50:バスク
学校から歩いて十五分。
その住宅街は香ることで有名だ。
その香りの元を辿ると、ひと際緑に囲まれたクリーム色の小さな建物がある。
一見お店とは分からないが、よく見ると入り口の右上に手のひらサイズの茶色い豆型看板。
”バスク〜珈琲専門店〜”
「こんにちは」
「いらっしゃい。九ちゃん」
おしゃれな横引き戸を入ってすぐ、このお店の店員さんの一人である、八屋(はちや)さんがいつもの落ち着いた声で、わざわざこちらへやって来て迎え入れてくれた。
八屋さんは、茶色いフチの分厚い眼鏡が印象的なお兄さん。
黒髪がくるくると天然パーマがチャームポイント。
よく文庫本を片手にカウンターにいる。
「今日は暖かいし、風もほんの少しあっていい天気だね」
「そうですね。授業中も良い風吹いてきてました」
「九ちゃんの教室はあの校舎でも風が入りやすい場所だったよね。今日は授業大丈夫だった?」
”大丈夫だった?”とは、授業で分からなかった所を時々八屋さんが解説してくれるから、気にかけてくれているということで。
実は彼も青野の卒業生。つまり先輩だ。
「はい、今日は大丈夫です」
「うん。それは良い事だ。また分かんないトコあったらいつでも聞いて」
「ありがとうござい…」
「キューちゃん!」
お店の奥の方から駆けてきたサクラさんにふわっと抱きしめられた。
「こんにちは、サクラさん」
「いらっしゃい。待ってたわよ〜♪日曜日の午前ぶりね〜」
「はい」
日曜のお弁当が完成した後、サクラさんとリーヤさんは用事があって出掛けてしまったからそれぶりだ。
ハグを解くと、サクラさんは目を鋭くして八屋さんを視界にとらえた。
「八屋〜!キューちゃんが来たらすぐに呼んでって言ってたでしょ〜!」
「え?店長、毎回こうして九ちゃんの気配を察知して来るんですから、必用性が感じられないんですけど」
「確かにそうだけど〜、一応言って欲しいの〜!」
「はいはい。次は彼女が敷地内に入った瞬間に店長をお呼びします」
「も~。八屋はまだ反抗期なの~?"はい"は一回にしなさいよね~」
そう言いながら、サクラさんは入り口の方へと歩いて行くのを、八屋さんが左手で制した。
「反抗期は十代に終えましたから、ご心配なく。それから、入り口なら九ちゃんが入ってすぐにCLOSE出しましたから、ぬかりはありませんよ」
「あら、さすがね~。それなら八屋、アレ持ってきてちょうだい〜」
「わかりました」
さっきの言い合いはどこへやら。
返事をするなり八屋さんは店の奥へ姿を消した。
「さて、キューちゃんまずはいつものをいつもの量で良いかしら〜?」
「はい。お願いします」
ここへ来た目的は、いつものコーヒーを買うこと。
私は毎回、大体ひと月分を買う。
今週は特に先生がなぜか家に来たせいで、なんと水曜日の夜に切れてしまった。
サクラさんは鼻歌まじりにお店の棚から私が飲んでいるコーヒーを出してくれた。
「は〜い、じゃ〜1800円ね〜☆」
「あれ?サクラさん、1876円じゃ…?」
毎回同じものを買っているから値段はきっちり覚えている。
「あら、キューちゃんは記憶力良いのね〜。誕生月割引よ〜」
「そんなのありましたっけ?」
「本来は無いよ、九ちゃん。店長は細かいお釣りが面倒なだけですよね?」
戻ってきた八屋さんが淡々と教えてくれた。
「も〜ばらさないでよね〜。そ〜いう事だからいいのよ〜キューちゃん。はい、お釣り〜」
「店長、それからコレ彼女に渡すんですよね?」
「そ〜よ〜♪」
小さなレジを閉めたサクラさんはニコリとこちらに笑顔を向けてくれた。
「キューちゃん、ちょっと遅れたけど誕生日プレゼント受け取って〜♪」
「はい、九ちゃん。17歳おめでとう」
八屋さんの手から受け取ったのは、ピンクのリボンで可愛く透明な袋をラッピングしたものだった。
中身はコーヒー。
だけどいつものとは全く違う、特別なコーヒーだ。
同じドリップタイプだけど、私が飲んでるそれとは香りも味も、それから値段が格別に違う、超お高い代物です。
何でそれを貰う事になったかは、先月の終わりにここを訪れた時に遡る。
____三月二十八日______
「あら〜?キューちゃん誕生日来月じゃない〜?!」
お店のスタンプカードの裏をサクラさんがじっと見て驚きまじりにそう言った。
「はい。そうです」
「何日なの~?」
「三日です」
「みっかって3よね~?」
「はい」
「て、ことは~今日も含めてえっと…一週間〜!?」
なぜか名画”叫び”のポーズで見事に固まってしまった店長さんの声がお店に響き渡った。
「て、店長さん…?」
「店長、うるさいです」
ピシャリと八屋さんが店長さんを叱りつけた。
「うぅ〜間に合わない…どんなに計算しても間に合わないわ〜」
それをスルーして指折り何かを数えては頭を抱えるを繰り返している。
「店長、何が間に合わないんです?」
見かねた様に八屋さんが店長さんに声をかけた。
「八屋〜ニックに連絡しても一週間でアレ届かないわよね〜?」
「あぁ。アレは無理でしょう」
アレとやらが分かったらしい彼に即答され、ますますサクラさんは悲しそうな表情をした。
「キューちゃんごめんなさいね〜。プレゼント当日には間に合わないけど、そのうち受け取ってくれるかしら〜?」
「え?あ、ありがとうございます。良いんですか?」
「ふふふ〜、もちろんよ〜。じゃ〜届いたら言うわね〜」
________________
「ありがとうございますっ。とっても嬉しいです」
「きゃ〜!八屋、八屋!これよ〜。この笑顔よ〜!!」
ギュッとサクラさんの腕にまたも囲まれる。
サクラさんと私を交互に見た八屋さんは、顎に手を当てて少し考えるような仕草の後、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど…。確かに店長が騒ぐだけはありますね」
「ふふふ〜、でしょ〜?」
頷く八屋さんに満足したのかサクラさんは得意気に笑った。
「あの、サクラさん?」
「そうだわ〜!キューちゃんに聞いて欲しいことがあったのよ〜」
何かを思い出したのか、サクラさんは私を離し、腕を伸ばして両肩を掴まれた。
サクラさんが私に聞きたい事?
「はい、なんですか?」
「月曜日からカエデの様子が変なのよ〜」
「変…ですか?先生はいつも変だと思いますけど」
「ぶっ…」
「八屋〜?」
いきなり吹き出してお腹を抱えて肩を揺らす八屋さんをサクラさんがじろりと睨んだ。
「すみません。でも九ちゃんのカエデさんを例える言葉があまりにも面白くって」
「もう〜。まあ〜確かにカエデはちょっと変わってるけどそうじゃないのよ〜」
「どういうことですか?」
「夕飯家で食べないのよ〜」
眉を下げて言うサクラさんは本当に先生を心配している様子で、見ているこちらも悲しくなりそうなくらい。
まったく…珠洲先生、何サクラさんに心配かけてるんだか。
夕飯をお屋敷で食べないなんてどこをほっつき歩いて…あ。
夕飯…………う…心当たりは…ある。
「店長。カエデさんも小学生じゃないんですから外で食べることくらいありますよ」
眼鏡を拭きながら、もっともな解説をする八屋さんへ先生のお姉さんは口を尖らせて反論した。
「でもカエデはニホンで暮らしてる時は、昔からガールフレンドが居ても居なくても夕飯は帰ってきてはうちの料理人のご飯食べてたのよ〜?
なのに今回は聞いても”内緒〜”とか言って教えてくれなかったのよ〜」
おかしいでしょ〜?と更に表情を曇らせる。
あぁ、サクラさんそんなに悩まないでください。
原因は…
「サ…」
「これは新しい女ですかね」
八屋さんの推理に私の声は消された。
「えぇ〜?!そうなの〜?」
更に悲壮な表情に変わるサクラさんのきれいな顔。
「店長…僕に聞かれても分かりません。
でも、女だったらその家で夕飯食べるのもありだし…そう推理すれば納得いきませんか?」
「いやよ〜っ!例えそうであったとしても私は嫌よ〜!!なんの為にお気に入り譲ってあげたと思ってるのよカエデ〜!!!」
何となく筋の通った解説を聞く度、ゆるく巻いてある髪をくしゃくしゃとして、最後には今ここに居ない先生に向けてサクラさんは叫んだ。
「うぅっ〜…キューちゃんカエデがごめんなさいね〜。私が鉄拳お見舞いするからね〜」
ハラハラと涙を零しながらよくわかんないけど私に謝るサクラさん。
今、鉄拳…って聞こえた…よね?!
どうしよう。
こんな事で先生とサクラさんがケンカしちゃったら………。
「店長、うるさいです。落ち着いてくださいよ。あくまでも僕の推理ですから。
九ちゃんの表情からして、彼女が何か知っているみたいですよ。聞いてみては?」
八屋さんがなんだか楽しそうにこちらへパスを投げてくれた。
私のおろおろ感が伝わっていたのかな?
よし、ちゃんと言わないとサクラさんの心配が無くならないし。
「サクラさん」
「なぁに〜?」
「ごめんなさい!珠洲先生、よく分かりませんけど…私の家に毎…晩ご飯食べに来てま…す」
「へ〜?!」
目が点ってこういう事だろうなって言うぐらい、サクラさんの瞳はキュッと変化し、口もぽかんと開いた。
「と、いうことは…九ちゃんがカエデさんの女…?」
「ち、違います!違います!!」
サクラさんと同じ表情をした八屋さんの間違った爆弾推理に思いっきり首を振って否定した。
「ふーん…でも九ちゃんの家で一緒にご飯食べるんだよね?」
「そうですけど全然違うんです!」
「どう違うのかな?八屋のお兄さんに聞かせてごらん?」
か、かわいい。
腕を組んで首を傾げるこのお兄さんは、十代に見えてもおかしくない愛嬌を持っている。
「えっとですね…そもそも珠洲先生は勝手に私の家に来るんです」
「へぇ…。どんな風に?」
「私は普通に下校して家に帰って家事とか課題とかしてるんですけど…」
「うんうん」
「六時ちょっと過ぎくらいに何の予告もなく家に来るんです」
そう。チャイムが鳴って出ると先生が居るのだ。
”伊奈実ちゃ〜ん”って、いつものあの調子で。
アパート自体の入り口にセキュリティがないから家の前に直接存在するわけで。
「嫌ならそこでカエデさん追い返せないの?」
「それが先生粘るんですよ。うちのアパート夜とかに騒ぐと奥様ネットワークで噂されるから、そうなる前に私が折れるしかないんです…」
「あぁ…それは生きるための二択だね」
「そうなんです。だからそう言うのとは違うんです」
「ふーん、なるほどね」
うんうん頷く八屋さん。
よかった。どうやら納得してくれたみたい。
それに、先生が私の家に来るのは間違いなく私がご飯をきちんと食べているかの確認をするためだと思う。
「はぁ〜…よかったわ〜♡それに謎も解けてすっきりよ〜♪はい、コーヒーどうぞ〜」
いつの間にかご機嫌になったサクラさんによって私と八屋さんんの手にカップが渡った。
独特のいい匂いが湯気に乗って辺りにふわりと広がる。
「店長、これお試しのですか?」
「そうよ〜」
「サクラさん、お試しって何ですか?」
「店長はニックっていうバイヤーから仕入れているんだけどね、その人が時々お試しって言って自分のお薦めをこっそり入れてくれるんだ。
それが良かったらこっちも買うっていうシステムで、九ちゃんが買ってくれたそれも始めはお試しで入ってきたヤツなんだ」
「そ〜よ〜だからキューちゃんも感想聞きたいから気軽に飲んで〜」
八屋さんの説明に優雅にコーヒーを飲みながら頷くサクラさん。
「いただきます。………おいしい」
「そうね〜。香りも値段も値段もまあまあだし、いいかもね〜」
「ニックに連絡しときます」
「お願いね〜」
カップと子機を持って八屋さんは店の奥へと進んで行った。
コンコン!
その時入り口が柔らかくノックされ、私たちはそちらを見た。
「サクラちゃん着いたよ」
この声と呼び方は…
「リーヤ〜!ナイスタイミングよ〜」
サクラさんが鍵を開け、迎え入れたのは、やはり彼女の婚約者、リーヤさんだった。
「そうかな?だったら嬉しいな。キューちゃん誕生日おめでとう」
サクラさんとの会話の後に、はい、プレゼントとリーヤさんの手から渡されたのは、リボンのシールが付いた横長の形の封筒だった。
「ありがとうございます。頂いていいんですか?」
「うん、開けてごらん」
促されるまま、その封を破ると、中にはこれまた横長の一枚の紙が入っている。
「クローバーパーク…の入場券?」
「うん、そうだよ」
「そうよ〜」
リーヤさんとサクラさんは声を合わせて頷いた。
クローバーパークはこの辺で一番近くの遊園地だ。
商業施設も併設されてて、有名なお店も軒を連ねている今、人気のスポット。
「じゃ、行こうかサクラちゃん、キューちゃん」
「は〜い♪」
「え?どこへですか?」
「その紙の使える所だよ」
これの使える所ってつまり…
クローバー…パークってこと?
え?………えぇぇぇぇぇ!?
「八屋〜、お店閉めるのお願いね〜」
「分かりました。おつかれさまです」
奥の方から本人は見えないけれど、片手が現れひらひらと振られ、返事が帰ってきた。
「さ、行くわよ〜♪」
いつの間にか手を引かれ歩き始めたけれど、頭はこの状況へ理解が追いつかなくて、クエスチョンマークが埋め尽くしていた。
ど、どうなるんだ私?!




