(102)
冴島さんが道路の真ん中で、うつ伏せで倒れてしまった。
駆け寄る橋口さんの声も力がない感じだ。
「麗子」
俺は冴島さんの頭を抱きかかえる。少し顔をこすったように傷が出来て、血が滲んでいる。
「冴島さん、大丈夫ですか?」
「手当して、急いで部屋に運びましょう」
「!」
俺に声をかけてきたのは、松岡さんだった。
松岡さんは消毒液を脱脂綿に含ませ傷をぬぐった。
「痛い……」
小さい声で冴島さんが言った。
綺麗にぬぐうと傷に合わせたような小さい絆創膏を取り出すと冴島さんの頬につけた。
松岡さんと一緒に俺は冴島さんを抱え上げた。
「救急車を呼ばないと」
「いいえ。その必要はありません」
松岡さんは首を横に振る。
大きく肩で息をしながら、橋口さんが言った。
「あたしも麗子も病気じゃないんだケド」
「けど……」
松岡さんが俺の言葉を遮った。
「寝れば治ります。極度の霊力低下を体が必死に支えているのです。影山さんは平気なのですか?」
「……俺はそんなに霊力つかってないし」
「……」
橋口さんが無言で俺を見ている。怒っているようではなかったが、非常に冷静な視線だった。
「あんたも相当霊力をつかったとおもうケド」
「?」
どういうことだろう。俺はランスアンドアーマーも、エア・エレも倒していないし、最後の悪魔二体も倒していない。小さなシリンダーに閉じ込められた時、中で暴れはしたが、あんなに小さくなっていたわけだから、実際の体の疲れから考えて、霊力はほとんど使っていなかったのだろう。
「……蘆屋さん、部屋に戻ったらコートを返してね。それ霊的な細工が施してあるの。私の霊力回復に必要なのよ」
「はい」
ここら一帯は封鎖されているから、車は走ってこない。
俺たちは時間を掛けながら道路を渡り、蘆屋さんのお婆ちゃん所有のアパートに戻った。
「私は着替えてきます。コートを持っていきますから、開けてください」
「もちろんよ」
冴島さんの部屋の呼び鈴を鳴らすと、秘書の中島さんが出てきた。
「麗子さん! どうしたんですか?」
「霊力をかなり消耗してしまったようでです」
「早く入ってください」
松岡さんが冴島さんの肩をおろした。
「松岡さん?」
「私はここで。お嬢様の部屋には入れませんから」
「そ、そうなの?」
「早く入って欲しいんだケド」
橋口さんが腕を組んで自分の胸を乗せ、そう言った。
「失礼しました」
松岡さんが下がって、橋口さんが代わりに冴島さんの肩をかついだ。
二人で冴島さんを横にして毛布をかけた。
あっという間に冴島さんは寝ていた。
橋口さんも、あくびをしながら言った。
「あの娘がコートを持ってきたら私の体にかけて。あれがあると早く回復できるの」
「はい」
返事を聞いたか聞かないか、という間に、橋口さんは横になっていた。
俺は壁に背中を預けながら、腰を下ろした。
「影山くん、コーヒー飲む?」
「あっ、飲みます。砂糖いっぱい入れて、牛乳も入れてください」
「えっ、牛乳? ……あ、あったあった」
コーヒーメーカーがいい香りで部屋を満たしたころ、呼び鈴がなった。
俺は立ち上がろうとして、力が入らなかった。
「大丈夫よ。私が出るから」
中島さんが玄関に言って、蘆屋さんを招き入れた。
「蘆屋さんもコーヒー飲む?」
「いただきます」
俺はヨロヨロと立ち上がって、蘆屋さんからコートを受け取ると、橋口さんの体にそっとかけた。
橋口さんも、冴島さんもまったく起きる様子がない。
「そうとう疲れたんだな……」
「お兄ちゃん、やっと二人きりになれたね?」
「!」
聞き覚えのあるその声に、俺は慌てて振り返った。
中島さんは仰向けで倒れている。
「中島さん!」
「安心して。寝てるだけだから」
「キサマ!」
「私は反魂の術をしようとした悪霊じゃないよ。お兄ちゃん」
「……どういうことだ」
「最初からいっしょにいたさやかだよ。本物の」
「冴島さんは人に魂の器はないと言った。だから蘆屋さんの体にいるとしたら……」
「本物ではない、と言いたいの? けど、本物なんだから仕方ないじゃない」
「何が目的だ」
「別に。お兄ちゃんといたいだけよ」
「う、うそだ」
蘆屋さん、蘆屋さんの姿をしたさやかは、手を広げて、首を横に振った。
「……ちょっとショックだったみたいね。私なりに奴らの目的は知っているから、お兄ちゃんに話してあげる」
「えっ」
奴ら、奴らというのは、屋敷にいた悪霊たちのことか。
「屋敷の重要な構造から話しをしておくわね。橋口さんと冴島さんが言ってたみたいに、壁には細工がしてあるの。それは、霊を逃がさないように、外からは入りやすく、中からは抜け出れないようになっているの」
「あの壁の模様が?」
「そう。本当は外側にも取り込みやすいように細工がしてあるんだけど、外壁の汚れとかでよくわからなかったんじゃないかしら。で、屋敷がそういう構造になっていると、どういうことが起こると思う?」
「えっ?」
俺は考えた。入ってきやすくて、出にくい。つまり……
「霊が溜まっていく、ってこと?」
「そうね。その通り。父はその為にあの壁を作ったの。霊を誘い込み、逃がさないように」
そんなに霊が集まってきたら……
自然と体が震えた。
「さすがお兄ちゃん。さっしがいいわね。屋敷にはものすごい数の霊が取り込まれている。気が付かなかったとおもうけど、霊を使って動かす仕掛けもたくさん作ってあるの。数多くの霊を取り込み、一部をエネルギーとして消費し、強い者を選択した」