閑話:雲の切れ間から・2
『今朝の電話、私てっきり伊奈実だと思っていつもの調子で出たら恥じかいたわ』
ペロッと舌を出してからジャスミンは今日のランチ、スープカレーを口にした。
『ふふふ。私も伊奈実だと思っていたわよ?』
『伊奈実元気?』
『んー…一日に二回貧血で倒れて先生に保護されたわ〜』
あの後、伊奈実宛にメールを出しておいた。
そうしたら返って来たのが
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From:愛しの娘
件名:
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わかった。
ミナミさん心配かけてごめんね。
伊奈実
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この、上に空いたこの隙間。
言いたい事があるけど絶対命令には逆らえないってわかっているからこそのもの。
渋々嫌々な返事が帰って来ておもしろかったわ。
『あらら〜。あの子ごはんさぼったの?ティーンはそういうの気にする年頃だけど伊奈実は十分細いじゃない』
『絶対手抜きのモノばかり食べてたのよ、まったく〜。伊奈実は食べ物に興味が薄いのよ…』
『それはそれで厄介よね。それ改善させられないの?』
『…根が深いから』
『そう…』
『あ、でも予感がしたの』
『何の?!』
『ふふふ、まだ秘密♪』
『えー?あら、ボスから呼び出しが来たわ…』
『ほら、ジャスミン行かなくちゃ』
『ミナミ続きは今度絶対教えてね』
『えぇ必ず☆』
ジャスミンが行ってしまったから一人のランチは寂しいわね。
伊奈実のご飯が恋しいわ〜
それからね予感がしたの。
新しいページをめくる、そんな予感が。
お伽話で例えるなら、伊奈実は毒リンゴを食べてしまったお姫さま。
でもここは現実だから、あの子はそれを喉に詰まらせたまま生活をしているわ。
毒はじわじわ体を浸食していてどんなに苦しくても平気なふりをしているの。
そういう子にさせてしまったのは私。
だから伊奈実をこの世に留めるのが限界。
それ以上のことをしてしまうと、あの子を壊す事になってしまう。
そして、毒リンゴは___あの子の父親。
おい馬鹿兄貴、伊奈実を苦しめておいて今どこに居るのよ?
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「ミナミー、悪いけどしばらくこの子の世話してくれ」
「は?!兄貴この赤ん坊どうしたのよ?」
「俺の子」
「はいぃぃぃぃぃ!?」
あの子とはそんな、出逢いだった。
聞けば、生まれてまだ五日目で名前もまだ無いこの赤ん坊の母親と兄貴は昨日別れたそうで。
で、子供を引き取らされ、一日も経たない間に赤ん坊という存在に音をあげ、大学生だった私の元へやってきた。
この子の親は二人とも馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。
気付きなさいよ馬鹿兄貴。
この子さっきから泣いてないわよ。
こんな小さいのに、何もわからない筈なのに、もう何かを諦めている目をしている。
なんてことしたのよ。
こんな無垢な心をあんたたちは早くも傷つけたなんて。
「伊奈実」
「へ?」
「今日からこの子は九谷伊奈実。早く届け出して来い!馬鹿兄貴!!!」
「お、おう」
バタバタと急いで兄貴は出て行った。
万事を調和し、花咲き実の成る人。
生まれて間もなくこんなに荒れるあなたの周りの環境に、これから少しでもこの名前が全体とのつり合いをもたらしてくれるように。
そうして、いつかこの子の望む幸せに辿り着くことを願って。
急いで辞書を引いてつけた名前だった。
「ごめんね、伊奈実。私あなたのおばさんよ。よろしくね。
あなたは私が守るからっ…」
いつの間にか、涙で視界が揺れていて。
「おぎゃーーーっ!」
涙の大きな返事が帰って来た気がした。
両親は既に天国へ行ってしまっていたから、しばらくは一人だと(兄貴は馬鹿だから数に入れない)思ていた私に新しい家族ができた瞬間だったわ。
こうして、学生兼代理の母親な生活が始まって、ついには卒業、就職して二年が経った。
色々あったけど、馬鹿兄貴を叱咤して何とか過ごして来たの。
伊奈実も四歳になった。
初めて言葉を話したときも、立ったときも、歩き始めたときも喜びで一杯にさせてくれた。
私に似てよく喋る子になって、保育園でも明るい元気っ子で人気もの。
特に伊奈実の笑顔はかわいさ満点で、心が溶けそうになるくらい♪
幸せな日々がこれからも続くと信じていた。
それなのに、あの日は突然やってきた。




