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第7話

 人々の動きがいつもと違う、と清高は思った。


 彼らの暮らしぶりを観察するに、ここの者達はよく働く。だが、今日はいつにも増して活気があり、みな嬉しそうだ。川面に揺れる船の影でさえ違って見える。


「今日は何かあるのか?」


 隣で共に塩を運んでいる『トキ』と呼ばれる青年に話しかけた。彼は流行り病で片目は無くしたものの、気さくで明るく、ここでは新参者の清高の面倒もよく見てくれる。


「今し方親方が到着されたのさ。タツミはまだ会った事がなかったよな?」


『タツミ』とはここでの清高の呼び名だ。


 一月ほど前のあの日、清夏と分れた後、清高は自ら男達に向かっていった。清夏を逃がす為の時間を作る一心であったが、もちろん三対一では敵いようもなくされるがままに殴られ、そして蹴られた。


(俺の人生はここで終るのか)


 遠のく意識の中でそう思い始めたとき、たまたま通りかかった商人の一団に助けられたのだ。


 そのまま連れられ泉川付近の拠点に到着するや否や、世話好きそうな若い女達が清高を囲み、寄ってたかって手当てを始めた。


「あんたの名前、何て言うのさ?」


 熱い視線とともに尋ねられたが、清高は初め答えなかった。名前をかわきりに色々尋ねられるだろう。清夏がいたから居ただけで、悲田院など全く好きではなかった。それに、まだ状況が理解できない中では答える気にもならない。嘘をつくのも面倒くさかった。


 何度もしつこく名を聞かれる中、彼女達を黙らせるかのように鐘が響き渡った。


「辰巳…」


 一時の静寂の中、清高は何気に呟いた。ただ時刻を言っただけだったが、女達はそれを名前と勘違えたらしい。清高も訂正をしなかったので、その日以来皆に「タツミ」と呼ばれている。誰も文句を言わないので清高はここに居つき、仕事など手伝いはじめた。


「じゃあ、今日会えよ。俺から親方に紹介してやるから」


 トキは一旦立ち止まると右肩に担いでいた塩俵を左肩に持ち替える。


 一団を取りまとめる國足は皆に『親方』と呼ばれ、ここにいる老若男女を問わず尊敬の念を持って慕われているようだ。  


 トキは空いた右腕で清高の腕を掴むとどんどん歩き出した。


「親方は米、綾、塩なんでも扱っているんだ。でも、そんじょそこらの商人とは格が違うぞ。寺の御用商人や、織部司への最高級の絹の納入も手がけているし。唐の品物だって親方なら難なく手に入れられるぞ。すごいだろ? しかも一代でここまで商売を大きくしたんだから」


 トキは國足に心酔している。この話はもう何度も聞かされており、清高もソラで言えるくらいだ。だが、次の言葉は初耳で、清高の心を一番惹いた。


「だから、親方は俺達とは住む世界の違うやんごとなき方々とも接する事が出来るんだ」


「本当か!」


 あまりの清高の食い付きにトキは目を見開いて驚いたものの、すぐ笑顔に戻り頷いた。清高が親方に興味を持ったのが嬉しいらしい。


「あたりまえだろ。むしろ向こうの方から会いたがるくらいだぜ。親方はいい仕事をするって有名なんだ。今回も貴族の用向きで出かけたって言っていたし」


「そうなら、早く会いにいこう」


 ここで新しい人生が掴めるかもしれない。


「えっ、あ、おい…」


 今度は清高が先頭に立ち、自分の変わりように戸惑うトキをどんどん引っ張っていった。


 慕われているだけあり國足の周りには近況報告をする者、道中の土産話をせがむものなど、人だかりが出来ている。トキと清高は細身の体を生かして合間を縫い、一番前へ出ることに成功した。


 國足が思いのほか小柄で驚いた。清高は勝手にがかいのいい豪快な男だろうと思いこんでいたのだ。まだ旅姿を解いていないが、髪は綺麗に撫で付けられござっぱりとしている。


「おかえりなさい、親方!」


 トキは眼が細く常に微笑んでいるような顔つきだが、今は普段以上に目を細めている。心なしか声も興奮気味だ。


 國足はトキとニ、三言葉を交わし、清高へ目を向けた。清高は輝く小さな瞳から誠実な印象を受けたが、直ぐに驚きの色が浮かんだ事も見逃さなかった。


「お前が清高か?」


 体つきに合った高めの声質でそう問われ、國足以上に清高は驚いた。ここで『清高』の名を知る者はいないはずだ。


「彼はタツミよ、ね」


 周りにいた女が清高に微笑みながらそう答えた。


 彼女は清高を手当てした仲間の一人でユウといい、それ以来清高に何かと声をかけてくる。なかなか顔の整った綺麗な娘で、トキからは羨ましいと何度も言われた。清高も悪い気はしない。だが、それ以上でもそれ以下でもないので相手にしないのにも関わらず、そのつれなさが、清高にはよく理解できないのだが、かえって彼女にはたまらないらしい。


 國足は楽しそうに喉の奥で笑った。


「そうか、ここではタツミか。それに、もう信奉者までいるとは大したものだ。ではタツミ、これから旅支度を解くのでその手伝いをしろ。後のものは今回運んできた荷を倉へはこんでくれ」


「へい」


 彼の言は絶対なのだろう、人々は文句もいわず素直に持ち場へ向かっていく。ただトキだけは羨ましさを全面に押し出して何度も振り返りつつ歩いて行った。


 國足の後ろを歩きながら、清高はいつ國足に会ったのか思い出そうとしていた。


(『清高』の名を知るくらいだから悲田院にいた頃だよな。商人だし、会う可能性があるのは七条の東西市だろうか?)


 考えに考えたが、思い出す前に國足の屋敷に着いてしまった。


「…ていいのか?」


 國足に何かを聞かれ、清高は我に返る。そして気まずそうに下唇を少し噛んだ。


「すみません。聞いていませんでした」


 國足は軽く声を立てて笑う。


「なぜ私がお前の名前を知っているか気になるか?」


「はい」


 素直に認める清高に、國足は悪戯な瞳を閃かせた。


「では、奈良の都で仕入れてきた話をしてやろう。ここ一月の間、南門跡に毎日男の子が立っているそうだ」


 それだけ聞けば清高には十分だった。清夏の事だ。体中に血が駆けめくる。


(無事だったんだ)


 そう思ってはいたが確かめたわけではなかった。第三者の口から聞きたことでそれが現実となり、清高は安堵の為座り込みそうになる。


「その子は人を待っている。だが、相手は一向に現れない。何故だ? ここにいるからだ」


「どうしてそれが俺だと思うんですか?」


 言い当てられたのが何だか悔しくて少し刺々しい口調になる。一方の國足は気にするどころか面白がる様に清高を見返した。


「私が出入りしている貴族の邸宅にその子がいるからさ。お前が見つかるまでやっかいになるんだと。そこの家人にお前の似顔絵をみせてもらった。商人だから色々な人と会うだろう、とな。しかし、その判断は正解だったな。先ほど会った時あまりに似ていて驚いたぞ」


 清夏は確かに絵が得意だ。そこまでして探してくれていると思うと清高の心が温まる。


「何故会いに行かない?」


 少しの間の後、國足が当然の問いを投げかけた。清高も暫くの間の後、ポツリと答えた。


「今はまだ会いたくないからです」


 半分は嘘だ。会えるものなら会いたい。でも会いに行かなかったのは今会ったところで何も変わらないからだ。やり方が拙かったせいもあるが、清高の思いは清夏に拒否された。その経験は苦く、清高の心を今でも簡単に奈落の底へ突き落とす。


「いつなら会いたくなるんだ?」


「…官位をもらって世の中に認められるまでは会わない」


 小さいが、低く唸るような声だった。國足は今までの顔の笑みを収めた。


「お前は貴族の生まれか?」


「違います」


「では、そういうツテはあるのか」


「ありません」


「では、どうする?」


 どうしようもないことは清高も理性では分っている。


「わかりません…でも、やらなければならないんです…」


 無力な自分に体が震えた。

 

 國足はそっと清高の腕を掴むと、近くの縁側へ座らせた。初夏の走りの風が清高の俯いた頬を撫ぜる。それと共に國足の声が清高の耳に届いた。


「その子に認められたいのだな?」


 清高ははっと顔を見上げた。優しく見下ろす國足の顔にはどこにも不真面目なところがない。


「…それだけです」


 無意識に素直に答えていた。


「俺もそういうのは嫌いじゃない」


 同じように國足も清高の隣へ腰掛ける。そして晴れ上がる青い空を見上げた。


「ここで働け。そして世の中をじっくりみろ。もちろん努力は必要だが、何もない者でも官位を得る機会はいくらでもある。はっきり言って、官位なぞ金で買えるぞ」


 最後は笑って言った。


 清高はただただ國足の横顔を見つめた。清高の言葉に笑わず、しかもその先にある核心さえ突いてくる國足の言葉は温かく、その上清高に希望の光さえ与えてくれる。昔彼も同じような経験をした事があるのかもしれない。 


(國足といういい手本もいることだし、ここでやってみよう。それにこの人の近くにいれば清夏との縁も切れずに済む)


 堂々と清夏に会える様になるその日まで。だが、会わなくてもそっと元気な清夏の姿は見てみたい。そんな欲まで出るほどになった自分に清高は苦笑した。 


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