48:今はまだ
「伊奈実ちゃんどお〜?」
「おいしいです」
夕飯の後、片付けをしていた間に先生がコーヒーを淹れてくれた。
現在、時刻は七時半。
先生はまだ帰る気が無さそう。
それにしても先生のコーヒは、私が淹れるよりおいしい。
私もサクラさんに教えてもらったやり方で丁寧に淹れているのにこの差は何?!
「あれ〜?伊奈実ちゃんいつものおいしい顔してないよ〜?本当のこと言って良いんだよ〜」
そう言って私の顔を覗き込んで来る。
本当のこと…?
「…いです」
「ん〜?何て言ったの〜?」
「悔しいんです!私がいつもここで淹れたのよりもずっとおいしいから!!」
カップからコーヒーそのものに至る全てが私がいつも使っているものなのに、悔しい!悔しい!!悔しすぎる!!!
「それはそうだよ〜。僕のはちょっと違うもの入れてるから〜」
笑顔全開でカップを左手で指さしてちょっと勝ち誇った顔をする。
「何も違わないじゃないですか。か、楓が淹れるところを私も見てましたけど、変な物他に入れて無かったじゃないですよ」
「見えないけど、入れてたんだよ〜」
その指を今度は左右に振ってチチチなしぐさ。
ふっ…どうしてかな。すっごくムカついて来た。
でも何を入れたんだ?
まさか…
「変な薬とか…」
「え〜?そんなもの入れないよ〜。僕ってそんなに信用無いの〜?」
「…ですよね」
「あ〜!今の間なに〜?無言の肯定なんて悲しいすぎるよ〜」
泣く姿勢に入ろうとする先生の肩に手を置いて、動作を止めた。
「冗談ですよ、冗談。で、結局何入れたんですか?」
ほんのちょっとは本気で思ったけどね。
先生が半泣きの顔を上げて、唇をとがらせた。
「聞きたい?伊奈実ちゃん本当に聞きたいの〜?」
この仕草…たまらなく鬱陶しい。
でもここで鬱陶しいとか言っちゃうとさらに面倒な事になりそうだしな。
何より私もおいしいコーヒー淹れたい!
頑張れ、私!!
「き、聞きたいな」
持てる力を、いや、笑顔をおもいっきり作り上げて先生を見返した。
目を合わせたまま、しばらく考え込む仕草をしてからゆっくり口を開いた。
「ん〜もっとこう…本当の笑顔が見たいんだけどな〜」
そんなこと言われても、もう無理。
顔の筋肉繊維が切れるっ…
「でも伊奈実ちゃん頑張ってくれてるから、特別に教えちゃうよ〜☆」
「なんですか?」
「それはね〜」
「はい」
「魔法だよ〜♪」
「…はい?」
え?何。
今、魔法って幻聴が聞こえた気がする。
「だから〜魔法だよ、ま・ほ・う♪」
「……………」
げ、幻聴じゃなかった。
誰か。誰でもいいからこの状況を処理してくれる人、居ませんか?
「伊奈実ちゃんもこうやって丁寧にペーパードリップするでしょ〜?」
そんな私の心境を知る訳もない先生は喋り続ける。
「はい」
「僕はね〜、その時一緒に飲む人を思い浮かべて魔法をかけるんだよ〜」
「飲む人…ですか?」
「うん、そうだよ〜。今のコーヒーなら、伊奈実ちゃんを思い浮かべるでしょ〜?それから伊奈実ちゃんの為においしくな〜れって思いながらいつもと同じようにお湯を注ぐんだ〜」
「それが魔法とか、言わないですよね?」
”おいしくな〜れ”って思うだけ…。
そんなファンタジーなこと信じられるわけがない。
「うん。それだけだけど、意外と違うんだよ〜」
「は、はあ…」
「半信半疑…いや、半分以上疑ってるってところかな〜?」
クスクス笑いながら私の頭に手をポンと置いた。
「今度やってみるといいよ〜?本当に魔法みたいにおいしくなるか…あれ?伊奈実ちゃんこれってアルバム〜?」
リビングの隅、本棚の一番下を指さしながらそこへ、さっそく近づいて行く。
話が急に変わったな…。
気まぐれに振り回されるこっちの身になって欲しいもんだ。
「そうですよ」
「伊奈実ちゃんの〜?」
「私が写っていますけど、ミナミさんのライフワークみたいなものです」
「ライフワーク?」
「はい。ミナミさん昔から私のことを必ず毎月一枚撮っているんです」
「じゃ〜このアルバムにはいつ頃の伊奈実ちゃんが写ってるの〜?」
先生が持って来たそれに手を伸ばして、表紙を見る。
「これは、えっと…中学の三年間ですね」
前にカオと花が家に来た時、ちょうどミナミさんも帰って来てて。
このアルバムわざわざミナミさん自分の部屋から引っ張り出して話してたのをそのままにしてたんだった。
「見てもいい〜?」
「はい。別に面白くないですけど見たければどうぞ」
「わ〜い!見るね〜♪」
先生は言うなり早くも表紙をめくる。
「わ〜!かわいい~!!中学の頃はセーラー服だったんだね〜」
先生が指さしたのは入学式の日の一枚。
校門の前で微妙な顔で一人立っている姿のもの。
「セーラーの割に襟とかにラインが入って無かったんであんまり人気無かったですよ」
紺色の生地に、真っ白のつけ襟を重ねたシンプル極まりないパット見。
リボンは水色で、左袖の部分に小さく校章の刺繍が入っていたのが、ポイント。
スカートも同じく紺色で、靴下は指定の白。
近隣の学校の方が、同じセーラーなのにデザインがうんとかわいかったから、殆んどの生徒が初めて袖を通す時にがっかりのため息を吐くと言われる、通称・トイキ。
本当はため息だけど、そう言ってしまうと悲しさ倍増だからあえてのトイキ。
「へ〜?僕はすきだよ〜。この耳の下あたりで髪を結んでるのも中学生って感じで効果抜群だよね〜。伊奈実ちゃんちょっと結んでみて〜?」
アルバムから顔を上げ、耳の下に手を置いて二つしばりのポーズとともにリクエストしてきた。
「無理です。私の髪、結んでもすぐに解ける厄介者なんで」
「そうなの〜?残念〜…あ、本当にさらさらだね〜」
「ちょ、触るな変態!」
いつの間にか近づいて、髪を触ってくるこの変態を頭を振って遠ざける。
「え〜?もうちょっと触りた…そんなに見つめてくれるなんて嬉しいよ〜」
「どこをどう見たらそんな解釈出来るんですか?」
思いっきり睨んでるのにどうしてそう捉える事ができるのか、全くわからない。
「僕が見ているのは今現在だよ〜?」
「なるほど。今現在という名の異次元ですね、分かりました」
「わ〜ん!伊奈実ちゃんが酷いよ〜。あ、拗ねてるんでしょ〜?」
…は?
拗ねてる?
そんなことはないけど、いきなり何を言い出すのか。
「何にですか?」
「大丈夫だよ〜?僕は今の伊奈実ちゃんが今一番好きだから〜♪」
「は?…」
今の私が今一番好き?……そう言ったな。
それが”拗ねてる”に繋がるってこと?
「”今の私”と”拗ねてる”の間は何ですか?」
「ん〜?そうだね〜。ヒントをあげるね〜?」
ニッコリ笑顔をさらに深める先生の目が、あの色が私を覗く。
「未来の僕は未来の伊奈実ちゃんがその時一番好きだよ」
「……それ本当にヒントですか?」
どういうことやら、さっぱり分からない。
「うん、ヒントヒント〜。大丈夫だよ。未来の伊奈実ちゃんはきっと僕が言った事分かるだろうから、今はまだそのままでいいよ〜」
「私は今、理解したいんですけど」
分からない例えをされると、頭がもやもやして気持ち悪い。
「ははは〜。焦らなくても大丈夫だよ〜」
「それでも、今分かりたいんです!」
「大丈夫だよそのままで」
私の頭にポンと手を置いて、ゆっくりと撫でた。
「今はまだ、ね」




