44:秘密基地でお弁当を
「わぁ…」
天高く伸びた常緑樹にぐるりと囲まれ、柔らかな木漏れ日が降り注ぐ。
聞こえるのは鳥の声と風が葉を揺らす音だけ。
「ここ何も無いのが良いでしょ〜?」
先生が私の反応を楽しそうに見ながらゆっくりとそう口にした。
「はい、とっても。お屋敷の裏にこんなところあったんですね」
ここは先生のお家の裏側にある森の中です。
昨日の桜の樹のあるお庭からほんの少し歩いた所にこんな場所があるなんて。
「僕らの秘密基地へようこそ〜」
「秘密基地…ですか?」
「うん。小さい頃はサクラとリーヤと三人でよくここでカブトムシとか色んな虫を捕まえて遊んだり、一人になりたい時もここに来てその辺にハンモック掛けて空を見上げていたんだ〜」
辺りを見回しながらそう話す先生は懐かしんでいるのか、いつもに増して表情が柔らかい。
本当にここ、先生の…
「特別な場所なんですね」
「…」
いつもよく喋る先生は何も言わず、私の頭をやさしく撫でながら、ただニッコリ微笑む。
この人の本当の意味での肯定に不思議と思えた。
「っ…?」
「伊奈実ちゃん?どこか痛むの?」
心臓が一瞬おかしな動きをして、胸に手を当てた。
「あ、いえ。どこも痛く無いで…す?」
「ん?どうして疑問形なの?」
「いえ。よくわからないっていうか…あ、一瞬だったので今は全然大丈夫ですから!」
「ホント?」
嘘が無いかじっと探るように目を見つめられたから、それを真っ直ぐ見た。
「はい」
「そっか〜。何かおかしいなって思ったら僕に言ってね〜?」
「わかりました」
「よろしい。ははは〜」
自分でもよくわからない動悸は一瞬だったけど、確かに体に刻まれた気がした。
*
「ん〜!今まで食べた物の中で一番おいしいよ〜!!伊奈実ちゃん」
あれからこの森の中にレジャーシートを敷いて、二人でさっき作ったお弁当を食べ始めたんだけど…。
先生のこのリアクションについて行けない。
自分が作ったから、味は本人がよく分かっている。
”普通”だってこと。
ましてやこの人、毎日その道のプロである伊藤さんのごはんを食べているのに、
”今まで食べた物の中で一番おいしいよ〜!!”ってそんな訳あるか!!!
「楓…無理しなくてもいいですよ?」
「ん?…あ〜!伊奈実ちゃん僕の感想が嘘だって思ってるんでしょう?!」
「はい」
何の間も置かずに、むしろ食い気味で返事をした。
「わ〜!伊奈実ちゃんが酷いよ〜!」
「酷いのは先生です!」
「え〜?」
本当に分からないと言わんばかりに首をかしげる先生の仕草にイラっとする。
「お弁当をそんなに誇張して表現しなくてもいいです!普通って分かってますからんっ…!?」
「分かってないのは伊奈実ちゃんだと思うんだけどな〜」
先生が箸でつまんだ、だし巻き卵で口を塞がれた。
な、どういうこと?これ?!
そのままの奇妙な状態で、先生は嘆き始める。
「そのだし巻きとってもおいしいよね〜?」
「むふーぬふ(普通です)」
「そうだよね〜、おいしいよね〜」
ダメだ。私の返事聞いてないな…
「僕、こういう手作りお弁当って実は初めて食べるんだ〜」
「?」
「あぁ〜、そんな険しい表情して〜。疑ってるな〜?」
「…」
表情は読むのか…。
「伊奈実ちゃんは僕が海外で育ったの知ってるよね〜?」
「むえ(はい)」
「フランスに居た頃、僕の両親は仕事で忙しかったから、お弁当とかはお手伝いさんのゾフィーが作ってくれてたんだ〜」
お手伝いさんって豪華な生活だな…ん?お弁当食べてたんじゃん…。
「味もね、不味いなんてこともなくて、僕らはそれを毎日食べていたんだ〜」
「…」
「でもね、ある日気付かされたんだ。ゾフィーが友達との電話で、お弁当作るの面倒だって言っているのを聞いちゃったんだ〜」
確かに子供の弁当ってことは早起きして作らないといけないし、それは面倒だろうな。
「それでも仕事だからやらないといけないのよねって、彼女は笑いながらそう話していたんだ。
でね、小さかった僕は思ったんだ。
今まで食べていたのは、なんだかとても空しい物だったんじゃないかってね」
そうか…
小さな先生は何気なく当たり前に与えられていた物の中身の、決して見えないそのまた中の気持ちまで知ってしまったんだ。
似てる…少しだけ。
「大人になった今考えると、ゾフィーの気持ちもわかるんだけどね~。
あの頃は少し幼かったから、上手く気持ちに折り合いが付けられなくてさ。
それからのフランスに居た間、お昼はパンとか買って食べたんだ~」
なんて言いながら頭に手をあてて、先生は遠くを見た。
あ。今の遠くを見る仕草。
前にも見た。
これって少し悲しい思い出の時にするのかな…?
「そうしたら、いつの間にかお弁当が必用な年頃じゃなくなっててさ~今に至っちゃう訳なんだよ~」
「で、今日はちょっと強引にお願いしちゃったけど、こうして伊奈実ちゃんはきちんと一生懸命作ってくれて僕は幸せで~」
先生の顔が近づいてくる。
「こういうお弁当は僕には今日が初めてで、特別においしいよ」
瞳を合わせそう言いながら、私の口を塞いでいただし巻きは先生が手首を動かした事で半分に千切れた。
そして箸に挟んだままのその片割れを先生はゆっくりと自分の口に入れた。
な、何?この背後に薔薇背負ってる感じは…
でも、わかったかも。
先生の言う”こういう”お弁当って
”仕事としてじゃなく作られた”お弁当って…そういう事かも。
それなら…
「わかりました。好きなだけ表現してください」
「良いの~?」
「はい。あの、楓?」
「ん~?」
「今度は楓のためだけに作られたお弁当食べられると良いですね」
そう言うと、先生は少し驚いた顔をして、また笑った。
「ははは~。うん、伊奈実ちゃんに作ってもらうから~!期待してるね~」
「え?!」
タコさんウインナーをつまみながらウインクして、さも決定事項のように軽く弁当作れと先生は口にした。
私が言いたかったのは、次はきちんと恋人にでも愛情の籠ったお弁当を作って貰えると良いですねって事だったのに…
「ん~♪伊奈実ちゃんの手作りはやっぱり最高においしいよ~!!!」
「ちょ、抱き付くな!変態!」
「え~?表現して良いって言ったの伊奈実ちゃんだよ~?」
「表現に抱きつくは含みません!」
「え~?じゃあ~チュッ☆」
こんのぉ…
「頬に唾付けるのも含みません!この変態ーーーーーー!!!」
清々しい森に、微妙にずれた思考の二人の残念な会話が、そして伊奈実の叫びが響くのだった。




