(10)
「斎藤さん、大丈夫ですから。落ち着いて」
俺は少し後ろに下がってキャビネットの影に隠れた。
そして、腕時計の表面にタッチし、竜頭をひねった。様々な漢字がクルクルと表示される。
「(とにかく、強くて、勝てそうなやつを……)」
これは一見◯ップルウォッチだが、GLPという名前の幽霊呼び出し装置で、俺がバイトとして与えられている唯一の道具だった。
「(早くしないと…… あっ、これにするか)」
表示には『鉄竜』と書いてあった。軽くタッチすると細かい説明が出るらしい。俺はそっとGLPに触れてみる。
「(……小さすぎて読めん)」
「影山くん!」
俺は決断するしか無かった。
「行け! 鉄龍!」
俺は現場監督と斎藤さんがいる方向にGLPを向けてから、竜頭を押し込んだ。
煙のようなガスが吹き出しているように見えた。いや、ガスじゃない、霊気なのだろう。向こう側にいる監督が歪んで見える。
そしてその歪みが急に収まったかと思うと、ドン、と重たい物が床に落ちた音がした。
「?」
俺は床に落ちたものを確認する。
シルバーのいかにも金属的な色で、先端は細く尖っている。そしてその先には持ちてのように太くなっている部分があり、そこには素晴らしい龍の細工がしてあった。
監督が、ナイフをこちらに向けて言う。
「なんだ、それは?」
「……」
正直に答えようか、ボケて笑いをとろうか、ハッタリをかまそうか、考えあぐねた上、正直に言った。
「鉄の杖では?」
「杖をどうするんだ?」
俺はゆっくりと持ち上げた。
「おっ、重っ……」
龍の細工部分にキラキラと光るものがあった。ガラスか、あるいは宝石?
「そ、その杖を譲ってくれ」
「へっ?」
俺はこれを渡したら冴島さんに何を言われるか想像して、ブルッと震えた。
「こ、困ります」
「いいから。譲ってくれよ」
「……」
「頼むよ」
監督は斎藤さんを離して、床に手をついて頭を下げた。
こ、これはどうなっているのだ? 俺はわけが分からなかった。
「じゃ、そのナイフをコッチに投げてくれたら、杖を渡します」
まさか、そんなことはするはずはない、と思っていたが、監督はあっさりとナイフを捨てた。
「ほら、これでいいだろう? その杖を譲ってくれ」
俺は床に杖をつきたて、頭の龍の部分を離した。
誰にも支えられない杖は、勢い良く床に向かって倒れ込む。龍の細工が床にぶつかって無傷でいられる保証はない。
「ばっ、バカ!」
監督は体を投げ出してその杖をすくい上げた。
監督と交差するように俺は斎藤さんを抱きとめた。
「斎藤さん。もう、大丈夫です」
そして俺は手を広げて斎藤さんと監督の間に立ちはだかった。
しかし、監督は全く気にしていないようだった。
「やったよ、鉄の杖だ。取っ手部分の細工もいい」
監督はうっとりしたように杖を見ながら、プレハブを出て行く。
「なんだったんでしょうかね?」
振り返る俺に、斎藤さんが抱きついてくる。
「現場監督は日頃から私の体に触っていて、今日はやけにその回数が多いな、と思っていたら急に『やらせろ』なんて言って来て……」
「そ、そんなことがあったんですか」
「もちろん、そんなことになる前に醍醐くんが救ってくれたから、無事だったんだけど」
大きなメガネ越しに俺を見つめてくる。
「ありがとう……」
斎藤さんの体は、やわらかくて気持ちいい。
それになんだかいい匂いがする。
俺は迷わず唇を近づける。
斎藤さんが恥ずかしそうに瞳を閉じる。
……と、手首に強い違和感。
「そこまでよ!」
何か、強力な命令が体を走った。俺は斎藤さんの背中に回していた手を自分の体側に添わせ、気を付けの姿勢を取った。
振り返れなかったが、この声は冴島さんの声だ。
「誰ですか、あなたは。醍醐くんとどういう関係?」
斎藤さんが、俺の横に顔をだして睨みつけるのが見える。
いきなりそういう問いただし方をするものだろうか、と直立したまま俺は思った。
「その子は私の使用人よ」
何かヒーターのように背中に温かい光が届いているような感覚が始まると、体が自由に動くようになった。慌てて振り返ると、冴島さんが立っていた。
斎藤さんが言う。
「醍醐くん…… この女の人、怖い」
修羅場…… 一瞬、モテ期が来たかと思った直後に、この修羅場はないんじゃないか。俺は神を恨んだ。
「影山くん、早く来て」
冴島さんが手招きした。何をおいてもあっちに行かなければならない、頭の中にそういう感じが湧き上がってくる。
「斎藤さん、ごめんなさい」
俺は振り返らず、その短い距離を一気に走った。
「醍醐くん!」
斎藤さんが叫んだ瞬間、プレハブ小屋の中の空気が揺れた。
同時に大きな音がし、一斉にガラスが割れた。
冴島さんの背後の扉はガラスが割れると同時に、扉ごとはずれてしまった。
俺も空気圧に押されて、プレハブの外に転がり出ていた。
「なんだ? 爆発?」
プレハブの中をのぞき込むと冴島さんと斎藤さんが、まるで何事もなかったように中に立っていた。
プレハブの内外には沢山の書類が舞っていた。
「冴島さん?」
「今のが決定的証拠ね」
冴島さんは斎藤さんに向かって言っているようだった。
「ガスや爆発物によるものなら、私も飛ばされていた」
「冴島さん? 何を言っているんで……」
斎藤さんの口元が歪んだ。
「なんだ、お前が本当の除霊士か。てっきりそっちの男の方だと思っていたが……」
斎藤さんは妙に低い、男のような声を出した。
「憑いているのがバレたとしても、簡単に除霊は出来んぞ」