中編
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その日の夜、旅の商人は翌朝出立することを庄屋に告げた。
「隣国へ早く行き、品をさばきたいのです」
「そうですか。もう少しゆっくりしていただきたかったのですが、残念です」
庄屋の高笑いが広間中に響き渡った。旅の商人の傍では、昨夜と同じく美代が酌をしている。
「そうそう。村の子供達がとても喜んでいたそうですね。ありがとうございます」
庄屋の息子は頭を下げた。
「ここは辺鄙な所ですから、娯楽がないのですよ」
庄屋は白髪混じりの頭を掻いて苦笑した。
「旅の話をしただけです。しかし、子供達が喜んだのでしたら、私も嬉しゅうございます」
旅の商人は目を細めると、盃を空にした。
「そうだ。昨日お話した拾い物の沢のことですが、場所を少し思い出しましたよ」
徳利を傾けていた美代の手が一瞬止まったが、直後何もなかったかのように酒を注ぎ足した。庄屋と庄屋の息子は一瞬視線を交わし、息子の方が旅の商人に顔を向けた。庄屋は「厠へ行ってくる」と席を立った。
「そうですか。どのような場所でしたか?」
「それが、お恥ずかしい話ですが、口で説明するのは難しいのですよ。こちらの村へ近い沢だったかもしれないというのは思い出せたのですが、これ以上は何とも」
旅の商人は困ったように笑い、盃の酒を一息に飲み干した。
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「人を集めろ。できるだけ多くな」
「はい。場所は?」
「そうだな……西の端の地蔵堂にしよう」
「集める理由は?」
「そうだな……年貢が軽くなるかもしれないとでも言っておけ」
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「証拠は見つかりませんでした。それでも?」
「村人の噂や話から推定できます。貴方のお力で、どうかお願いします」
「……貴女の気持ちは分かりました。別れの餞別代わりとしましょう」
「あの子は?」
「呼び寄せに例外はありません」
「……………」
「貴女は先日の儀式により、もはやこの土地とは無関係となりました。当分の間、全ての決定権は私にあります。分かっていますね?」
「……………はい」
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木戸が激しく叩かれた。結衣は目を擦って周りを見た。
まだ薄暗い。もう少しだけなら眠れそうだ。
木戸は壊れんばかりの勢いで叩かれ続けているが、結衣は眠気に負けた。
「ああ、もう、うるさいっ!!朝っぱらからなんだい?!」
律の怒声が狭い家の中を満たした。律は力任せに木戸を開いた。
「庄屋様からだ。西の外れの地蔵堂の所へ来いってよ!」
庄屋の使いはろくに寝ていないため、律に負けず劣らず荒々しい口調で返した。
「はあ?!田んぼや畑はどうするんだい?!」
「おれは知らねえよ!とにかく!年貢が軽くなるから、来れるやつは来いってさ!」
庄屋の使いは足音高く去って行った。早朝の訪問に対する詫びは一つもないままである。
「どうする、あんた?」
律は寝ぼけ眼の夫に相談した。夫は目を擦ると大きく欠伸をした。
「年貢が軽くなる、ねぇ。ろくな話じゃなさそうだが、行くしかあるめえ。水を握っているお人の命令だしな」
「結衣は置いて行くかい?」
「連れて行こう。あとで、どんないちゃもんをつけられるか、分かんねぇ」
「分かったよ。それにしても庄屋さん、昔はこんなんじゃなかったのにねぇ」
「言うな。さ、もう一寝入りするぞ」
朝早くの、しかも突然の命令にもかかわらず、西の地蔵堂には村人達が全員集まっていた。結衣の父が言うとおり、水を握っている人間の命令には逆らえないのだ。
律も含め、村人達は庄屋の命令について色々な憶測を交わしていた。
村人達が苛々し始めた頃に庄屋はやって来た。
「朝早くからご苦労様です、皆」
庄屋は村人達をぐるっと見渡した。老人、子供、男、女。村の者が全員来ていることに満足する。嫁の美代の家族も後方にいた。
「庄屋さん、用件を早く言ってくれ」
「そうだ、田んぼや畑を放ったらかしなんだ」
「一体朝早くから何だってんだ」
村人達は不満を主張し始めた。いや不満ではなく、至極真っ当な主張である。
「田んぼも畑も、年貢のことも、全部、明日からは心配しなくていいと言ったら?」
庄屋の声は決して大きくなかったが、内容には村人達を静かにさせる絶大の効果があった。
「実はこの山の中で金が見つかった。今からここにいる全員で探しに行く」
そんなバカな。いや庄屋さんの目は本気だぞ。様々なつぶやきが行き交い、さざなみのように戸惑いが広がる。律達も例外ではなかった。
「信じられないのは無理もない。だが、これを見てくれ」
庄屋は何かをつまんで自分の眼前で村人達に披露した。庄屋指がつまんでいる物は、黄色に光る小さな粒だった。
金だ。金だ。
次第にどよめきに変わっていった。
----きんて なんだろう。
「あんた、どうする?」
「何か話がうますぎる……まだ様子をみよう」
「はいよ」
「信じる者だけでいい。今からついて来い」
庄屋にそう言われたものの、村人達は全員、庄屋のあとについて行った。
ついて来ないというのを逆らった、とみなされるのは恐怖以外の何ものでもない。
村人達は、胸中はさておき命令に従った。
旅の商人の見送りは、庄屋の息子夫妻だった。
3人が村の外れ近くへ来た時、村の方から誰かが走って来た。
「誰かしら?」
それは、朝早くに結衣の家を訪問した庄屋の使いだった。3人の元へついた時、庄屋の使いは息が切れ切れになって全身汗だくだった。
「どうしたんです?」
庄屋の息子は怪訝な顔をした。
「それが坊ちゃん、こちらのお方が拾ったっていう、あの黄色いやつのことが分かったんでさ」
「私が拾ったものに、何か不都合でも?」
旅の商人も庄屋の息子と同じ表情になった。ちなみに黄色いやつは、置土産代わりに庄屋に贈っていた。
「それが、あれは強力な毒だって分かったんです」
「何だって?!」
庄屋の息子は仰天し、旅の商人は目を見開き、美代は小さな悲鳴を上げた。
「商人様、旦那様からのお願いです。あの黄色いやつを拾ったっていう沢の位置まで坊ちゃん達を案内してほしいんです」
旅の商人は逡巡した。
「そうしたいのはやまやまですが。本当にうろ覚えでして、いささか自信が。旅も急がねばなり」
「そこを何とか!山のことなら坊ちゃん達はとても詳しいです。説明するのは難しくても、景色を見れば思い出しませんか?」
「商人様、山のことならお任せください。お願いです、毒が万が一村の子供に渡ったらと思うと!」
なおも旅の商人は躊躇っていたが、庄屋の息子の懇願を受け入れた。
「分かりました、できる限りのことをいたしましょう。御案内をお頼みします」
庄屋の息子は頭を深々と下げ、美代は破顔し、庄屋の使いは事を報告するため村へ戻った。
*****
庄屋の息子を先頭にして、旅の商人、美代の順で山へ入った。
庄屋の息子は時々振り返って記憶にあるかどうかを旅の商人に尋ねていたが、はかばかしい成果は得られなかった。
美代は女の足でありながら、辛抱強く男達について来ていた。
3人は、山の奥深くに入り込んで行った。
山へ入って数刻が経ち、太陽が中天を過ぎた頃。休息をとっている3人の元に、落ち葉を踏みしめる音が近づいてきた。旅の商人は腰を浮かせた。
「山の獣でしょうか?」
「いや、これは人ですね………って父さん!?どうしてここに?!」
近づいてきたものの正体は庄屋だった。額に汗の玉をびっしりこびりついており、呼吸が荒かった。
「強力な毒と聞いてな。ならば、村人全員を使って探したほうが、よいと思ったのだよ。もうすぐ皆来る」
「そうですか。心強いです」
庄屋親子が笑顔を交わした。旅の商人はそれをやや離れた所から眺めたあと、目を丸くして辺りを見回した。
ある方向で視線を固定し、しばらくして「あっ」と叫んだ。
「庄屋さん、あっちの方向です。あっちの方向に、あの黄色いやつを見つけた沢があるはずです」
庄屋親子は歓声を上げた。美代は口の端を持ち上げた。
「よし、では儂が先に行く。美代さんは儂の後ろからついてきてくれ。お前は商人様とここに残って、村人達を誘導してくれ」
「はい」
そうして庄屋と美代は、旅の商人が示した方向へ進んだ。
「商人様、お急ぎのところ申し訳ありません。村人達が来ましたら、俺が商人様を麓まで送りますので」
庄屋の息子が頭を下げると、旅の商人の商人はそれを制した。
「私のことはお気遣いなく。徹底的にお探しになる方が村のためになるでしょうから」
2人の姿が見えなくなってしばらくしてから、人の声が聞こえ始めた。ガサガサと茂みを分ける一際大きい音のあと、村の男が数人、姿を現した。
「おおい、お坊ちゃん。庄屋さんはどちらにお行きなすった?」
「あちらです」
「分かりました。おお〜い、皆、こっちだぁ!!こっちだぞぉ!!」
先頭集団の男達の声に応じて、村人達が次々に集まって来た。年もばらばらで性差もあるから、すぐに全員集合とはいかなかった。
それでも普段農作業に追われて体力がそれなりにあるお陰で、それほど長い時間をかけずに全員が到着した。
「よし、皆。目当ての物はあちらにあります。あと少しです、お願いします」
村人達は、庄屋達が向かった方向へ歩き始めた。
「結衣?どうしたんだい?」
村人集団の後方にいる律は、足にしがみつく結衣を見下ろした。結衣は律の足に両腕を絡めて抱きつき、顔を膝小僧のあたりにうめている。
「結衣、離れておくれ。歩けないよ」
結衣はしがみついたま首を勢い良く横に振った。こうなると結衣は、よほどのことがない限り律から離れない。律は困惑した。
「結衣、行きたくないのかい?」
----あのひと こわい。
結衣は目をつむって更に力いっぱい抱きついた。
「どうしたのですか?」
庄屋の息子が結衣達の所へ寄って来た。
律は頭を上げた。村人達は既に先に進んでおり、夫の姿も見えない。
この場には、律と結衣、庄屋の息子だけだ。少し離れた大木のところには旅の商人がいて、大きい木の根に腰掛けている。
「結衣が行きたくないようなんですよ。ほら、結衣!皆先に行っちまったんだよ!?置いて行くがいいのかい?!」
----ちがう。この こわいひとと いっしょなのは いや。
結衣の目頭が熱くなる。律は裾が濡れたことで更に困惑した。娘が、結衣が泣いている。結衣は滅多なことで泣かない。どうしたというのか。体も少し震えている。
「どこか痛いのかい?具合が悪くなったのかい?それとも疲れちまったのかい?」
結衣は首を横に振るばかりだ。律は結衣の表情を確認するため、無理矢理足から引きはがした。
「結衣?」
結衣の顔は真っ青だった。目は赤く、唇を噛んでいる。律の顔も青くなった。このまま山へ連れて行くわけにはいかない。しかし、庄屋さんの命令従わなければ、水のことでどんな不利益を被るか分からない。
「よければ見ていましょうか」
庄屋の息子の手が結衣へ伸ばされた。
《後編へ続く》




