プティア大渓谷
「ハハハ、鬼をかばって死ぬとは愚かな奴だ。鬼は見失ったがまあいいだろう。おい引き上げるぞ」
煙が上がり樹海の一部が焼失している。帝国兵による百の魔法がこの状況を生み出した。その魔法で一つの命が失われようとしていた。
樹海内を必死に走る影が一つ。爆発直前で樹海の奥へと投げ飛ばされた少女、イリスである。死は免れたがそれに対する代償は大きかった。大事な人の死と自分の生によって成り立っている今の自分を殺したい。そんなことを思い急ぎ飛ばされた道を引き返す。生きていてほしい、そんな願いを抱きながら。
だが願いはかなわず、イリスが見たのは四肢がもげ、右目を失い、腹部に激しい損傷のある体、大地の体だった。百の魔法を同時に受け体が吹き飛ばされてしまったのだ。薬による回復ではもう治らない。死人同然のそれに手を置き揺さぶった。
「大地、大地。ねえ起きてよ大地。また一人にするの?もう嫌だよ」
だが少女の声はただ樹海の奥に溶けるように消えていく。そして静寂が訪れる。
少女は大粒の涙を溢しながら、大地だったものを担ぎ、樹海をさ迷っている。聞こえるのは少女の嗚咽と木々が揺れる音だけ。
このまま永遠に続くと思われた少女の行動についに終止符が打たれた。静寂な樹海に響く嗚咽と、それをかき消すような声。
「お姉ちゃん」
その声の主は、十一歳くらいで金髪にボブカットの幼い少女だった。イリスをお姉ちゃんと呼ぶところをみれば恐らく妹だろう。だが、こんなところになぜいるのか、その答えは少女が語ってくれた。
「私は地下牢に入れられてたんだ。お姉ちゃんよりも気が弱いからここにいると国民に示しがつかないって」
「・・・・・・・・・・」
「それでずっと地下にいたんだけどなんだか国が騒がしくなっていて警備が手薄になったの。だから逃げてこられた」
「ねえ」
「どうしたの」
「吸血鬼って吸血した相手を吸血鬼にできるんだったわよね」
「そうだけど」
「フフ」
そういうとイリスは担いでいた大地だったものを降ろしその首もとに口を近づける。
「待ってお姉ちゃん。その人は人間だよ。吸血するだけならともかく、吸血鬼にするにはそれなりの肉体が必要なの。でもそんなのもうただの死体だよ。吸血鬼になる前に壊れちゃうよ」
イリスの妹はただ止めただけなのだろうがイリスには自分を否定されたように感じたようだ。その瞬間、イリスは怒りをあらわにし妹の首を掴み地面に叩きつけた。
「あんたに私の何がわかるの。大事な人殺されて、なにもできなかった。生きてるのが許せない。生き返らせたいって思うことの何がいけないの」
「お、おね、ちゃ」
「もういいよ、私を否定する妹なんて要らない。殺してやる」
「ま、待って。おねえ」
グチャ、ボキッという音と共に妹の首と胴が千切られた。イリスはすかさず土系魔法で千切られた部分を覆う。これは大地との戦闘の際に覚えた技術である。しばらくすると妹が意識を取り戻した。吸血鬼であるがゆえに首が千切れても死なないのだ。
「お姉ちゃん、何するの?はやくこれ解いてよ」
「私は大地を生き返らせる」
「その人間の体じゃ無理だよ」
「やる。絶対に」
そう断言して大地の首もとに口を近づけ血を吸う。その様子を側で見ていた妹はこの世の終わりのような顔をしている。まるで、イリスの行為が悲劇を招くことを悟ったように。
「っはー。さあ、これで大地は吸血鬼として生き返るはず」
「だめだよ、お姉ちゃん。もう終わりだよ。逃げないと殺される」
「言っている意味が理解できないわ」
「お姉ちゃんは吸血するときにどんなことを思いながら吸血したの?」
「大地をこんな目に合わせたやつらを殺したい」
その言葉を聞くと妹は諦めたように目を閉じた。大きく深呼吸をしてイリスにこれから起こることを説明した。
「相手を吸血鬼にする場合、強い感情を抱いているとそれが相手にも影響するの。たとえば今みたいに、殺したいと強く思いながら吸血したらその人間は殺すことに固執する。もう遅いんだよ、お姉ちゃん」
「はあ、訳がわか」
その話を遮るかの如く一人の悲鳴が樹海にこだました。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
イリスと妹は驚いたようにそちらを凝視した。そこに立っていたのは姿こそ大地だがどこか違う。目に光がない。死んだ魚のような目だ。その目はジーっとイリス達を見ている。そして、
「・・・・・・・・・・殺す」
次の瞬間イリスは物凄いスピードで切り刻まれた。ほんの一瞬。たったそれだけの間にイリスは真っ二つに引き裂かれていた。すぐさま再生をしてもとに戻るイリス。
吸血鬼になる際、体が壊れるような痛みを伴う。体が弱ければその痛みに耐えきれず一気に壊れる。だが、大地は身体強化が使えた。その効果は魔力が続くまで。まだ残っていた魔力が大地の体を強固なものにしていたのだ。
「くっ。あんたも手伝いなさい。どうなってるのよ」
「私に策があります。あの人間の動きをしばらく封じてください」
驚異の進化を遂げた大地が手に負えなくなり魔法を解き妹に助けを求める。どうやら妹は解決策を知っているようだった。ここは妹に任せ魔法を発動。土系魔法で大地の足を固める。そして、魔法に重ね胸部に蹴りをいれる。さすがの大地でももろにくらった蹴りは効いたようでその場で膝をつき呻き声をあげた。
「こ、ろ、す」
「大地、はやく戻って」
そこで妹の準備が終わったようだ。妹は右手を前に出すと全身に力をこめ魔方陣を作る。次の瞬間魔方陣からもくもくと煙のようなものが吹き出した。その煙が大地を包み込み、次第に大地の意識を奪っていく。そして、大地は動かなくなった。
「だ、大地?ちょっとどういうことよ。何で大地を殺したの」
「死んだなら生き返らせればいいじゃないですか、お姉ちゃん?」
「言われなくても。絶対に大地を助ける」
そういいゆっくりと、恐る恐る首もとに口を近づけるイリス。改めてやると恥ずかしいのか、顔がほんのりと赤くなっている。その様子は白雪姫にキスをする王子のようだ。立場は逆だが。
「ん・・んん・・・・・・ん」
十一歳くらいの見た目に反して、艶かしい声をだすイリス。しばらくそうしていると大地の体がビクンと動き、勢いよく深く呼吸をすると、ムクリと体を起こす。
「ああ。頭がボーッとする。何で俺はここにいるんだ?」
「だ、だいじー。よがったー。いぎがえっだー」
涙で顔をグシャグシャにしながら大地に抱きつくイリス。さながら父親に抱きつく娘のようだ。その様子を側で訝しげに眺める妹。大地は知っていた。この少女を。正確には知っているのではなく、見たことがある。そう、大地が鬼の国の地下牢を脱出する際にチラッとみた人影。それがイリスの妹だったのだ。
「お前は地下牢にいた奴だな」
「はいそうです。私はあの時、あなたを見ました。ですが、あなたとお姉ちゃんに接点があったとは驚きでした」
大地に対して敵意剥き出しの態度は、和やかだったそれまでの雰囲気を一気にぶち壊すような空気へと変わった。
「そういえば挨拶がまだでしたね、私はイリア・アルテミス。お姉ちゃんの妹です」
「俺は大神大地。イリアとは友達みたいなもんだ」
「友達、ですか」
「ああ」
見えない火花が飛んでいるような雰囲気に、さすがに居心地が悪かったのかイリスが止めに入る。
「ちょっと、あんたたちやめなさい。醜いわよ」
「はい、お姉ちゃん」
「ちっ」
「そういえばどうしてあの時、私は大地をもとに戻すことができたの?」
「吸血鬼化させる時させる側の心情に作用される。それだけです」
説明されると案外簡単だった。それを見抜けなかったイリスは顔を赤らめている。
「なあ、イリス。お前置いていったくせにこんなこと言うのも図々しいかもしれないが、そのなんだ、お前と一緒にいてもいいか?これからも」
「愚問ね。そんなの当たり前じゃない。むしろ私からお願いしたいくらいだわ。だって、もう一人は嫌だもの」
大地とイリスはお互いを見つめ合い今にもキスをしてしまいそうなくらい顔を近づけている。その気はないのであろうが第三者からは誤解を受けそうな状態だ。故に
「二人だけの世界を作るのはやめてください。特に大地さん。お姉ちゃんにあんまり近づかないでください」
二人の間にわって入るイリア。どうやら大地を気に入っていないらしい。物凄く睨んでいる。胃が痛くなってしまいそうなほどである。
大地を睨み終わると、さあ行きますよと先頭をきって歩き出した。どこに行くのか大地とイリスには見当がつかないのかポカンとしながらあとに続く。
「イリア、今からどこに行くの?もう国には戻れないわよ。大地も私たちも」
「これから行くのはプティア大渓谷。あそこは危険な場所ですが、生活する上で食べ物にも住む場所にも困らないなかなかいい場所です」
「・・・・・」
姉妹二人で渓谷の話で盛り上がっている後ろで険しい顔をする大地。その表情からはただならぬオーラを感じさせるほどに。
三人は樹海を離れ、鬼の国のさらに向こうにある河を渡り、その先にある大きな溝へと到着した。元々身体能力の高い吸血鬼二人に、大地が身体強化で調整し凄まじいスピードで移動をしたせいかプティア大渓谷まで丸一日ほどで到着できた。帝国兵であれば三日のところを一日。化け物ようなスピードである。
「ここが、プティア大渓谷。おっきい」
「圧巻だな」
「それではここから降りましょう」
プティア大渓谷。幅二百メートル。この渓谷内では魔獣の好む魔素が豊富にあるため、強力な魔獣がうじゃうじゃいるのだ。この渓谷内の魔素は普通の魔素とはちがい、人間には有害なため、たった一日その魔素内にいるだけで死に至る。
「なあ、ここの魔素は有害なんだろ。俺、危ないんじゃないのか?」
「あなたはすでに吸血鬼です。ここの魔素は有害どころかパラダイスですよ」
「そうか」
自分が吸血鬼になっていたことをすっかり忘れていた大地をからかうように説明をするイリア。しかし、その容姿故に怒れない。
渓谷内を雑談をしながら歩いていると遠くの方から震動が伝わってくる。距離にすると二キロほど先。そこまでの距離がありながらこの震動。ただ者ではないと三人の表情が強ばる。しばらくそうしていると震動の主が姿を現した。
一言で言うなら、ばかでかいゴリラだった。体には魔獣の血が飛び散っておりその目は相手を食糧としか見ていない冷酷な目だった。そのゴリラはこちらに気がつくと、
グァオォォォォォォォォォォォ
凄まじい咆哮とスピードでこちらに強烈な拳を叩きつける。間一髪で横に避けた大地達はさっきまで自分達のいた場所を見て戦慄した。
「ったく。化け物が」
「くっ」
「予想外でした。こんな化け物に遭遇するとは」
そこには半径五メートル、深さ一メートルほどの穴が空いていた。当たれば間違いなく粉砕されていただろう。三人の表情はさらに強ばる。
「行くぞ、イリス」
「うん」
二人は軽い合図をし、大地は跳躍をし、イリスは魔法を放った。イリスの土系魔法で動きを封じ、イリスに注意を引かせ、無防備な脳天に身体強化状態でのパンチをお見舞いする作戦である。
「ふっ。あんたなんか私一人で押さえられるわ。大地」
「おお。うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「グァオォォォォォォォォォォォ」
だがその作戦は失敗に終わった。ゴリラは土を振りきり大地めがけて強烈なパンチをお見舞いした。ギリギリで身をよじらせ回避するが、右手が吹き飛ばされてしまった。あまりの苦痛に地面に倒れこむ大地。そこへ追い討ちをかけるようにゴリラはパンチを放つ。
「くっ」
地面を転がり何とか回避する。吸血鬼のため腕がニュルリと生えてきた。気持ち悪そうな表情をしたのは一瞬。すぐに狩人の表情になる。そして、圧縮酸素を相手の口めがけて投げ込む。口付近で破裂した酸素の塊は一気に肺に流れ込みゴリラを苦しめる。だがまだ死ぬには足りない。そこへ
「食らえ」
イリスお得意の上級魔法、紅蓮。消費魔力が大きいがこの魔法ひとつで森が一つ消せるほどの火力だ。それをゴリラめがけて放った。
「ぐぅあぁ」
短い悲鳴と共にゴリラは焼失した。残ったのは灰のみ。さすがのゴリラでもこの魔法には耐えられなかったようだ。なす術もなく消された。三人でその場に座り込み乱れた呼吸を整える。
「じゃあ、寝床を探そう。ここは危険だ」
「そうね、崖を掘って空洞を作れる?大地」
「愚問だな。完璧だ」
「さすが大地ね」
「あたりまえだ。さあ行くぞ」
この場は危険であると判断した大地が安全な寝床を確保する案を出した。反論はなかった。三人は崖の方へと歩み始めた。ただ一人暗い表情をしながら。
崖につくや否やで大地は鍛冶スキルを利用し崖の岩部分をどんどん加工していった。数分もすれば一軒家がまるごと入りそうな大穴が出来上がった。あとは入り口付近を岩で塞ぐ。明かりは輝光石を使う。何年も発光し続けるため明かりとして利用されているのだ。
「ふう、疲れたな」
「そうだね」
「・・・・・」
広い空間の片隅で体操座りで暗い表情をしているイリア。大地もイリスも気になってはいたがなかなか聞けないでいた。しかし、ついに痺れを切らした大地が言った。
「おい、イリア。さっきから何で落ち込んでんだよ。こっちまで気分悪くなってくるんだが」
「すいません。でも何でもないですから」
「・・・・・あっそ」
どう見ても誤魔化しているとしか思えない反応に、敢えて気のない返事で返す大地。イリスはイリアのことが心配なのかおどおどしている。
結局、三人はそれ以上何も話さないまま、夜を迎え越して朝を迎えた。ふさいだ岩に頭三個分くらいの穴を開けると大きく背伸びをし、眠りこけているイリス体に手を置き、ユサユサと揺らした。
「ん・・・んっ」
ぐるりと寝返りをうったイリス。寝ている間に、はだけた服から、二つの山が見えてしまっている。決して大きいわけではないが形が綺麗で実にそそられる山である。だが、そんな山には目もくれず、首もとに手を当て上半身を起こすように抱き抱える。すると、コテンと大地のお腹に頭が当たってしまっている。さすがに耐えられなかったのかとうとう口を開いた。
「おい、起きろよ。もう朝だぞ」
「んぁ、あさぁ?そっかぁ、おはよぉ、大地」
目を擦りながらぶつぶつとそんなことを言うイリス。寝起きのイリスはなぜだかとても魅力的だ。他から見ると、朝、彼女を起こしに来た彼氏のような感じになっている。この二人をリア充といっても疑われる余地などないだろう。一方の妹の方は、
「もう朝ですか。早いで、す、ね」
最後の方がだんだん弱くなっていきうまく聞き取れない。その表情はあり得ないものをみたような感じだ。その目線の先には、
「お姉ちゃん、と人間!!」
姿勢を低くした大地に上半身を支えるように抱かれ、その大地のお腹に頭を当てて上目遣いで大地を見る姉の姿と、姉をタブらかそうとする冷酷無比な大地の姿があった。もちろんタブらかしてはいない。イリアの勝手な勘違いである。しかも、イリスの服は所々はだけていて大事な部分が見えてしまっている。それをみたイリアは
「二人はこんな朝早くから何をしているんですか?」
「見てわかるだろ。起こしてるんだ」
「そうそう。起こしてもらってるの」
「全然それっぽく見えません。それに今この状況で本来すべき反応は別にあるはずです」
「ん?あ、なるほど」
大地とイリスは一瞬訳が分からないといった感じだったが、お互いを見た瞬間それは納得に変わった。
イリスの体はとても肉付きがよく、少し低めの身長に、少女感溢れる可愛らしいお腹に、二つの山、いつもは結んでいる髪の毛をおろしている時の色っぽさのあるイリス。大地の体はたくましく、腕や腹、足の筋肉は文句の付け所がない。寝起きだからなのかいつもよりも柔らかな表情。それらを見たお互いは自然に、しかしブッ飛んだことをいい放った。
「すごく、綺麗だよ。イリス」
「大地の、すごくたくましい」
「おい、待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
二人はビックリしたような目でイリアを見る。何がと言いたげな二人にイリアはストレートに言った。
「エッチィのは嫌いです」
「おい、イリア。なんでそのネタしってんだよ」
「大地、私たちはエッチィのかな?」
「そんなことはない。これはいたって健全なスキンシップだ」
朝っぱらから三人揃って騒がしい限りである。一応岩には穴が開いているのだからそこまで騒げば魔獣がよってきてしまう。と、その矢先に昨日のゴリラよりは弱そうな魔獣がこちらを覗いている。これを見た三人の考えは、
「「「邪魔すんな」」」
完璧に一致した。次の瞬間、魔獣は天に召された。魔獣でさえもこの三人にわって入ることは不可能なようだ。喧嘩をしておきながら実に仲がいい。
「魔獣、狩りに行くか?」
大地の問いかけに残りの二人はニヤリと笑い、殺気溢れる声で、
「「もちろん」」