《殺戮因子》と《十本刀》①
皐月晴れの市街を、殺人鬼である殺戮因子は走っていた。額には珠の汗が浮かび、表情には苦悶が表れ、昨日買ったばかりのジャケットのボタンを全て外し、全力で全霊を持って、人でごった返すアウトレットショップ路地の隙間を切り裂きながら疾走していた。心臓は激しく鼓動し、いつか高速で流れる血流が血管を破ってもおかしくないと半ば本気で殺戮因子は思った。息をしているのだが、一向に肺が膨らまない感覚にも悩まされていた。
殺戮因子は逃亡中だった。
「なんで、あいつがいるんだよ!」
腹いせに叫びながらも、殺戮因子の足は止まらない。腐っても超能力者。その身体能力の高さは一流アスリートすら及ばない。例え警察官に追われていたとしても、一気に捜査範囲網から抜け出すくらいわけはないのだ。
ならば、そんな人外たる彼は、一体何から逃げているのか。誰に背中を見せているのか。『一晩の終焉』『呼吸殺人』『町殺し』『殺人鬼の中の殺人鬼』『殺人記録』数々の血と死を表す名を持つ殺戮因子が誰を恐れているのか。
そんなものは決まっている。
《十本刀》、多鞘関守以外、彼が無条件で恐れる人間は、今現在存在しない。
出合ったのは五分前だろうか? それとも一時間前だろうか? 結局、時間と言う概念は相対的なものでしかないということなのだが、この逃走劇が始まってどれほど経っているかは少なくとも殺戮因子にはわからなかった。
とにかく、出会いは唐突だった。
東との接触の後、殺戮因子は嫌な予感がしたので直ぐ様に移動を再開した。
一日中動き回った結果、自動改札のない県のネットカフェで一晩を明かし、目を覚ますと昨日から楽しみにしていたアウトレット街の中にある、有名な洋食店でオムレツでも食べようと、一般人に紛れてバスに乗った。
時刻通りにアウトレットに到着したバスから降りて、開店まで暇を潰そうと近くのコンビニに入る。すると、見覚えのある袴姿の男が、真っ赤なギターケース背負いながらホットドッグを買っているのが見えた。「キャラクターを守れよ」そんな戯言を思う余裕もなく、殺戮因子は直ぐ様その場で回れ右をして店から出ると、一目散に逃げ出した。
その直ぐ後に、血相を変えた関守がホットドッグを頬張りながら殺戮因子を追い始め、命がけの追いかけっこが始まった。
荷物の関係もあるだろうが、二人の脚力にあまり差はなかった。殺戮因子が大きく差を広げることもなければ、関守がすぐ後ろに迫ると言うこともない。逃走劇が始まってから、大体三十メートルほどの距離が縮まることは一度としてなかった。
「大体、何でシューズ履いてんだよ」
下駄でも履いていてくれれば簡単に逃げ切ることも出来たかもしれないのに。殺戮因子は既に自分に打つ手はないと言わんばかりに相手の恰好に文句を入れる。先程から何度も角を曲がり、撒こうと試みているのだが、何故かそれも上手くいかず、思い切って狭い裏路地にでも逃げ込みたいのだが、人目のつかない場所で追いつかれた場合を想像すると、それも憚られる。
「余計なことを考えるな、ぼく。やるべきことは一つだ」
息を吸う度に肺が痛むのを感じながら、殺戮因子は頭に回す分の意識を足に回す。一秒でも早く振り切って足を止めないと、もうそろそろ心臓が張り裂けてしまう。
考えるな、感じろ。
殺戮因子がこの四年間で培った、第六感に身を委ねる。最初の殺人もそうだった。気がついたら朝に顔を洗うように、刺身包丁を人斬り包丁に転職させていた。大切なのは、無意識に身を任せることだ。後は、運命とかがどうにかしてくれる。