(18)
「わしは…… 霊に殺されても仕方ないんじゃ。だから、あんたは逃げろ」
GLPから飛び出していった光の壁が、だんだんと暗くなってきた。すると、壁にとらわれていた霊が動き始めた。
「あっちの壁もそろそろやばい。早く行きますよ。話は逃げてから聞きます」
おじいさんの腕をがっちりと掴んで引っ張り、トンネルの方へ行く道へ走り始めた。
霊は俺たちをしつこく追ってくる。
引っ張られるおじいさんも、逆に引っ張っている俺も足を取られて転びそうになる。
逃げ回っていて、黙っていたおじいさんが、突然、こう問いかけてきた。
「あの幽霊どもは、かみくう村のひら地にいたんじゃろ?」
「そうです」
「やはりな。もう十数年前になるか。ひら地の大部分を持っていた大地主が亡くなっての、息子に相続したんじゃよ。息子は大学生で、このひら地の価値など分かっておらんかった。一年もすると、ひら地のあたりによそ者がやって来るようになって、奇っ怪な建物を立て始めた」
俺の中の記憶に少しだけ引っかかりのある内容だった。
過去、大きな事件があった建物のことだ。
「高齢化していた村に若者が入ってきた。最初は村人も喜んだんじゃ。しかし、昔からいたわしらとは何も関わろうとせん。だんだん気味が悪くなって、村によそ者を入れてはいかん、と皆が言い出し始めた」
宗教的な実験の場だったと聞く。
「元々はわしらの村じゃったのに、そいつらが我が物顔でうろつきまわるせいで村は変わっていった。あるものはノイローゼのようになり自ら命を絶ってしまうし、まだ体の動くものは村を捨て、出て行った」
おじいさんは家のある方向を向いた。
「都心で大規模なテロがあったろう。あれの為の実験をしていたんじゃ。奇っ怪な建物の中での。警察が何度も来て中を調べておった。その間にもどんどん村人はここを去っていった」
都心での大規模テロ。確か、地下鉄を狙ったやつだ。警察の発表ではこの建物で銃を作っていたと言うが、確か、ここ、かみくう村での霊的動物実験を利用した怪物よる事件だった、という噂もある。
村の名前で思い出したのはカレンダーの情景だけはなかったのだ。
「そんな事件のせいで、村を出ていったものは戻ってこん」
「奇っ怪な建物は、今はないじゃないですか。大丈夫、もうそんな事件は……」
スマフォに影が映り始めると、俺はおじいさんの手を引いた。
「今はもうない。けれど村人は帰ってこない。お前さんも、リニアの工事が始まったことを知ってるだろう。村の者をここに戻すには、これ以上、この村によそ者を通すわけにはいかないんじゃ。静かなかみくう村にもどさにゃいかんのじゃ」
「だから。だから、工事のトラックがここを通ることを拒んだ」
じいさんはうなずいた。
「そういうことじゃ」
しばらくまた歩いて、トンネルの前まで逃げてきた。
トンネルの前まできて、俺は立ち止まった。
反対におじいさんは、トンネルへ入ろうとして立ち止まる。
「ほら、こっちにこんか?」
「おじいさんも言ってたじゃないですか。トンネルに入ったら、死ぬって」
「……ああ、ゆうたが、このままじゃさっきの『影』に見つかって絞殺されてしまう。トンネルの中に入れば、霊もわしらを見ることができんじゃろう」
おじいさんのその言い方から判断すると、やっぱり中には…… 俺は言った。
「中に霊がいることには変わりないんですね?」
「……正直に言おう。トンネルの中の霊はわしが降霊したのじゃ。このトンネルを通り抜ける者がないように」
いや、俺は通り抜けたんだが、と言いかけてやめた。
「じゃから、この中の霊はわしを襲ったりはしない」
「けど、俺は?」
「わるいようにはせん。ここまで逃げてこられたのはお前のおかげじゃ。悪いようにはせんから」
スマフォの映像に複数の影が映った。もうすぐ俺たちに気付いてしまうだろう。
「わかりました」
俺とおじいさんは、トンネルの中に入った。外も暗くなっていたが、明かりのないトンネルの中は本当に暗かった。壁をつたいながら前に進む。入ってきた方を映しているスマフォの画面には、チラチラとノイズが入るだけでももうトンネルの入り口の明かりすら捉えられなくなっている。
「おじいさん、どこまで進むんですか」
「もうすこし行った先に……」
「もう少しって……」
「……」
「もうすこしってどれくら」
急に立ち止まったらしく、俺は、ドン、とおじいさんにぶつかってしまう。ぶつかった拍子に、バサッと音がして触れていた体がなくなった。
「ごめんさい。大丈夫ですか?」
俺はおじいさんが倒れたと思って、しゃがんで周囲を探った。
「おじいさん?」
床はアスファルトではなく、コンクリートのようだった。一部が濡れていて気持ち悪い。壁沿いに探していたが、一向におじいさんが見つからないので、壁を離れ、トンネルの真ん中へと移動した。しかし、そこにも倒れたおじいさんの体に触れることはなかった。
「おじいさん!」
大声で叫んだが、声は響くどころかどこかに吸い込まれるようだった。トンネル内には異空間が開いている…… 俺の頭には一瞬そんな考えが浮かんだ。
『ここだよ』
聞こえてきたのはおじいさんの声に思えた。
「おじいさん?」
何も見えない闇の中で、俺はよろよろと立ち上がった。いや、もしかしたら、よろよろしていなかったかもしれないが、暗くて前後左右が見えない状況から壁に触れずに立ち上がるのは、不安がともなった。
「灯りをつけていいですか」
俺はスマフォを正面に向けた。
『やめろ!』
「えっ?」
スマフォに真っ青で、ブヨブヨした肌が映った。目に見えるほど大きな毛穴から、太く黒い毛が生えている。そのまま下へ動かすと、足の指が見えた。おそらく最初見たのは『すね』だろう。
『やめろ!』
俺は怖かったが、スマフォを上へと向けた。青い肌が続き虎柄のパンツ、裸の上半身……
「お、鬼!」
鬼としか表現できない生き物だった。トンネルの天井につかえそうなほどの長身。角が生えていて、鼻の上に大きな目が一つだけあった。子供のころ、昔話の絵本に出てきた鬼そのものだ。
『やめろ!』
スマフォに映るその鬼は、拳を振り下ろすところだった。俺はとにかく後ろに飛びのいた。
何に躓いたわけでもないが、俺は床に転がっていた。スマフォのライトをオフにした。
『なんてことをしてくれたんだ……』
「まさか?」
鬼の姿があって、おじいさんの姿は見えなかった。ということは、つまり……
「まさか、さっきの鬼が、おじいさんなんですか?」
『知られたからには、生かして帰すわけにはいかん』
俺は必死に床を這った。まずは壁と思われる方へと進む。そして壁に触れたら立ち上がって、壁沿いに走る。
『逃げてくれ。人を殺すことは本望ではない』
後ろからそう言うおじいさんの声が聞こえた。身体が鬼になってしまっても、おじいさんの心がまだ残っているのだろうか。