(11)
「それはどうかしら?」
冴島さんは左手で髪を後ろに払った。
「えっ、まさか、斎藤さん…… 斎藤さんって、女装家だったの? モテたと思ったのに! 俺、モテてたと思ったのに」
斎藤さんが怒ってこっちを睨む。
「霊が取り憑いたって言ってんだろうが!」
「?」
俺はなんのことかわからなかった。
「冴島さん、今の声って?」
「そこの女性に取りついた霊が、女性の体を使ってしゃべっているのよ。後、モテてないのは事実なんだから素直に受け入れなさい」
「そんな……」
「私はここでずっと仕事がしたかっただけ。会社に戻ればまた日常の繰り返し。私はこの現場が好きなのよ。オフィスになんか戻りたくない。このプレハブの現場が好きなの!」
「斎藤さん……」
「多分、いまのが本人の気持ちよ。今、その女性の中に居る霊に、そこを付け込まれたってこと」
「うるさい! そんなことどうだって良いの。ここで仕事ができさえさればそれで……」
「斎藤さん、いつまでも完成しないビルなんておかしいよ」
「う…… るさい」
斎藤さんが、男のような声になった。そして、目の前に立っている人を突き飛ばすように 、両手を伸ばして突き出した。
けれどその手が冴島さん、ましてや俺に届くはずもなかった。
「!」
ドン、と遅れて大きな音がすると、冴島さんがプレハブから飛び出してきた。
「冴島さん!」
俺は飛んでくる冴島さんを受け止めようと、手を開いた。冴島さんに触れるか触れないか、という刹那、遅れてきた衝撃波を受けた。
「うぉっ!」
何十人かに同時にタックルを浴びせられたような衝撃。
冴島さんを受け止めるどころか、建設中のビルの壁まで吹き飛ばされた。
壁に体を打ちつけ、俺はそのまま地面に倒れた。そこにはプレハブから飛んでいたガラスの破片が散らばっていた。
見ると、冴島さんは綺麗に着地している。
なんとか立ち上がると、手の平にガラスの破片でできた傷がついていた。顔面にも痛みがある。ガラスが刺さっているのか、切れているのか……
「影山くん。あなたはそこで待っていなさい」
「は、はい」
またしても体に命令が入ったようだった。
「さ、冴島さん、それ、なんなんです?」
「後で話す」
斎藤さんが、再び大きく体を使って、突き飛ばすように手の平を押し出した。
「危ない!」
思わず叫んでいた。
あの後、さっきの衝撃波が来たのだ。
冴島さんは右手の人差し指を立てて、何か言っているようだった。
すると、冴島さんの目の前に大きなシャボン玉のようなモノが出てきた。
「?」
衝撃波が来るはずなのに、冴島さんは何事もなかったように立っている。
「連続で行くぞ!」
斎藤さんがまた激しく体を動かし、手の平を何度も押し出してきた。
冴島さんはその都度、立てた右手の人差し指でその方向を差した。
いつの間にか、冴島さんの周りにはシャボン玉のようなものがいくつもふわふわと浮かんでいた。
「これで終わりかしら?」
そんな挑発するようなことを言ったら……
思った通り、斎藤さんは怒り狂ったような表情で、冴島さんに向かってきた。
「至近距離からやればかわせねぇだろうぜ!」
冴島さんは下がる様子がない。
「冴島さん、逃げて」
斎藤さんが、全力で押し込むように両手を冴島さんに向けた。
もう、直接手が触れるぐらいの距離だった。
冴島さんは、弾かれたように宙を高く飛んだ。体をピン、と伸ばしていて、まるで木の棒を空へ投げたようだった。
「冴島さん!!」
やられた。この床に落ち、ガラスの破片で酷いことになってしまう。
俺は必死に体を動かした。
「今、俺が受け止めますから!」
なんとか体を動かして、落下地点にたどり着いた。
「かかったわね」
体をひねりながら姿勢を整えた冴島さんが、斎藤さんの方へ手をかざす。
「弾けろ!」
そう言うと、斎藤さんの周りのシャボン玉のようなものが一斉に弾けた。
さっき聞いたような爆裂音が続けて巻き起こり、斎藤さんの体が激しく揺さぶられる。
落ちてくる冴島さんを抱きとめようとした瞬間、冴島さんに頭を押さえられた。
「私は、ちゃんと着地出来るわよ」
冴島さんの体重がかかって頭が、ガクンと下がった。
斎藤さんの周りのシャボン玉が、ドンドンドンドンと爆発して…… シャボン玉がなくなり、爆裂音が止まった。
斎藤さんは静かに膝をつき、そしてうつ伏せに倒れた。
頭を押さえつけられていた手を払い、俺は斎藤さんのところへ走った。
「……」
「斎藤さん、大丈夫ですか!」
俺は倒れている斎藤さんを抱きかかえる。
「うおっ!」
顔には青い色で塗られた模様が浮かんでいた。怒り、悲しみ、映像が早送りされるように表情が何度もゆがむ。感情に合わせて青い色の模様も変わってっていく。
「斎藤さん!」
「影山くん、口を閉じて!」
冴島さんの言葉で、俺は「大丈夫ですか」という言葉が出てこなかった。その代わり、斎藤さんの口が大きく開き、煙というにはあまりにゆっくりした粒子状の物体がゆっくりと吐き出された。
「んんんんん!」
俺は声に出ない声を出しながら、冴島さんを振り返る。
「それがビルの工事を遅らせていた霊よ」
これをどうすればいいんだろう。引っ張って取り出せばいいのか?
「引っ張ったりしないでよ。今、その人から出て行ってもらうから」
冴島さんは手を合わせ、指を組み合わせながら何か言っている。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
斎藤さんの口から流れ出ている粒子状の浮遊する物体が、さぁーっと流れ始めた。
「んんんん!」
「?」
その粒子が流れていく先は、プレハブの中だった。見ると、プレハブの中でマスクをした掃除のおばさんが掃除機を持って立っていた。
「あっ、あんなところから吸い込めるんですね?」
俺の言うことなど無視して、冴島さんはプレハブの方へ走っていた。
「あれは霊を吸い込む、特殊な吸引装置よ! 影山くんもあの女を捕まえて!」
俺は気を失っている斎藤さんを、そっと寝かせると、冴島さんの後を追った。
掃除機を抱えたおばさんは、ものすごいスピードで冴島さんの先を走っている。
そして清掃のおばさんは建築現場の囲いの外へと、掃除機を放り投げる。すると本人も、ひょい、と囲いを飛び越えてしまう。
「!」
俺は、急にストップした冴島さんにぶつかる……
と、冴島さんは華麗に俺を避ける。
「痛てぇ……」
俺は勢い余って建築現場の囲いにぶつかった。
そんなことは気にもとめず、冴島さんはガラケーで電話を始めていた。
「松岡。現場の裏手に掃除機を持った人物が逃げたわ。追いかけて」
「はい、お嬢様」
パタンと携帯をたたむと、冴島さんは俺に向かって手を上げた。
「影山くんここまででいいわ。残りのバイトを全うしてね。じゃ」
「えっ?」
冴島さんはそう言うと、囲いを支えているパイプを伝って飛び越え、行ってしまった。
「えっ? えっ? 俺はどうすれば?」
誰もいないところで、俺は誰に言うわけでもなく、そう言った。
斎藤さんから霊が抜けた後、不思議なことにビルの工事が進み始めた。
俺がやっているビル警備のバイトは、二週間で契約が切れた。警備のバイト代はそのまま現金でもらって帰ったが、電気、ガス、水道代には少し足りなかった。俺は除霊のバイト代が振り込まれるかどうか、毎日通帳を確認していた。
しかし、なかなか振り込まれない。バイト終了から何日か経った後、俺は耐え切れずに冴島さんに電話を掛けた。
「どうしたの影山くん」
「あ、つながった。冴島さん、バイト代を振り込んでください。電気・ガス代とか水道代とか……」
「ああ、そんなこと? 松岡にやっておくよう言っとくから。それよりテレビつけてみなさいよ。VBSテレビ!」
「は、はい」
映像が映ると、ちょうど、俺がバイトしていたビルの完成を祝ってテープがカットされるところだった。
「あれ?」
「気づいた?」
「タレントの香山ユキちゃんだ! 俺、ものすごいファンなんですよ」
「……ツーツーツー」
「あっ、あの?」
画面を確認すると、通話が切れていた。
テレビ映像を見ると、テープカットしている端に冴島さんらしき人が映っている。
そ、そうか!
俺は慌てて電話を掛け直した。
「もしもし、冴島さん?」
「……」
「冴島さん、今日、ビルの完成祝いにいた香山ユキちゃんのサインもらってません? もらってたら俺買いますから売ってください!」
「……他にいう事はない?」
「えっ?」
「他に言うことはないか?」
「えっと…… 1万円ぐらいまでなら払います!」
「……」
「どうしました?」
電話の向こうで、息を吸う音が聞こえた。
「そおんなにサインが欲しいなら、お前の給料と同じ額で売ってやる!」
冴島さんの、耳がおかしくなりそうなくらい大きな声。
「えっ?」
「聞こえないの? お前の給料と同じ額で売ってやる。だからバイト代の振り込みはなし! ツーツーツー」
「???」
俺はスマフォをじっと見た。どうしよう。電気、ガス、水道代が……
「そんなぁ……」
俺のモテ期は遠いようだった。