(16)
俺のモテ期はまた来なかった。
それにしてもさっきのトンネルの中のたくさんの顔は何なのだろう。美紅さんはトンネル内にあれがいるのを知っているようだった。でなければ、瞬間的に反応するわけがない。
『あっ、それ、ダメ!』
美紅さんが振り返った。
その背後に、前髪のない、お面のような顔がいくつか浮かんでいるように見えた。
『早く消して!』
すこしカマをかけて、このトンネルの何を知っているのか聞き出すべきだった。
トンネルに入ろうと言い出したのも美紅さんだ。絶対に何かを知っていて誘い出したはずなのだ。俺がLEDを付けるまでは……
「お前。どこのもんだ?」
一瞬、姿が見えなかった。
足元、と言ったら失礼だが、それくらい背が低いおじいさんだった。
「街から来たんですよ」
「さっき見とったが。もうトンネルには入らん方がいいぞ。今、この中で何が起こっとるか、地元の者もわからん。みんな恐れて山を回っとるからの。ええか。死ぬなよ」
おじいさんは、山を迂回する道を何本か指し示した。
一つは昨晩、車で走った道だった。もう一つは、トンネルの脇を登っていく山道だった。こっちは人の歩く道のようだ。
「けど、入ったら、し、死ぬんですか?」
「……わからん。みんな恐れておる。恐れておれば死んでもおかしくない」
おじいさんはそう言うと、テントの脇を抜けて畑の方に入っていく。
村以外の者への『脅し』なのだろうか。俺はおじいさんの後ろ姿をみつめた。
スマフォで地図を開き、山道を抜けるとどこにつくかを確認した。こちらとはトンネルの反対側にいけるようだった。そこには『かみくう村』と書かれている。
「かみくう村?」
俺は思わず声に出してしまった。
畑の方から視線を感じる。
そっちをみると、おじいさんは視線をそらす。
畑の方に進みながら、おじいさんに声をかける。
「おじいさん、かみくう村の方なんですか」
「……」
俺は山道をゆびさして、言う。
「あの山道を抜けていくと……」
「ああそうだ。それがどうした」
俺はさらにおじいさんに近づいていった。
「山道を通ったら、どれくらいでつけますかね。かみくう村に行ってみようと思うんです」
おじいさんは顔をしかめて言った。
「お前は、リニアの工事関係者だろう。そんなヤツが村に入れば『たたられる』ぞ。祟られれば死ぬんだぞ」
「ちがいますよ。写真を撮りたかったんです。昔、カレンダーにかみくう村の写真があって。たしか、大きな水車が……」
おじいさんの表情からは疑いが晴れていないようだった。
「今水車は止まっとる。あれは秋に動かす」
「そうなんですか。聞いてよかった。けど、綺麗な景色の村ですよね」
「……」
「行ってみたいんですが。どれくらいかかりますか?」
おじいさんの表情が少し柔らかくなった。
「わしなら十分もあればつくが、都会もんなら倍はかかるじゃろうな。迷うからな。山道は目印の赤い布がつけてある。どこが道か分からんかったら、赤い布を探せ」
「はい」
俺はおじぎをして「行ってきます」と言った。
おじいさんは畑仕事をしながら、ちらちらとこちらを見ているようだった。
トンネルの脇から山道を上がっていくと、ところどころ、赤いちいさな布キレで印がしてあった。道を見失ったときはこれを探せという事だろう。道と行っても、しっかり杭などがうってあったりするわけではなく、草の生え方が微妙に違う程度で、獣道のレベルだった。
流れ出ている水で濡れているところもあり、滑ったり踏み外したりしないよう、ずっと下を向いてあるいた。
くねくねと曲がる道を上り切ると、今度はずっと下りになっていた。
下りの道は横がそのまま谷になっていて、谷からは水の流れる音が聞こえた。ここにも小さな川があるようだった。
下りの道が終わると、大きくカーブして、その先で林が終わっているようだ。
俺はそこまでたどり着くとスマフォを開いた。電波が届かないらしかった。たしかトンネルの出口についた時もそんなだった。この周辺にはアンテナがないのだろう。
林を抜けると、あたりは開けていたが田んぼでも、畑でもなかった。
かといって雑草が伸びきっているわけでもない。雑草を誰かが手入れしているようすもない。
砂地でもない。除草剤でも撒いているのか、そういう理由によって、草が生えなくなっているに違いない。
俺はカレンダー以外に何か『かみくう村』の情報があったような気がした。
「なんだっけ?」
何で見たのか。
新聞か、教科書かなにかだ。とにかく何か『事件』と結びついていた気がする。
俺は道をまっすぐ進んでいくと、山裾で少し高くなっているところに数件の家を見つけた。そこが村だろう。
階段状に積んでいる石をあがると、家があった。
家を囲む塀も、表札もない。俺は踏み込んでいった。庭には軽トラックが置いてあったが、荷台が錆びきっていた。
「動くのかなこれ?」
少し回り込むとそれが動かないことが分かる。後ろのタイヤが外れているのだ。
家に近づいてみると、遠くから見ていたときには気づかなかったことがわかる。扉はきっちりしまっているのではなく、少し開いている。二階の窓ガラスは割れたまま、何も補強されていない。
「人が住んでいないのかな」
流石に玄関を開けて呼ぶのは気が引けた。少しだけ庭側の窓をみたが、雨戸が閉まっていてやはりそこからも人が住んでいる感じがしなかった。
さらに坂を上がっていくが、人とすれ違うことがなかった。
人の声とか、気配というものが感じられなかった。だが、全てが廃屋というわけでもなさそうだった。人が住んでいてもおかしくないような家もある。そのなかのどれかに、あのおじいさんも住んでいるのだろう。
俺は一通り村の家を見た、と思ったが、川沿いの水車のことを思い出した。坂の上の方に来ていたので、どこだろうあたりを見回していると、坂を降りた低い所に水車小屋があった。
そこからみると如何にも小屋であり、人が住んでいるとは思えない作りだったが、カレンダーで見ていた風景でもあり、下りていくことにした。
下りていく間、俺は考えていた。
なぜ人の気配がしないのか。トンネルの反対側までおじいさんが下りてきて畑仕事をするのはなぜなのか。
この草も生えていない空き地は何なのか。それらに何か共通することがないか、この疑問を解く鍵はなんなのか。そんなことを考えながら小川の横にある水車小屋についた。
スマフォを構えて水車小屋の写真を撮ろうと構図をさぐっていると、画面になにか妙な影が通り過ぎた。
「?」
スマフォを下げて、あたりを見回す。動くものは何もない。小川が流れている。水車は止まっている。それけだ。俺はもう一度スマフォを顔を前に戻すと、水車の前に何か影が見える。
「!」
慌ててスマフォを下ろすが、そこには何も見えない。