(101)
冴島さんは蘆屋さんの体を手で触りながら、確かめている。
「うつ伏せになって」
「お兄ちゃん、ねぇ、この女なんなの?」
冴島さんが俺に目配せし、言う。
「影山くん」
「えっと、さやか。いいからいうこの女の言う通りにして」
「……」
俺は蘆屋さんのいる下を向けなかったが、目の隅に見えるわずかな表情からも不満げな雰囲気が伝わってくる。
「お願いだ」
「わかった」
蘆屋さんがうつ伏せになると、再び冴島さんが蘆屋さんの体を触り始めた。
時折、触るだけではなく顔を近づけたので、なにか女性同士がイケないことをしている、それを見ているような気分になる。
「麗子、頭。髪の毛は?」
橋口さんがそう言うと、冴島さんは髪のをとかすように何度も何度も指で梳いた。
「大丈夫そうね」
と言ってスッと立ち上がった。
蘆屋さんが起こったような声で言う。
「何が大丈夫よ! ……えっ? もう、いいの?」
二人は顔を見合わせ、無言で何かを伝えあったかのような間があった。
「ええ。いいわ」
蘆屋さんが立ち上がると、俺は首が折れそうになるほど上向きに曲がった。
「おにいちゃん!」
蘆屋さんが抱きついてきた。
距離がゼロになれば俺は首をあらぬ方向に曲げなくてもよかった。
「首が折れるかと思った。助かったよ」
「おにいちゃんの声が聞こえた」
「えっ?」
「ずっと、おにいちゃんが助けてくれる声が聞こえたよ」
「なんだろう、それ。俺、何も言ってないけど……」
俺に家族がいる、という意識が薄い。たしかにコウタケのおばあちゃんの家で、家族の写真らしきものは見せられたのだが……
「!」
蘆屋さんの細い腕が首に突き立てられ、俺は宙に浮いていた。
「ちょっと、凄い霊圧なんだケド」
「……」
驚いたように大きな声をあげた橋口さんと対照的に冴島さんは顎に指を当てて首をかしげるだけだった。
「麗子、どうすんのよ」
そう言って橋口さんが冴島さんの腕を引っ張る。
俺は…… 俺は…… 苦しく…… 何も考えらえない。
橋口さんが俺を降ろそうと蘆屋さんに体をぶつけるが、蘆屋さんはビクともしない。
まるで別人のようだ。
「影山くん。蘆屋さんに…… さやかさんに触れて。まだどこかに黒い煙が残っているんだわ」
「バカな、部屋中の霊圧を確認したんだケド」
触れるって、どこに振れたらいいんだ…… 俺は声が出せなかった。
俺の首を支えている蘆屋さんの手に触れた。
なぜ俺が蘆屋さんに、いや、さやかに触れなければならないのか…… もう一度、冴島さんが九字の印を切って倒せばいいだけのことじゃないのか?
違う。
蘆屋さんに憑いている黒い煙は、俺にしか剥がせないのか。とにかく、触らないと、煙を払わないと俺は……
蘆屋さんの腕に触れ、手のひらに力を込めた。霊弾を撃つ要領で。
「!」
ビクッと弾かれたように蘆屋さんの腕がぶれた。
俺は突然手を離され、バランスを失って床にしりもちをついた。
体が離れたことで、蘆屋さんの体が見える状況に置かれると、俺の首はまた奇妙な方向へねじ曲がった。
「冴島さん、命令解除してください!」
蘆屋さんは俺の腕をとって腕ひしぎ十字固めの格好になった。さすがに蘆屋さんの筋量だとしても、完全に決まってしまえば折ることは可能だろう。
「冴島さん、早く!」
冴島さんは何か小声でブツブツと言ってから、手を払った。
「ほらっ! 解いたわ」
俺は蘆屋さんを振り向くと、さっきから一番見てはいけなかった部分に指を伸ばした。
「これだ!」
手を振り上げると、そこに手のひら大の黒い煙、いままでとは密度が違う黒い煙が漂い始めた。
同時に、俺の腕を決めていた蘆屋さんの力が緩んだ。
煙は広がりながら、二本の角を持ったさっきの悪魔を形どった。
「まったく、世話が焼けるんだケド」
そう言いながら、橋口さんがムチを振るって動きを止める。
冴島さんが指を組み合わせながら九字の印を結ぶ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
冴島さんの手刀が放つ霊波を、俺はしっかりと見た。
よく見ると橋口さんのムチからも霊波が伝わって、悪魔を痛めつけていた。
なぜ見えるのかは分からなかったが、目に見えるかたちではこうなっていたのだ、と俺は思った。
残りかすが形作った悪魔も、再び冴島さんと橋口さんの力によって破壊された。
黒い破片は光ながら昇華して消えていく。
「説明して」
「えっ?」
消えていく黒い破片から、声のする方へ視線を移す。
俺の腕を挟むように足があり、その先には裸の女性の体があった。
この後のことを考えなければ素晴らしい情景ではあった。
「ねぇ。なんでこんな格好なの?」
「えっ、と」
俺はゆっくりと腕を抜こうとした。
「待ちなさい!」
この体勢がどんな技か知っていたのか、蘆屋さんは腕を引っ張って関節を決めた。
「ギブ! ギブ! 折れます。ごめんなさい!」
冴島さん、橋口さん、橋口さんのコートを羽織った蘆屋さんと俺は屋敷の門まで戻ってきてた。
橋口さんはここまでくる間中、神経質なほど霊圧メータを確認していた。
「どうしたんですか橋口さん」
「あたしと麗子の力はもう限界出し切ってるんだケド。ここで襲われたら全滅でしょ」
レーダー代わりに霊圧をチェックしていたということか、俺は思った。
門を開け、蘆屋さんが出て、冴島さんが続き、橋口さんも出て行った。
俺は門の横の鍵を取り出した。
そして、屋敷を出る前に振り返った。
「またくるから」
まだ二階が残っている。冴島さん曰く「やばいのは二階」だということだから、次に来る時は覚悟が必要になるだろう。この屋敷に入る限り、俺は逃げれない。
「はやくしなさい」
冴島さんが門の外からそう言った。
「……」
俺は外に出ると、小さい通用口の扉を閉め、鍵をかけた。
急に蘆屋さんの裏返った声が聞こえた。
「冴島さん!」