嫉妬
人々の恐れるプティア大渓谷。そのような忌まわしき場所に、あるはずのない笑い声が聞こえる。
「イリス。背後に数匹、気を付けろよ」
「大丈夫。余裕」
渓谷にいる魔獣を狩る二人の陰。イリスと大地。強くなるためと、戦闘に慣れることを目的とした訓練だ。イリスと大地は樹海にいたときに行動を共にしていたせいか、戦闘でのチームワークはなかなかだ。
だがしかし、二人のチームワークの良さを、陰から見ていた者はあまりいい気はしていないようだ。
「・・・・・・・・・・」
イリアは悔しさに顔を染め、今にも決壊してしまいそうだ。
「ふぅ。今日も疲れたぜ」
「そうだね。じゃあ、その、マッサージとかしてあげてもいいわよ」
「じゃあ、お願いするよ」
「しょ、しょうがないわね。そこまで言うならやってあげるわよ」
明らかに仲の良さげな二人を見ているのが堪らなく苦しい。本来自分がいるはずの立場を奪われたことへの喪失感と嫉妬。自分はそこにいたい。だが自分は圧倒的に劣っている。
「なんで、私はこんなに弱いんだろう」
そう口にしたときイリアは決意した。だったら強くなればいい、と。
二人が岩穴へと帰ってきた。その顔はすごく満足気である。帰ってきた後は、それぞれ別のことをしている。大地は貴重な魔石が手に入ったと、武器を生成中である。壁にもたれ掛かって国から持ってきたであろう本を読んでいる。
時は経ち、辺りが暗くなった頃。二人は明日に備えすでに寝ている。だが、イリアの目はギンギンに冴えている。吸血鬼は夜の視界の中でも昼のように明るく見えるスキル、夜眼を持っているため夜間の行動もさほど困らない。
「あいつ(大地)を越える」
とてつもない執念を宿し、魔獣を探し始めるイリア。そして見つけては殺し見つけては殺す。向かってくる魔獣はことごとく殺され、息を潜め隠れた魔獣は容赦なく殺される。夜が明け明るくなった頃にはイリアの通ったあとは魔獣の残骸で埋め尽くされていた。
「ん、もう朝か。イリスは、まだ寝てるか。あれ、イリアがいねぇな。それにこの臭いは」
岩穴の中に漂う奇妙な臭いに不快感を覚える大地。気になって外を見ると大地の表情は驚愕に変わった。そこへイリスも目が覚めたのか外を見たまま固まっている大地に近より外を見る。言うまでもなく驚愕した。
「おい、なんだこれ」
「し、知らない」
現在進行形で驚愕中の二人に冷酷で、殺気に溢れたら声色で話しかけてくるイリアの姿が見えた。その手には魔獣の死骸がぶら下がっている。
「ねえ、見てお姉ちゃん。私、強くなったよ。だからそんな人間よりも私を選んでよ」
「これは、あんたがやったの?」
「そうだよお姉ちゃん。これであたしをお姉ちゃんの側にいさせてくれるよね?」
「わけわかんないわよ。こんなことして何になるの」
「そっか。まだ足りないんだね。じゃあ、もっともっと強くなるから。お姉ちゃんが認めてくれるまで。フフフフフ」
それだけ言うと行ってしまった。
「大地。行こう」
「待て。この渓谷は魔獣がうじゃうじゃいる上に九割以上が森だ。下手に行動すれば死ぬ可能性だってある。だから、もう少し待ってくれ」
「・・・・・わかった」
いつも以上に真剣な大地の表情にイリスはそう答えるしかなかった。
イリアが森の奥へと行ってから二日が経った。今すぐにでもイリアを探したい気持ちを押し殺し大地の許可が降りるのをただひたすら待ち続ける。
「大地。まだなの。まだ行っちゃダメなの?」
「・・・・・・・・・・」
「ねえ、大地ぃ。聞いてるの?」
「・・・・・・・・・・」
「ねえ、大地。ちょっと、返事しなさいよ」
「・・・・・・・・・・」
いくら呼び掛けても大地は反応しない。聞こえるのは大地が武器を作っている作業音だけ。その手つきはもはやプロを越えているのではないかというくらい素早く動いていた。
「はぁ、まだかなぁ。遅すぎるよ大地」
「・・・・・・・・・・」
「ねえ、大地」
「・・・・・・・・・・」
「ねえったら」
「・・・・・・・・・・」
「もう、返事してよ」
「・・・・・・・・・・」
「もういいよ。大地がそんななら私だけで探しにく。ふんっ」
イリスはそういって岩穴の出ていった。外はそろそろ暗くなりそうだ。魔獣もいるしイリス一人では殺される可能性だってある。いくら吸血鬼でも消化されたら生き返れない。そんな危険をかえりみずイリスは行ってしまった。その十数分後。
「できたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。完成だ。やったぞ。さあ、イリス、イリアを探しに行こう、ってあれ、いない。あいつまさか」
大地は大急ぎで岩穴を出た。吸血鬼化した大地でも夜眼は使えるお陰で森の中がはっきりと見える。
「くそ、どこに行ったんだ、イリスのやつ」
若干の焦りの色を浮かべる大地。身体強化を使い、能力を倍に引き上げる。巧みに木々を避け、凄まじいスピードで駆ける。
一方のイリスは吸血鬼の身体能力をいかし、木々の上を渡っている。物凄いスピードで。そして、イリスはとうとう見つけた。
「イリア。やっと見つけた。勝手にどっか行かないでよ」
「お姉ちゃん?」
「え、イリアなの?どうしたの?それ」
イリスの見たものは、イリアの手に握られていた。その手の中には魔獣の臓器が握られていた。足元には変わり果てた魔獣が転がっており、イリアの体には血や肉片が飛び散っている。その姿は吸血鬼そのものだった。可愛らしい容姿のまま心が鬼になってしまった。
「お姉ちゃん。なんで私を認めてくれないの?」
「違う。認めてないわけじゃ」
「じゃあ、なんで私がいるべき場所にあいつがいるの?」
「大地のこと?大地はそんなんじゃ」
「もういいよ。私を認めてくれないお姉ちゃんなんていらない。今ここで殺してあげる」
「なっ」
刹那、イリアは物凄い勢いでイリスに接近した。そして勢いをそのままに強烈な蹴りを腹部めがけて放った。魔獣を殺し続けたイリアのステータスは以前とは比べ物にならないくらい上がっていた。そんな蹴りを食らえばただではすまない。イリスは放たれた蹴りに耐えきれず後ろへ吹き飛んだ。木に激突したが勢いはおさまらずそのままに木をバキバキと折っていった。
「っは。ぐぅ。ぁぁぁぁぁ」
地面にうずくまり呻き声をあげるイリス。妹の豹変ぶりを受け入れられないようだ。まだ困惑の表情がうかがえる。だがそんなことはお構い無しに、イリアは高く跳躍し、かかと落としを叩き込んだ。紙一重で横に転がり回避するが、地面に叩きつけられたかかと落としは地面を砕きそこを中心に爆風を巻き起こした。その爆風に飲み込まれ森の奥へと吹き飛ばされる。暗い森の中、常人なら見失うだろうが吸血鬼の夜眼は逃さない。はっきりとイリスの姿をとらえたイリアは地面を強く蹴りイリスに接近した。
「死ね」
全力でイリスの腹部へとパンチを放つ。その拳はイリスを貫いた。そしてそのままイリスを宙にやると、空中のイリスめがけて魔法を発動した。
「上級魔法、絶対零度」
その瞬間、イリアの手からおびただしいほどの吹雪が吹き荒れた。その吹雪は狙い違わず、イリスを飲み込んだ。イリスの体はたちまち凍てつき固まった。そして落下し体は粉々に砕けた。だが吸血鬼である以上死ねない。バラバラになった体は互いに引き合い結合し、もとのイリスへと戻っていく。
「はあ、はあ、はあ。イリア。こんなことはやめなさい。誰の得にもならないわ」
「もう、遅いんだよ」
「待って。ちゃんと話を聞い」
最後まで言い終わる前に何かが邪魔をした。全長十メートル。トカゲのような形、蛇のような目、悪魔のような羽根、触手のようなものが背後についている。そう、ドラゴンだ。全身がどす黒い色をしているため接近に気づかなかったのだ。おおかた、イリスとイリアの戦闘で引き寄せられたのだろう。
「な、なんでここにドラゴンが」
「お姉ちゃんと私の邪魔をするなら、誰であろうと許さない」
言い終わると、力強く跳躍し渾身の蹴りをドラゴンの脳天めがけて叩き込む。効いているようだがダメージは小さい。そして地面に着地する前にドラゴンはイリアを凪ぎ払った。埃を払うかののように軽く。たったそれだけでイリアは十数メートルも吹き飛ばされた。
「このぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
自分の攻撃が通じないことに焦りを感じたのか滅茶苦茶に攻めるイリア。だが、どの攻撃もやはり弱すぎるようで、
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
凄まじい咆哮と拳によってイリアは粉砕された。すぐさま再生をして体制を立て直すが勝機はゼロに等しかった。それからは戦闘にすらならなかった。ドラゴンの一方的な蹂躙劇だった。粉砕されては再生、粉砕されては再生を繰り返す。激しい痛みに耐えながらも限界は来る。血が無くなっていき再生スピードが遅くなっていく。
「まずい、逃げないと」
これ以上は本当に死ぬかもしれないと判断しその場を離脱する。木々の間を器用にすり抜けていく。もちろんドラゴンも逃がさない。木々をなぎ倒しながら凄まじい勢いで迫ってくる。
「・・・・・・・・・・」
その様子を指をくわえて見ていることしかできなかったイリスはハッと我に返るとドラゴンを撃墜すべくあとを追う。イリアとドラゴンではイリアの方が速い。徐々に差をつけていく。それに追い付けないと悟ったのかドラゴンはその場で停止した。そしてイリアをまっすぐに見つめ、大きく息を吸った。
「まさか。くそ、間に合わない」
「しまった。イリアが」
ドラゴンの攻撃が放たれる。口から噴火のような炎を吐き出す。イリスの位置からではどんなに頑張ってもイリアに届かない。炎がイリアに迫っていく。範囲が広すぎるため避けきれない。そしてついに、
「あああ・・・・・・・・・」
短い悲鳴と共にイリアは炎に飲み込まれた。イリアとイリスの距離はたった百メートル。もうちょっと早くいけば助けることができたかもしれない。それができなかった自分を責めるイリス。炎が消えればそこには影も形もないイリスが・・・いや、影も形もある。地面にペタンと座り込むイリアの側に人影がある。そう、それは
「だいちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「よ、イリス。そしてイリア」
大地であった。ドラゴンとの戦闘は離れていても震動で伝わったようだ。だが正確な位置の特定に戸惑ったせいか遅くなった。
「大地」
「下がってろ。あとは俺がやる」
心配するイリスを尻目にドラゴンとの間合いを一気につめる大地。イリス達には言っていないが吸血鬼になった際に身体能力が数十倍にもアップしたのだ。ただ、まだなれていないため全力を出すことは難しい。現在大地が出せる限界は四十パーセント。ちなみに四十パーセントでの大地のステータスは、
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
名前:大神大地 年齢:16 職業:鍛治職人 レベル:???
筋力:6860
耐性:6860
魔力:6860
魔耐:6860
能力:鍛治・錬成[+気体]・鑑定・身体強化・夜眼・魔力操作
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
魔力に偏っていたステータスは吸血鬼になったときにバランスよく分けられた。レベルは、大地の体に突然変異が起こったため壊れたのだろう。吸血鬼になった際にイリスの所有していたスキルをいくつか使えるようになった。夜眼は暗い場所でも普通に見えるスキル。魔力消費量が少ないため継続的に使える。
もうひとつの魔力操作は魔獣と同じ。人間は詠唱することにより魔力を操り魔法を発動するが、魔獣は魔力を直接操るため詠唱が必要ない。その分速く魔法を発動できる。
今回は一部のスキル使わない。ドラゴンの足元まで来ると一気に跳躍し体を駆け登る。背後まで回り込むと身体強化で能力を三倍にし、強烈な拳を叩き込む。
「ガァァァァァァァァァァァァァァァ」
ドラゴンは咆哮をあげ背中についている十数本の触手を大地にめがけて放った。物凄いスピードで襲ってくる触手をさらに身体強化して避ける。そのままに地面に着地し器用に木々を避ける。避けて、避けて、避けて、避けて、避けた。するとドラゴンの触手が動きを止めた。
「へっ、考えなしにそんなもん振り回してるからだ」
大地は木々を避け続けることで触手と木々を絡めたのだ。だが、木が壊れるのも時間の問題。大地は急ぎドラゴンを駆け登り、頭部まで到達すると、
「これで終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
咆哮にも似た叫びをあげ身体強化、十倍で脳天に拳をぶつける。その拳はドラゴンの頭蓋骨を破壊し、貫くまでではないが深くめり込んでいる。
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
だがドラゴンは最後の力を振り絞るように全身を発熱させた。その熱は二千度。マグマよりも熱い。大地は身体強化のしすぎで体がズタボロのせいか力なく地面に落ちるとそのまま動かなくなった。このままでは大地がドラゴンと共に焼けてしまう。なす術無し。イリスはそう思い目を閉じた。だが、展開はイリスの予想とは全く異なっていた。
「上級魔法、絶対零度ぉぉぉぉぉ」
そこには、イリアが必死の表情で魔法を放つ姿があった。発熱したドラゴンを凍らせる。無謀すぎるやり方だった。消耗した体力で二千度を凍らせるなんて勝機の沙汰じゃない。でも、その表情に迷いはなかった。
「あああああああああああああああ」
吹雪の勢いはさらに強くなりドラゴンの体が凍てつき始めた。だが遅い。ドラゴンの体を凍らせるにはまだ遅い。イリアがガクリと膝をつき、息を乱すと、すぐ側から
「上級魔法、絶対零度」
イリスだった。二人の上級魔法がドラゴンの体を徐々に凍てつかせる。腹部から、胸部、腕、足、尻尾、背中、頭部。やがてドラゴンは氷の檻に閉ざされた。
「ハアハアハアハア」
「はあ、はあ、はあ、はあ」
イリスとイリアはその場で倒れこみ、息を整えている。二人ともすでにボロボロ。可愛らしい服も顔も土がついている。
「二人とも。よく、がんばった、な。はは、えらい、ぞ」
途切れ途切れの話し方を不思議に思う二人。身体強化は魔力によって体を強くする。故に強くしすぎると体が耐えられないのだ。今回はギリギリだったようで、すでに体が参っているようだ。といっても吸血鬼という体質のため徐々に治っていくが。
そして大地が助けにきてくれたことに喜びを禁じ得ないイリス。喜んでいる反面複雑そうな顔をしている者もいる。
「人間。その、今回は悪かったわね。私のせいで」
「悪いと思ってるなら俺の言うことをひとつ聞け。反論は認めない」
「何をさせる気なの」
「お前は居場所がないから怒ってたんだよな?」
「・・・・・・はい」
「だったら、お前がイリスの横に来ればいいじゃないか」
「そういう場所じゃなくて」
「ん?じゃあどういう場所なんだ?」
「はあ、もういいわ。じゃあ」
若干呆れ気味にそう言って、イリアは大地の横に立った。
「私はここでいい」
「そうか。お前がいいなら構わんが」
「ふふん」
大地の隣に立ち嬉しそうな表情を浮かべるイリアをイリスは凝視している。ドラゴンとの戦いに引き続き新たなバトルが開幕したようだ。