56:無意識の爆弾
「ふぅ…」
あと半分くらい残っているのに、お腹が限界に近いんだけど…。
ん~、ご飯盛りすぎたかな?
いやいや、いつも通りだ。
目の前の丸いお皿に乗った本日の夕飯、チーズカレーと現在無言のにらみ合いをしています。
特売のスライスチーズが一枚トロ~って乗っかっていて、見た目は食欲そそる感じなのに私の胃袋のバカ。
テーブルにじっと目を固定していた伊奈実は、ふぅとため息を一つ零して天井を見上げた。
先生の言ってた事も、じっくり考えてもやっぱり、さっぱりわかんないし…。
「無意識なのも罪なもの……何が?」
主語が、主題が、思いっきり欠落しているその言葉。
一つ目の答えだと、珠洲先生は言った。
未来の私は知っている。でも、今の私には分からない。
それでも、少しは分からないと未来の私に分かってもらえないと先生は言う。
ヒントはただそれだけ。
「あー、わかんないよ…」
先生は、きっと私に分かってもらいたいって思ってる。
こんなにモヤモヤした気分は久々で、もう頭パンクしそう…。
頭上のモヤモヤを眺めていると、ピーンとなんとも微妙な彼女の部屋の呼び鈴が鳴った。
こんな時間に誰だろう…?
リビングの掛け時計は午後八時を指そうとしている。
うんー…宅配かな?
「はーい、どちら様ですか?」
「伊奈実ちゃん!」
「は?…あぁ、先生でしたか」
目の前に思いっきり迫ってきた胴体にびっくりしたけど、聞き覚えのある声の持ち主は顔を上げて確かめるとやっぱり珠洲先生だった。
「先生でしたかじゃないよ〜。伊奈実ちゃん誰か確認してないでしょ〜?」
「は???」
なに?いきなり…。
「”どちら様ですか?”って言いながら開けるなんて危険だよ〜。ドアスコープ覗いて誰か確かめてからチェーンは外さずに開けないと、危ない人だったらどうするの〜?」
「危ない人…」
「そう!伊奈実ちゃんかわ…あれ?!伊奈実ちゃん?!」
話の途中でドアが閉められた楓はあわてて彼女の名を呼んだ。
するとチェーンがかけられたその隙間から伊奈実の姿が再び現れた。
「危ない人なので閉めただけです」
「えぇ?僕危ない人じゃ…さっきのこと?」
確かにさっき、わけわからない事言われた挙げ句、唇に唾つけられた。
でもそれだけじゃないっていうか…
「…全体的に?」
誕生日会から黙って連れ出されるし、よく唾付けられるしって考えると、先生を危ない人ってちょっとくらい言っても良いよね?
でも、今だって、それにごはんの事も、気にかけてくれてるってことはちゃんと分かってる。
「えぇ!?笑いながら言われると傷つくな〜」
なんて言いながら先生も笑っている。
「冗談ですよ半分。ここで騒いだらアレですから、どうぞ部屋の中へ」
「うんありがと〜…って半分本気なの〜?!」
***
「ん〜、いい匂い〜。いただきま〜す」
「はい」
部屋に入るなり、この漂う香りに気付いた先生は僕も食べると言って聞かなかったので出す事に。
冷凍すればいいやって余分に作っておいてよかった。
「チーズ入ってるね〜」
「今日の特売品ですから使いたくって」
伊奈実のその一言に楓の動きがピタッと止まり、その視線は彼女を捉えた。
「伊奈実ちゃん、さっきはごめんね」
「さっきっていつです?」
彼女のポカンとした一言に楓は椅子から落ちそうになったが、何とか堪えた。
「一度、帰る前…わかってもらいたいって君を急かしたこと…」
あぁ、あれ。
さっき入り口で危ない人呼ばわりして、モヤモヤがちょっとスッキリしちゃったから忘れかけてた…。
彼女の中では何度も勝手に唾つけられたりしている小さな事も謝って欲しい事リストにこっそり入っていたりするが、それは黙っておく事にした。
それより、尋ねたい事があるのだ。
「先生、一つ聞いてもいいですか?」
「うん。答えられることなら」
あの”罪なものだね”以外にどうしても、知りたいことがある。
「一つ目の答えって言ってましたけど、答えはいくつもあるんですか?」
うーん…と一言考えるように唸ってから、楓は口を開いた。
彼は言葉を探したのだ。
今の彼女に十分伝わるにはどうしたら良いか。
「あの場合の”答え”は、伊奈実ちゃんに”知ってもらいたい事”に最終的に繋がる事だから、言い直すと”小さな答え”…かな〜」
「”小さな答え”ですか…」
ゆっくりと楓が頷く。
「その”小さな答え”がの意味が分かったら、”本当の答え”が分かるってことですか?」
「うん、そうだね。伊奈実ちゃんなら気付いてくれると僕は思っているよ」
いつもの先生の声は、穏やかなままなのに何故かじんと深く胸に響いた。
「じゃ〜、いただきま〜す!ん〜♪」
おいし〜!とトロトロのチーズの乗ったカレーはどんどん彼の口へ入っていく。
自然とそれに誘われる様に伊奈実のスプーンも再び動き始めた。
***
「はぁ〜♪ごちそうさまでした〜」
「はい、それはよかったです」
幸せそうに三杯食べた自らのお腹をすりながら言う楓に伊奈実は最後の一口を飲み込んでから返事をした。
「そう言えば伊奈実ちゃんごはん途中だったんだね〜、微妙な時にお邪魔しちゃってごめんね〜?」
「いえ、食べるの止めようって思いかけてた時だったんで」
「じゃあ、僕ナイスタイミングって事かな〜?」
まぁ、悪いタイミングって事はないかな。
それに目の前でおいしそうに食べてくれると不思議と自分も手が動いていく。
「そうですね。なんか先生と一緒だと食べれるみたいです」
「………っ」
「先生?」
急に片手で顔を半分覆う様にした下を向いた楓の行動を不思議に思った伊奈実は、彼を呼んだ。
何か悪い事でも言ってしまったのかと思いかけていた時、小さな返事が返ってきた。
「うん、うん」
なんだかその声に喜びが混じっているのを感じ、そのままにしておく事にした。
たっぷり三十秒、そのままだった彼はゆっくりと彼女へ顔を向ける。
何だかとても嬉しそうな表情だが、その耳だけが真っ赤に染まっているのに伊奈実は気がついた。
「………無意識なのも良いものだね」
「はぁ?」
なんなの?
楓の心の底からの言葉は、伊奈実を更に謎に落とした。
同じ様な表現で”罪なもの”と言ったその口が、今度は”良いもの”だと言葉を零したのだ。
主題の見えない彼女にとってはもう、こう例えるしか無い。
「意味、不明…」
頭を抱えて謎と闘うが、自分の放った言葉の威力を知らない伊奈実。
そして壮絶に破顔している楓。
四月の夜に、チーズカレーの残り香が空間に満ちていた。




