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「すいません!!
もう大丈夫です!!」
ちょっと離れた『なにか』のいる方向とは違うところからミリアがそう言いながら、走ってきた。
はっとした!
ついミリアの方に視線をやってしまった!
慌てて、視線を植え込みの影に戻すが…
もうそこには、なにもいなかった。
何かがいた形跡もない。
ああ、やってしまった!
後悔したくないと言ったのに…
俺は茫然と植え込みの影を見つめていた。
その日、仕事を終えて、部屋に行くと、なぜか長兄・ワイデルトが部屋の前にいた。
なんだろう?
とりあえず、部屋に入ってもらい、椅子に腰かけてもらう。
俺の質素すぎる、まるで使用人のような部屋(実際に元は使用人部屋でした)に驚いた様子だった。
あの誕生日以後、次兄に医師を呼ばれた日より後だが…広すぎる部屋に落ち着かず、部屋を変えてもらったのだ。
もらったのは、備え付けのぎしぎしいうベットと木でできた椅子一つとテーブル、あとは備え付けの小さなクローゼットを置けばいっぱいになるくらいの小さな部屋だった。
椅子は一つしかないので、俺はベットに腰かける。
ぎし!!
大きな音がして、兄上は顔を少ししかめた。
「なんでしょう?兄上」
「…」
無口すぎる兄上と話すのは、何年ぶりだろう?
『ミドラドル』が家族と話さなくなってから、無口な兄と話す機会などなくなった。
「兄上、ご用がないのなら、俺は疲れているので、眠りたいのですが…」
この兄は散々急かさないと話し始めるのに時間がかかるのだ。
待っていたら、明日の朝になってしまう。
兄上は少し躊躇うように口を開く。
「……働いていると…聞いた」
「はい。先王のご命令ですから」
何が言いたいんだ?
まさか勤務態度にまで、文句を!?
「…この部屋…」
ん?話がつながらない?
「この部屋ですか?
殿下には狭すぎて居心地が悪いかと思いますが…」
「……お前も王子だ」
?????????
まずい…
通訳がほしい。
兄上が何を話したいのか、全くわからない。
「はあ、わかっていますが…」
だれか!!
通訳を…
通訳をください!!
「……わかっていない」
「兄上、よくわからないです。何を話したいのですか?」
「……」
だから、その沈黙をやめて!
よくわからない、まっすぐな瞳で見るのもやめて!!
100歳も俺より年上なんだから、もっと話をしてください。
「お前は…王子だ。それは…昔も今も変わらん」
「はい…」
でも、未来は分からないですよね――?
俺は知ってるんですよ――――!
今、着々と勘当の準備を祖父さまがしてること…
「…なぜだ、ミドラドル」
「何がです?」
お、ようやく回転し始めた。
「なぜ、お前は…。
下働きのような仕事をしている?
なぜ、こんな使用人のような部屋に住んでいる?
なぜ、俺たちを避ける?
なぜ…父上や…母上や、お祖父さまを…そうと呼ばない?
なぜ、まるで…家族ではないかのように振る舞う?
俺たちは…家族だろう?」
そうか…。
この兄は気付いていたのか。
『ミドラドル』が…本当に自分がこの人たちの『家族』なのかを怪しんでいたことに…。
そっくりとしか言えない双子の弟がいるのに、『ミドラドル』は怪しんでいた。
自分が本当に『家族』かを…
自分にだけ、なんの才能もない。
自分にだけ、魔法の力もない。
自分にだけ、祖父は冷たい。
自分だけ、なぜか銀髪で…
なにか異質なものが『家族』のふりをして紛れ込んでいると本当に信じていた。
まあ…実際、紛れ込んでいたのは、転生者だったわけだが…
「…兄上、俺は誰ですか?」
兄は首を傾げる。
「話下手な兄上が本心を話してくれたので、俺も本心を話します。
ですが、その前に…
俺は誰ですか、ワイデルト兄上」
真剣な顔で兄を見つめる。
小さな椅子に腰を掛けた兄上は、俺をまっすぐに見つめ返す。
「お前は、俺の大事な弟だ!
今までも、これからも、それは永遠に変わらない!!」
俺は、無口なこの兄が、昔から大好きだった。
俺が何をしても、怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ見守るだけのこの兄が…
「ありがとうございます。
では、お話しします」
「兄上、俺はずっと、ここではないどこかに行きたかったんです」
兄がはっとするのが分かった。
そうだよ、兄上。
俺は…広い世界を見てみたかったんだ。
俺は…『ミドラドル』は…『誰か』を『何か』を…
探しに行きたがっていたんだ…
それは、若い時には誰もが思うような感情だろう。
逃げ出したいときに、旅に出るなんて、よくあるような話だ。
だけど、笑われたくはない。
兄上、あなたは知らないんだ。
『ミドラドル』は本当に小さな子どもの時から、祖父に大臣に貴族に使用人に民に…
どれだけの『毒』を注ぎ込まれたか。
心無い言葉と、諦めの態度、中傷、馬鹿にされ、見下され…
『家族』のいないところでは、更にひどい言葉と態度で…
『ミドラドル』の心は砕けそうだったんだ。
バカで軟派でどうしようもない王子だよ、俺は。
わかっているさ。
悪いことだって、もう麻痺して、何をしたいのかもわからなくなっていたんだ。
誕生日のあの朝、ひどく二日酔いの頭で、俺は目が覚めて、混乱する頭で一番に思ったんだ。
ああ、俺は…まだ生きている。
よかった!まだ、死んでなかった!
これで、家族に何か返してやれる…って。