まれるように戻ってきた。
「おお! トリプルタッチで戻るんですね」
「影山くん。あなたに聞きたいことがあるんだけど」
「はい。なんでしょう?」
冴島さんは俺の目をじっと見た。
「あの清掃員に何言われたの? なんでしっかり捕まえたはずなのに、あそこで放すの? 知り合い?」
「えっと……」
除霊士である冴島さんは霊感が強いのか、言わないことまでバレている気がする。
確かに耳元で囁かれたことで俺の気持ちが緩んだし、ちょっと前に知り合った女性の声にも似ていた。そのせいで、捕まえていた腕に隙が出来たのは否めない。