空想の怪物
陽の光が強く照りつける浜。多くの人でごった返している中、異変に気付いたものは極僅かだった。
「大地、あの音は何?」
「分からない。だが、異常に大きいうえに、水中での進み方が独特だ。あの動きは船じゃない」
「そうですね。魔獣のような気もします」
「その通りだと思う」
浜辺で妙に真剣な顔をしているのは大地、イリス、イリア、夜空だ。接近してくる何かを察知し、戦闘準備をしているのだ。
「そう言えば、夜空。お前、さっき何か言いかけてなかったか?」
「さっき?」
「泳げないお前の練習をしてた時」
「泳げるもん」
「で、何を言いかけてたんだ?」
「・・・・・今近づいてきてるのは」
夜空が言い終わる前に、海に巨大な魚影が現れた。
「おい、なんかいるぞ」
「なんだあれ」
「ちょっと気味悪いな」
どうやら浜の人達も気付いたようだ。ひそひそと海に浮かんだ魚影について話している。
「あの形・・・・・どこかで」
ぼそりとそう呟いた。
「大地、知ってるの?」
「ああ、だが奴は空想の生物だ」
「空想、ですか」
「おにいちゃんは多分間違ってないよ」
どうやら大地には海に浮かんだ魚影に見覚えがあるようだ。大地は思い出すように魚影の正体を語り出す。
「昔、人々の乗っている船が何かに沈められた。それも一回だけではない。何度も。決まって船は大破していて、生存者は両の手で数えるほどしかいなかった。生存者は言った」
そこまで大地が言うと、変わって夜空が語り出す。
「あれは怪物だ。何本もの触手で船を壊した。黒い液体を出して泳ごうにも泳げなかった。そして、喰われた」
そして大地が語る。
「人々は船を沈めた何かの事をこう呼んだ」
僅かな間を置いて、大地と夜空は同時にそいつの名前を口にする。
「「クラーケン」」
その名を言った途端、海に浮かんだ魚影がその本体を現した。
「!!!!!・・・タコ」
「お姉ちゃん、クラーケンですよ」
「でも、あれはタコだよ」
「まあ、いいです。タコっぽいですし」
ありがちなボケをかましている間にクラーケンは八本の触手のうち一本を凪ぎ払うように浜に放った。
凄まじい轟音が鳴り響く。地を揺るがすような轟音に浜にいた人々は我先にと逃げ出す。だが、
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン」
甲高い咆哮をあげ、二本の触手を放つ。放たれた触手は浜に取り付けられた二つの階段を粉々に粉砕した。
この浜は二つの階段で街と浜を行き来できる。階段の長さは二十メートル。階段を使わずに街に行けるような坂はない。階段以外は見事に崖のようになっている。登るには二十五メートルほどジャンプしなければいけない。
二十五メートルの跳躍。クラーケンの全長は百メートルほど。飛んでいる者を弾くことは埃を払うようなことでしかないのだ。跳べば確実に補食される。その恐怖から、誰一人として跳躍する者はいなかった。
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン」
再び放たれる触手。その触手は学園の生徒に向かって降り下ろされた。死を覚悟した学園の生徒は目を閉じて体を屈めている。
勢いよく降り下ろされた触手は大量の砂を舞い上がらせた。
「・・・・・・・・・・あ、あれ。生きてる」
「ほんとだ。何で?」
「何があったんだ」
確実に死んだと思われていた生徒達は触手が当たるギリギリのところでうずくまっていた。つまり、無事だったということだ。全長百メートルの怪物の触手で死ななかった生徒達。その答えは一人の人物だった。
「くっ・・・・・危なかった」
そこにいたのは、防御系の魔法を展開したキルケだった。風系の上級魔法、風壁。強固な風壁はクラーケンでも壊すのは容易ではない。
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン」
攻撃を防がれたクラーケンはキルケがただ者ではないと悟ったのか戦闘体制に入った。
八本の触手を構える。どうやら本気のようだ。
「学院、学園の生徒は出来る限り端によれ。被害を最小限に抑える」
どうやらキルケも本気を出すようだ。端によれ、その指示に従い浜にいる千人近くの人が浜の両端に分かれた。大地達も端によっている。力を抑えたい故の行動だ。
「さて、いつぶりだろうか。本気を出すのは。試練の時以来だね。結局支配者には勝てなかったけど」
キルケ・テイレシアス。過去にプティア大渓谷の試練に挑み、支配者までたどり着いたものの、支配者の圧倒的な力には敵わなかったようだ。それでも、人間の中では五本の指に入るほどの実力者だったという。
「準備はできてる。どっからでもかかってきな」
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン」
クラーケンは三本の触手を同時に放った。右、左、上。三方向からの触手を身をしならせてかわし、高く跳躍する。クラーケンの眼前に来ると雷系魔法を放った。
「万物を突き刺す神の矢よ、悪を罰せよ、雷斬」
直後、クラーケンが一本の稲妻に貫かれた。一本の稲妻はクラーケンの触手と同等の太さで、クラーケンの左目を潰した。
「フゥゥゥゥゥフゥゥゥゥゥン」
「どうだっ」
「フゥゥンッ」
クラーケンもただやられているだけじゃない。一本の触手でキルケを浜に叩き落とした。
「ちっ、タフだな」
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン」
浜に片膝を突きクラーケンを見上げるキルケ。ここで攻守交代、クラーケンの反撃が開始した。しかし、それは反撃と呼べるほど甘いものではなかった。
「なっ」
「フゥンッ」
クラーケンの触手は音速を越え、キルケが避けようとした頃には触手は狙いたがわずキルケを弾いた。
広い砂浜を十数メートルにも渡って転がるキルケ。キルケだからこそ十数メートルで済むが、常人が今の攻撃を受ければ弾かれる以前に体が弾け飛ぶ。キルケが強いのは明白だ。だが、クラーケンはさらに上をいく。
「全く見えなかった。まだ本気じゃないってのか」
「フゥンッ」
再度、音速の触手が繰り出される。しかし、今度は三本同時に。往復ビンタのように繰り出される触手は、キルケを音速の攻撃の檻へと閉じ込めた。一本目の触手によって弾かれたキルケは、二本目によってさらに弾かれる。さらに三本目によって弾かれ、一本目に戻る。
「フゥンッ、フゥンッ、フゥンッ、フゥンッ、フゥンッ」
一方的なクラーケンの蹂躙にキルケはなす術がない。そして
「フゥンッ」
バシッと弾かれたキルケは浜の端の方に飛ばされた。飛んできたキルケに生徒達は助けようとクラーケンに魔法を発動しようとするが、キルケはそれを止めさせる。
「標的は私だ。お前達に危険な仕事はさせられない」
「でもっ」
「もし、私が死んだら奴は私の死体を補食するだろう。その間に僅かな時間が生まれる。その間に逃げるんだ」
「そんな、出来ません」
「誰かがやらなきゃならないんだ」
「それなら他の誰でも」
「他の誰かなら死んでもいいのか。お前の友達かもしれないぞ?」
「そ、それは」
「お前らはまだ若い。見殺しにするには惜しい存在だ。それに」
「?」
「私は教師だからな」
目の前で繰り広げられる生徒と教師のドラマチックな会話を聞かされていた大地は。
「お前ら・・・・・・・・・・覚悟は出来てるか?」
「それ、答えないとダメ?」
「愚問ですね」
「当たり前じゃん」
大地の問いに反論はない。大地含め四人は覚悟を決めた。
「先生、もういいです」
「三年Eクラスの大神か。だが、やつとやりあえるのは私しか」
「一方的にやられていてやりあえる、という言葉は適切じゃない」
「ステータスオール20のお前には言われたくないな」
オール20。その言葉にその場にいたEクラスをのぞくすべての生徒が驚愕の色を露にした。
「弱いくせにキルケ先生に何言ってんだ」
「雑魚は引っ込んでろ」
「お前、イケメンだからって調子乗んなよ」
案の定、罵声を浴びせられる。しかし、その罵声を受け流し、堂々と言った。
「俺は先生よりも強い。それを今から証明する」
「何をっ、痛」
「先生はそこで見物しててください」
それだけ言ってスタスタと浜の真ん中まで歩く。イリス達もいっしょだ。生徒たちからは
「イリスちゃーん。戻ってくるんだ」
「危険だよ、イリアちゃん」
「そんな男のどこがいいんだよ夜空ちゃん」
三人目は明らかにおかしいが、イリス達はその言葉を受け流す。
「クラーケン、今日がお前の命日だ」
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ」
降り下ろされた二本の触手は触手は、キルケの時ほど速くはないが常人なら粉々に消し飛ぶ威力である。それを
「「風壁」」
イリス、イリアが上級魔法で防ぐ。この時点で生徒たちからは驚愕の声が聞こえる。力を抑えていたのだから当たり前だが。
「イリス、イリア一人二本ずつ触手を相手出来るか?」
「任せてよ大地」
「問題ありません」
「流石だな」
誉められて照れているイリスとイリアのもとに再度触手が降り下ろされる。それを風壁で受け流し、キルケと同じ技、雷斬で潰れた左目をさらに深くえぐる。威力はイリスとイリアの方が上だ。
「夜空いくぞ」
「おにいちゃんとなら余裕」
合計四本の触手をイリスとイリアに任せ、本体を狙う大地と夜空。
「フゥゥゥンッ」
先程よりも僅かに速くなった触手も大地には無意味。最小限の動きでかわし、触手の上を走る。
「遅すぎるんだよ、クラーケン」
「私もやる」
大地の動きを真似て夜空も同じことをする。つまり触手の上を走るということだ。
「おにいちゃん、私も出来たよ」
「それじゃ、夜空四本同時にいけるか?」
「おにいちゃん、私を誰だと思ってるの。おにいちゃんの妹だよ」
「頼んだ」
「分かった」
クラーケンもやられっぱなしは嫌なようで、大地達が乗っている触手含め四本で夜空に襲いかかる。しかし、夜空にはその程度の攻撃、弱すぎるのだ。
「紅蓮」
水で湿った触手は紅蓮によって蒸発。そして触手は乾ききってしまっている。
「夜空を甘く見るなよ」
大地は四本の触手が夜空に向かった際に天高く跳躍し、落下までの間にある準備をしていたのだ。それは
「超級魔法、焔」
これを発動させるために魔力を練っていたのだ。
焔。紅蓮のさらにうえの魔法。熱すぎるが故に、水をかけてもたちまち蒸発してしまうため消すには相当の水が必要。ただし、大地の場合は二酸化炭素があるので問題なし。
「フゥゥゥゥッフゥゥゥゥゥゥゥフゥゥゥゥゥゥゥゥゥン・・・・・・・・・・」
焔に包まれたクラーケンは、もがくように海へ入ろうとするが海水は蒸発。逃げ場を失ったクラーケンは最後の抵抗とばかりに音速の触手をキルケに放つ。
しかし、クラーケンの最後の抵抗も無惨に粉砕された。
「残念だったな。クラーケン」
大地は音速の触手よりもはやく生徒達の前にまわり、強化十倍で粉砕した。
最後の抵抗を失敗に終えたクラーケンはそのまま灰となり動かなくなった。
「大地、やったね」
「さすが大地です。超級魔法もお手の物ですね」
「カッコよかったよ、おにいちゃん」
「お前らもな」
浜の真ん中あたりで互いを賞賛し合う大地達。その様子を気にくわなさそうな様子で眺めるものが複数。理由は言うまでもなく、大地だ。
「イリスちゃんはタブらかされてるんだ」
「そうだ、あの男だ」
「あいつを殺せば」
女子の方は大地を見守る派が多いのでそういった輩は少ない。
何事も無かったかのように涼しい顔をして戻ってくる大地。大地に恨みを持つ複数の男子は恨み任せに行動を開始した。
「おい、大神大地ぃ」
「キルケ先生を殺されたくなかったらイリスちゃん達から十メートルほど、離れろ」
「どうせあの怪物を倒したのもイリスちゃん達なんだろ」
「それを自分の手柄にしてるだけなんだよ」
「十メートル離れたら後ろを向け」
五人の男子生徒がキルケの頭に向かって魔方陣を展開していえる。殺ろうと思えばいつでも殺れる状態だ。キルケはクラーケンと戦った際に魔力を半分ほど消耗している。そのうえ、クラーケンの音速触手を受けているのだ。魔法を使えば傷を悪化させるかもしれない。つまりキルケは抵抗できないのだ。
「はぁ、全く」
「従うの?」
「抵抗した瞬間先生が殺される」
「大地ほどの速度なら余裕で助けることが出来るはずです」
「もしもの時のことも想定に入れておかなければいけない」
「あの先生が大事なの?おにいちゃん」
「みんなを守ろうとして戦ったのに、それを仇で返される苦しみを知ってるからな」
「分かった。大地を信じるよ」
「任せろ」
イリス達との会話を終えると、言われた通り大地は十メートル離れ、後ろを向く。
「よし、いいぞ。そのままだ」
そういってキルケに向けていた魔方陣を大地に向けると、
「動くなよ、動いたら先生が死んじまうぞ」
脅しの後に、大地に向けられていた魔方陣から魔法が発射された。
中級魔法の裂水。秒速一キロで弾丸のように水を飛ばす。破壊力に富んでいて直径二十メートルの岩も壊せる。
裂水が発射され大地に直撃した。瞬間に破裂した水は四方八方に飛び散り、後にはなにも残らなかった。
「ハハハハハハハハハ」
「死にやがったぜ」
「やっぱり全然弱いじゃねぇか」
「強いとか抜かしてんじゃねえよ」
「雑魚は死んでろ」
男子生徒の奇行に端に寄っていた生徒は浜の方へと出てきた。
「おまえら、なんか文句あんのか?」
「おおありよ。いきなり何て事してんのよ」
「うるせぇ、あいつが悪いんだよ」
「なにも悪いことしてないじゃない」
「イリスちゃん達をタブらかしやがったんだ」
「証拠がないじゃない」
「あいつの顔がそういってんだよ」
男子生徒五人と大地を見守る派女子で言い合っている中、その争いを一つの声が強制終了させた。
「たかが中級魔法程度じゃ俺は倒せないぞ」
男子生徒のすぐ後ろから聞こえるその声の主は。
「なっ、大神大地。どうやって」
「お前の攻撃は弱すぎる」
「舐めんなよ」
粉々になったと思われていた大地がすぐ後ろに現れたことに激しく動揺する男子生徒は、逆上して大地に殴りかかる。が、
「遅い」
大地は男子生徒のみぞおちにでこぴんをあてる。男子生徒は数メートル転がり意識をシャットダウンさせた。
「う、嘘だろ」
「指一本で人ひとり気絶させられる分けねーよ」
「なにか、トリックがあるんだ」
「あらかじめ何かしておいたんだ」
でこぴんで仲間が気絶したことが信じられないのか、口々にいちゃもんをつける男子生徒。そんな男子生徒に対し大地は
「だったら受けてみるといい。ほら、誰か来いよ」
「「「「・・・・・・・・・・」」」」
大地の問いに男子生徒は答えられなかった。
結局、五人の男子生徒は教育的指導を受けることになり、キルケと共に学院へと戻っていった。
「これで、学院にも学園にもいられないな」
「はぁ、また野宿の生活か」
「仕方ありません。例え受け入れてくれたとしても、クレータ大迷宮を攻略するという大きな目標があります」
「寄り道してる暇はないんだね」
学校の寮にいつまでもいられるわけじゃない。迷宮へ行く準備を整える期間が必要だった。しかし、準備は完了した。強大な力を持っているということが知られてしまったことに関係なく、いずれは寮をでなければいけなかったのだ。
「じゃ、俺は今から学院に行って先生と手続きを済ませてくる。クレータ大迷宮の入り口で待ち合わせだ」
「うん」
「しょうがないですね」
「はやくしてね、おにいちゃん」
「ああ」
ここに来た際に使った魔方陣はクラーケンに消されてしまったので、徒歩で行くことになる。そこで、
「上級魔法、疾風。そして、強化十倍」
疾風と強化十倍のコンボは凄まじく、一瞬にして大地の姿が見えなくなった。イリス、イリア、夜空もクレータ大迷宮へと進み始めた。
全然状況を掴めていない学園、学院の生徒をおいてけぼりにして、第二の試練が幕を開ける。




