ローゼンブライト家の御主人様
それは不幸な出来事でした。
楽しい家族旅行の途中で、夜盗に襲われてしまったのです。
優しい両親は亡くなってしまいました。
18歳の姉のアーシアと15歳のルルファは、母方の親戚に身を寄せる事になりました。
ルルファは片目でした。
姉のアーシアを護るために、左目の上に大きな裂傷と背中に大きな刀傷を負ってしまったのです。
傷のある目はみんなが気味悪がるので、白い布を巻くことにしました。
一つしかない眼を補うためでしょうか、その日から、みんなが見えないものが、よく見えるようになりました。
伯母の家は裕福ではありませんでした。
いつも、二人も食いぶちが増えて大変だわ、と文句を言っていました。
働かない子供に食べさせる余裕はありません、と言われ、
アーシアとルルファは水汲みやまき割りなど、家のお手伝いを頑張ってたくさんしました。
薪を割るのに長い髪はとても邪魔でしたので、ルルファはばっさりと髪を切りました。
洗濯をするのにスカートはとても邪魔でしたので、ズボンを履くようになりました。
配達のお仕事をお手伝いするのに、女の子だと分かると男の人に家の中に連れ込まれそうになりましたので、男の子のふりをすることにしました。
ある日、姉のアーシアが姿を消しました。
ルルファは朝から晩まで、一生懸命探しましたが、見つかりませんでした。
伯母に聞いてみると、口を歪め、笑みを浮かべながら言いました。
「可哀想にねぇ。ほら、あの山の上に、気味の悪い屋敷があるだろう? ローゼンブライト伯爵のお屋敷さ、あの屋敷の主人様は変わり者で、恐ろしい術の研究をしていて、時折人を攫っては実験に使ったりするって噂だよ」
鬱蒼と茂る木々に埋もれている、石造りのおおきなお屋敷。
「可哀想にねぇ。あの娘は、それはそれは綺麗な娘だったから、きっと屋敷の主人に攫われてしまったんだよ」
ルルファは、姉のアーシアを助けにお屋敷へ向かうことにしました。
お屋敷にいくと、優しそうな執事さんがいました。
私、いや僕をここで働かせてください、と必死でお願いすると、
さあどうでしょう。ご主人様に聞いてみないとわかりません、と言って、ルルファをお屋敷の中に入れてくれました。
執事さんがご主人様のいる部屋に、ルルファを連れていってくれました。
大きなお部屋に通されました。
少し待っていると、ご主人様がやってきました。
若い男の人でした。
ルルファを見ても、全くにこりともしません。
半分眼を閉じているので、とても眠そうです。
少し色のついたメガネをかけていましたが、ルルファには見えました。
ご主人様の目は、縦に割れていました。
ご主人様が、眼鏡を外しました。
とても綺麗な水色と紫色の眼でした。
そして、近所の猫の目みたいでした。
「……」
「……」
「……お前、驚かないんだな」
「え、何がですか?」
「……いや……」
「目の事ですか? だって、近所の猫とおんなじです。色もおんなじです。僕の友達で、バームクーヘンっていうんです。茶色とクリーム色の縞々で、とってもおとなしいんですよ」
「き、近所の猫……」
執事さんが小さな声で笑いました。
ご主人様は執事さんをじろりと睨みました。
「こほん、大変失礼致しました」
ご主人様は、面白くなさそうに、向かいの大きな椅子に座りました。
この人が、姉のアーシアを攫った人なのでしょうか?
それにしては、どことなく、のんびりしています。
やっぱり、猫みたいです。
いえいえ、気を抜いてはいけません。
姉のアーシアを連れ戻しに来た、と知られてしまったら、ルルファの方が捕まってしまうかもしれません。
ご主人様は、トランプよりも少し大きなカードを机の上に置き、それをかき混ぜました。
カードには、様々な色が塗られていました。
「一枚ひけ」
言われるまま、ルルファは震える手で、カードを一枚引きました。
「おや。これは……」
執事さんが白い眉を面白そうに上げました。
ルルファが引いたのは。
真っ白のカードでした。
「あれ? 何も描いてないよ……?」
ルルファはショックを受けました。
余り物の、白いカード。
予備のカード。
あってもなくても良いカード。
ご主人様が、眠そうな眼でルルファを見ました。
何を考えているのかさっぱり読めません。
ルルファは背筋を伸ばして汗をかきました。
「庭師のダーゼルが、人手が欲しいと申しておりましたが」
「……では、そこに配属」
「畏まりました」
丁度庭師の人手が欲しかったようです。
ルルファは庭師のお手伝いとして、お屋敷に雇ってもらえることになりました。
短い髪に、ぼろぼろのズボンを履いて、がりがりの身体でしたので、どうやら少年と間違われたようです。
メイドの仕事はさっぱりわかりませんが、庭のお仕事ならルルファにもできそうです。
ルルファは安心しました。
ルルファは庭師に聞きました。
「ここに、きれいな少女はこなかった?」
「さあね。この屋敷に近づく物好きなヤツはそうそういないからなあ」
ルルファは一生懸命働きながら、一生懸命、姉のアーシアを探して屋敷の中を探しました。
ですが、いつまでたってもアーシアは見つかりませんでした。
夕暮れも終わりかけた頃。
広い庭を探して歩いていると、光の玉がよろよろ飛んでいるのを見つけました。
ルルファはそれを拾いました。
『あ、ありがとう……』
光の玉にはちいさな羽が生えていました。
「どこかに行こうとしてたの?」
『うん。帰ろうとしたんだけど、ここはとっても暗くって、こんなに光りが弱くちゃ力が出ない。だから飛べなくなっちゃった……』
光の玉はそう言って、悲しそうに泣いています。
「連れていってあげるよ。どっち?」
小さな広場には、光の玉がいっぱい飛んでいました。
『あら、私たちが見えるのね? がりがりちゃん』
『おまぬけな仲間を助けてくれてありがとう、綿毛ちゃん』
そこには、ご主人様がいました。
白いテーブルにはお茶とお菓子とたくさんの本がのっています。
ご主人様が、驚きました。
「どうやってここまで来た」
「光を追ってきたら……ここに……」
「何……?」
執事さんも驚きました。
「此処へ至る道が見え、なおかつウィスプがみえるとは。無垢なる瞳──セカンドサイトをおもちのようですね。貴方様と同じように……」
茂みの中で、思わずよだれをたらしてしまったルルファに、ご主人様はクッキーと紅茶を持ってきてくれました。
ふわふわのアップルパイ。
花の良い匂いのする紅茶。
何年ぶりでしょうか。
いつもお母様がおやつにと、姉とルルファにくれていた物と同じです。
懐かしくて涙が出てきました。
ルルファは泣きながらも、お腹いっぱい食べました。
ご主人様が、テーブルの上の白いケーキも食べていいぞ、と言いました。
「た、食べていいの?」
「ああ」
「ほ、本当に……?」
「そのかわり、テーブルにきて、イスに座って食べるならな」
ルルファは、茂みから出て、おずおずとテーブルに近づきました。
だって、とても良い匂いがするのです。
でも、イスに座るのはいけません。
ほだされてはいけません。
だって、ご主人様は姉のアーシアを攫った人かもしれないのです。
でも。
食べたい……
ルルファはテーブルの上の、クッキーや色とりどりのカップケーキの乗った皿を急いで取ると、急いで茂みに戻りました。
テーブルの上で、ご主人様が頬杖をついていました。
「……野良猫に餌付けをしてる気分だ」
次の日も、ルルファは姉のアーシアを探します。
今度は、ご主人様の部屋に忍び込むことにしました。
珍しく今日は、ご主人様は外出されているのです。
ご主人様の部屋は、本の香りがしました。
開いた窓から、心地良い風が吹いていきます。
気持ちよさそうな、ふかふかのソファもありました。
とても疲れていたルルファは、少し横になりました。
あまりの気持ちよさに、うっかりそのまま眠ってしまいました。
ご主人様が戻ってきました、
執事は紅茶をもって、部屋へ入りました。
「おやまあ」
ご主人様は書斎机に座って仕事をしておりました。
脇ソファーには、子供がすやすやと寝息を立てています。
「……お珍しいですね。貴方様が私室に人を入れなさるとは」
「……勝手に入ってきたんだ」
「それもお珍しい。貴方様が追い出しもされないなんて」
「うるさい」
「これは失礼致しました」
「なんとも綺麗な少女でございますね」
「……」
「白はどのような色も和らげ、また、どのような色にも染まります。早く保護できてよろしゅうございました」
「そろそろ、お部屋に戻して差し上げたほうがよろしいかと思いますが。わたくしがお運びしましょうか?」
「いや、私が運ぼう」
ご主人様は起きないルルファを抱き上げました。
「まったく、警戒心の欠片もない奴だ」
目が覚めると、ベッドの上でした。
あれは、夢だったのでしょうか?
お屋敷には、時々不思議なお客様が訪れました。
全身包帯の男。
水浸しの女性。
兜と鎧をけっして脱がない騎士。
背中にやたら大きなリュックを背負った、白金色の髪、服も肌も真っ白な裸足の少女。
中には普通っぽいシルクハットの貴族の方もいましたが、ずうっと目が笑っていて、ルルファはとても怖いと思いました。
今日は、鍔の広い黒い帽子を被り、美しい夜色のドレスを身に纏った夫人がやってきました。
ルルファを見て、綺麗な赤い唇で微笑みました。
「あら、かわいいおちびさん。何を探しているのかしら?」
「あ、姉のアーシアを……探しています」
「あらあら、お姉様をお探しなのね? お姉様なら、貴方と同じ系統の血が流れているわね? なら、わたくしでも探せるかもしれないわ」
夫人はルルファの首に噛みつきました。
「あら。なんて美味しい血」
ルルファはびっくりして飛び退きました。
「……ううん。ここには貴方のお姉様はいないみたいね」
「え!? この屋敷にいないんですか?!」
「ええ。このお屋敷にはいないわね。だって、貴方と同じ美味しそうな……いえ、同じ血の匂いがしないもの」
そんな!
それでは、なんのために此処で頑張ってきたのでしょうか。
全部無駄でした。
見当違いな場所を、必死でさがしていたのです。
あの、無愛想だけれど優しいご主人様を疑って。
たくさんの優しい人たちを疑って。
なんて自分は愚かだったのでしょう!
ルルファは屋敷を飛び出しました。
ルルファは伯母の家に帰ってきました。
伯母は、旦那様とお話しをしていました。
家を飛び出した手前、すぐに話しかける事ができません。
ルルファは扉の陰に隠れました。
「……本当、いいお金になったわよね」
「まったくだ。まあ、もともと綺麗な娘だったし、血統もそこそこ良いからな」
「高く売れたおかげで、借金を返してもなお、お金が余ったわ。うふふ嬉しい」
高く売れた……?
「妹の方も、どこかいっちゃったし。きっと、あの気味の悪い屋敷に行ったのね。それで、姉のアーシアを返せとかなんとか喧嘩を売って不興を買って、きっと今頃はお手討ちにでもなってるんじゃないかしら」
「君がそう、そそのかしたんだろう?」
「あらやだ。人聞きの悪い事。可能性の話をしただけよ。売った後、もしかしたらお屋敷の主人があの娘を買ったかもしれないじゃない」
どういうことなのでしょう。
「まあ、なんにせよ、居なくなってよかったわ。だって、女の子なのに、片目なのよ? それに背中に大きな刀傷もある。あれじゃあ、売る事もできないし、娶ってくれる殿方だっていやしない。遠い親戚の子供を一生養っていかなきゃいけないなんて、ぞっとするわ」
「まあ、うちはお金がなかったからなあ」
「もう、賭博には手をださないでよ」
「はいはい。あれだけせっぱつまってなきゃ、いいとこの御貴族様に嫁がせたんだが。良いコネになったろうになぁ」
「そうね。でも、すぐにでもお金が必要だったものね。取り立て屋は恐ろしかったし。あの状況を知られたら、決まる縁談も決まらなかったわよ」
「まあ、そうだな。あの場合、売るしか方法がなかったな」
姉のアーシアを、伯母たちは売ってしまっていました。
「姉様を、どこに売ったの!?」
「ひ、ひい! お、お前生きてたのか……!?」
ルルファは、伯母たちから聞き出した、人買いのあじとに向かいました。
「姉様を返せ!」
「なんだ、このクソガキ!?」
男達が、剣を持って、ルルファを囲みました。
ルルファは、道で拾った石ころを、たくさん男達に投げました。
「待ちなさい」
あじとの入り口に、ご主人様が立っていました。
「どう、して……ここに?」
「まったく。お前はどうしてそう、後先を考えないんだ。お前の脳は綿でできてるのか」
ご主人様が上着を脱いでルルファを頭から覆いました。
それから、ルルファの両目をネクタイで覆いました。
最後に、ルルファの両手を耳に当てました。
「俺が良いと言うまで耳を塞ぎ、目をつぶってじっとしていろ。見えるお前には、かなり疲れるだろうからな」
「──人と魔が混じると、こういう荒技もできるようになるんだよ」
ご主人様はメガネを外しました。
「無知とは。知らない、という事は、本当に恐ろしい事だ。それを今教えてやろう」
「世界は薄皮一枚で隔てられている。死者と生者の狭間も薄皮だ。簡単に破れる。ほら、見えないお前たちにも、見えるようにしてやろう」
人買い達は、いままで殺してきた人たちが見えるようになりました。
男達は、恐ろしくて恐ろしくて、泣き叫び、逃げ惑い、喚きちらしました。
「ひひいい!」
「た、助けてくれ!」
「見えないとは、幸せな事だな。助けて欲しかったら、頼んでみたらどうだ? お前たちの後ろにいる奴等に」
「ひ、ひい!」
男達の背後に、暗い暗い、大きな穴が開きました。
血まみれの子供たちにしがみつかれ、逃げたくても男達は動く事が出来ません。
「さて。世界の薄皮は修復能力に優れていてな。破っても、すぐ元に戻ってしまう。──もう時間だ」
人買い達は子供たちに引きずり込まれ、穴は再び閉じました。
後には、何も残っていませんでした。
人買いたちはいなくなってしまいました。
姉のアーシアは、大きな大きなお城がある街で、闇オークションで売られる前でした。
ご主人様が、見つけて下さったのです。
地下の檻の中には、沢山の子供たちがいました。
そのなかに、姉のアーシアがいました。
やっと姉を見つけることができたのです。
「よかった……!」
アーシアとルルファは、泣きながら抱きしめあいました。
「ありがとう、ご主人様。助けてくれて……でも、どうして僕の居場所がわかったの?」
「こいつが」
伯爵の肩に、一匹の小さな光の玉、小さな妖精ウィル・オ・ウィスプが乗っていました。
あの時、ルルファが助けた妖精です。
『僕を助けてくれた御礼を、まだ返してなかったからさ!』
疲れて疲れて、腰が抜けてしまったルルファを、ご主人様は抱き上げてくれました。
「ごめんなさい。僕は、ご主人様を疑っていたのです」
「そうか」
「そうかって……怒っていないのですか?」
「怒っていない訳がないだろう」
「そ、そうですよね……」
「どこかに出かける時は、ちゃんと言ってから行く。それが礼儀というものだろ。今度からは、ちゃんと行き先を言って行くように」
「え? は、はい。ごめんなさい」
ルルファは首をかしげました。
そういう話でしたでしょうか?
ルルファと姉のアーシアは、ご主人様のお屋敷に戻りました。
玄関で待っていた執事が、大変喜びました。
「よくお戻りになられました。ご無事でなによりです。貴女がいなくなってからの、ご主人のご機嫌の悪さと言ったら……」
「だまれ」
「これは失礼致しました」
ルルファは首をかしげました。
「え、僕、嫌われていたんじゃないんですか?」
「いえいえいえ。貴方は、とてもご主人様に気に入られていたのですよ。でなければ、食事をご一緒したり、あまつさえお部屋に入れたりなどなさいません。あの方は、人嫌いなところがございまして、他の者に気を許されないのです」
ご主人様はあの猫の目と不思議な力の所為で、昔、随分とひどい目にあったようです。
気味悪がられて殺されそうになったり、占い目当てに利用されたり、騙されたり。
それが嫌になって、大きな大きなお城の街を出て、こんなに遠い、田舎の街にやってきたのだそうです。
「貴女には表裏がございません。カードの色がそれを表しておりました」
「え? 何も描かれてなかった真っ白なカード? あれは、余り物のカードでしょ?」
「いえいえ。あれは、元々白色のカードなのです。白。ブランク。空白。無垢。未熟。純粋。素直。未確定の未来、予測不可能な行き先……」
「予測不可能すぎて、こっちは予定が狂いまくりだ」
ご主人が溜め息をつきました。
ルルファはご主人様にお礼を言いました。
「姉様を助けてくれてありがとうございました。それで、あの……姉のアーシアも、このお屋敷で雇ってくださいませんか? お願いします。僕の給料を減らしてもいいですから」
「……まったく、こんな未来、全く予測してなかった」
ご主人様が眉間をもみました。
「だ、駄目でしょうか……?」
「御主人様。シェフのロッシリーニが、助手が欲しいと申しておりました」
「……じゃあ、そこに配属」
「畏まりました」
「あ、ありがとうございます!」
姉もこの屋敷で雇ってもらえるようです。
ルルファは思わず、ご主人様に抱きついてしまいました。
大きな大きなお城のある街から、騎士団のえらい人がやってきました。
姉のアーシアを売った伯母達は、捕まったようでした。
オークションの悪い人達も、たくさん捕まえたと言っていました。
ご主人様は、ルルファと姉のアーシアと、お屋敷にいるときはいつも朝と夜、一緒にご飯を食べてくださいます。
「姉様は綺麗だからいいけど、僕なんか、こんなだし、一緒にご飯食べてもいいのかな……」
「今更何を言ってる」
「だって、こんな……」
「じゃあ、ドレスで食いたいのか? あれは、腹を相当絞め上げるから、今までみたいに食えなくなるぞ」
「え!」
ご主人様はルルファが女だと、知っていたようです。
いつから分かっていたのでしょう。
「お前の食いっぷりは嫌いじゃない。そのままでもいいんじゃないか?」
「え、そ、そうでしょうか?」
「ああ。別に着飾らなくても十分だろ」
「ど、どういう意味ですかそれは!」
隣で食べていた姉のアーシアが、楽しそうに笑いました。
「……随分と、素直じゃない方ですのね」
「ご主人様はあまり人と話されませんので、言葉がいつも、少々足りないのです」
2016.8.1 加筆修正