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??と死

 彼は自分の名前が嫌いだった。

 漢検一級の問題になってもおかしくない奇天烈な苗字も、両親が真剣に頭を悩ませて考えてくれたとは思えない奇妙な名前も、彼は嫌いだった。わざわざ奇異な苗字と似たような漢字を使った名前は、テストの度に書くのが面倒で仕方がなかった。日本で一番面倒な名前だと言う確信を得るのに長い時間は必要なかった。

 しかし彼は、別にその名前をつけた両親を嫌いになることはなかった。名前を出汁にからかわれることも多かったが、同級生を憎く思ったことすらない。そもそも不快感すら彼の中にはなかった。

 彼が嫌いなのは自分の名前だけだった。

 彼は十八年間、自分の名前以外の何一つ憎むことなく生きて来た。

 幼い頃に両親と死別し、母親の弟夫婦に預けられ、愛情と呼べるものを殆ど受けずに育ったが、名前以外の何も憎むことなく生きてこられたことは、彼にとって密かな自慢だった。

 ただ、そんな自分が好きなわけでもなかった。

 自分だけではない。嫌いでないものは、総て好きでもなかった。

 存在すら覚えていない両親も、今まで育ててくれた母の弟夫妻も、大して会話もしなかった従弟も、名前を馬鹿にした小学校の同級生も、中学校の帰りに良く寄った駄菓子屋さんも、暇を潰すのに丁度よかった勉強も、矛盾と欺瞞に溢れた世界も、彼は好きにも嫌いにもなれなかった。

 だから神知教の研究者育成プログラム生の選出試験に合格したあの日、家に帰ったら弟夫婦三人の死体が床の上に転がっていのを見ても、何の感慨も湧かなかったことに疑問を挟む余地はなかった。『警察に電話しないと』無関心にそう思うだけ。

 実際、彼にしてみれば他人ごとに違いはない。

 例え半生を共に過ごそうとも、彼は弟夫婦の家族にこれと言った感情を抱いてはいなかったのだから。

 そんな彼は、その時ふと考えた。考えてしまった。

『俺は、おかしいのではないだろうか?』と。

 十年以上共に過ごした家族――――そう、家族が死んでいるのだ。これは普通だったら、悲しい事態の筈だ。創作物の中でしか、家族の死に涙する若者を見たことはなかったが、それでも人の死と言うのは悲しくなくてはならないはずだ。

 それでなくても死体だ。産まれて初めて見る死体に、彼は少しも恐怖していない。またも創作物を引き合いに出してしまうが、死体と言うのはもっと気持ち悪くて、忌避すべき存在の筈なのに、彼は家族のような物の変わり果てた姿を見ても何とも感じない。平然と顔に触れ、腕を取って脈まで取ることができた。

 誰もが嫌う『死』を、好きにも嫌いにもなれない。

 流石にそれは異常だ。死をまったく恐れないなんて、そんなのは人間として欠陥している。

 だから彼は、駆けつけて来た警察官二人を、包丁で刺し殺して見た。自分の手で人を殺して見れば、それは禁忌であり、恐れるべき現象だと理解ができるかもしれない。そんな期待を抱いて彼は、死体を見て真剣な表情をする警察官二人を殺した。

 刃物を通して、人の身体の意外な硬さと、血の暖かさが掌に伝わって来るのを感じる。しかし彼は眉一つ動かさない。豚肉を切るよりも手応えが有ることには驚いたが、それだけだ。この行為に、好きや嫌いと言った感情が生まれることはなかった。勿論、結果である死に対してもだ。

 何処までも他人事で、好きにも嫌いにもなりそうにない。

 悪いことをしてしまったと、彼は首を横に振った後、更に警察と救急に連絡を入れる。その手は決して震えておらず、他人事のように『自首しよう』と考えていた。

 しかしサイレンを鳴らす救急車から降りた救急救命士三名の眉間を、先程殺した警察官の所持していた拳銃で撃ち抜くことを、彼は選んでしまった。もしかしたら、拳銃の方が嫌悪感が生まれやすいのかもしれない。そんな思い付きからの実験の続きだった。

 銃声と硝煙。悲鳴と血液。自分と死体。

 その総てが好きでも嫌いでもないことを、彼は改めて実感する。

 黒々とした血を嬉々と啜りたいとも思わないが、逃げたくなるような恐怖も嫌悪もない。

 そして、そんな人として欠陥のある自分すらも、好きにも嫌いにもなれそうにない。

 果たして、この世界には自分が好きになれるモノはないのだろうか? 自分が嫌えるモノが名前以外にあるのだろうか?

 それを確かめるべく、彼は急いで玄関を飛び出した。拳銃二丁と包丁を三本持って。

 玄関を開けると、野次馬達が目に入る。続け様に来たパトカーと救急車に、退屈な人間が集まってきたらようだ。野次馬の瞳は彼を捉えると、恐怖に怯えた。血に塗れて凶器を持つ人間に、その場の全員が凍りついた。

 これが、普通のリアクションか。と、彼は感心した。試に拳銃を向けると、人々は驚き戸惑い、叫び声を上げて慌てて逃げ出す。中には、その場にしゃがみ込んでしまう者もいて、どれだけ、自分と拳銃が嫌われているかを理解する。

 そしてそれ以上に、そんな簡単に物事を好きにも嫌いにもなれる人間が羨ましかった。

「ばん」口で言って、引き金を引くと、隣の家に住む同級生の顔が小さな鉛玉によって爆ぜた。

 が、やはり何も感じない。

 しかし野次馬達は違う。大声で叫んで、更に強い恐怖が住宅街を支配した。昼前の住宅街は騒然とした、その喧騒はやはり好きにも嫌いにもなれそうにない。その騒ぎに紛れて、彼は家の敷地から歩み出る。逃げ遅れてアスファルトの上で失禁する小学生位の少女の首に、再び包丁を突き刺してみた。深い意味はない、実験の続きだ。

 幼気な少女を殺す、『人として最低であろう自分』が好きになれるかどうかの実験だった。しかし悲鳴を上げる彼女を見ても、彼の心には何も沸いて出てこない。包丁を抜き取り、鮮血を噴出す彼女に背を向ける。どうやら、好きにも嫌いにもなれそうにない。

 その場に竦んで動けなくなっていた人間全員を同じように試し、同じ結果が出たのを確認し終えた頃には、彼の身体で血に濡れていない場所はなくなっていた。

 その後、彼は市内の人間…………否、総ての生命をネコソギに殺し続けた。

 暴力を、破壊を、消去を、蹂躙を、崩壊を、抹消を、暴虐を、周囲に振り撒いた。

 目が合ったOL風の女を殺し、肩がぶつかった少年を殺し、笑顔のコンビニ店員を殺し、飼い主のいない野良犬を殺し、居眠りしていた図書館の司書を殺し、タバコをふかすタクシーの運転手を殺し、泣き叫ぶ小学生を殺し、首輪の付いた猫を殺す。

 やはり、そんな行為も被害者も自分も結果も世界も何もかもが好きでも嫌いでもなかった。

 ただ虚しいと思うだけで、その虚しさすら、好きでも嫌いでもない。

 町一つを虐殺し終えた後に、彼はようやく理解する。

 名前以外の総てがどうでもいい。

 彼にとっては人命と言う詭弁が、社会と言う矛盾が、道徳と言う堕落が、些細な大事で、一切合財無関係だった。

 それでも、一つくらいは好きか嫌いになれるものがあってもいいはずだと、彼は願った。

 感情の揺れるモノが、名前しかないなんて寂しすぎる。虚しすぎる。

 こんな広い世界に、自分の感情を向けられる物が名前しかない。なんてことはないはずだ。

 他に何か一つくらい、感情を存分にぶつけられる物を探し出そうと彼は決意する。

 方法は簡単だ。この町にやったように、気に入らない物は全て壊せばいい。最後に残ったのが、自分にとっての宝物だ。

 何処を見ても死体しかない、何処に行っても破滅しかない、一昼夜で廃墟と化した町を見て、彼はそう決めた。

 これから悪意なく殺意をばら撒くであろう自分を想像しても、彼の表情は変わらない。葛藤すらもない。自分の感情を、情熱を注げる物を見つける為には、そんなことなど些事だろう。

 今世紀最後になるであろう最悪の殺人鬼《殺戮因子》は、そうして生まれた。

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