第6話
清夏はようやく誰の助けも借りずに歩く事が出来るようになった。
まだ足は引き摺ってはいるものの、善康の仕事を手伝うことで他の家人とも仲良くなっていった。今日も庭掃除を終え道具を片付けていると、後ろに善康が立っているのに気が付いた。
「わあ、びっくりした」
笑いながら振り返る清夏の笑顔が伝染したように善康の顔にもそれが自然と浮かぶ。
「今日も南門へ行くのだろう?」
「はい」
笑顔の清夏に善康は辺りを見回すと、こっそりと包んだ鮎鮨を清夏に渡してくれた。そして小声でこう付け加えた。
「早く懐へしまえ」
「そうやって、いつも一人でいい格好するんだから」
ぎくり、と体を強張らせる善康の後ろから彼の妻の緑子が豊かな体格を揺らしながらやってきた。善康はすり足で後ろへ下がる。きっと無意識だろう。彼はまったく妻に頭があがらないのだ。
「本当に清夏ちゃんは友達思いね。それは私が作ったからおいしいわよ」
緑子の子供達はとうの昔に親離れしてしまったので手寂しい彼女も清夏を息子のように可愛がってくれる。二人に礼を言って清夏は南門へ向かった。
一月前、善康に背負われて連れられた南門は彼の言うとおり門といえるものはなかった。だか、ここが約束の『南門』なのだから清高はここにいなければならない。だが、毎日通っているのに清高の姿は見つけられなかった。
(どうしていないんだよ)
清夏は必死に嫌な想像を打ち消し、再び通りを行き交う人々を丹念に見始める。人込みの中から善康がやってくるのが見え、清夏は腰掛けていた礎石から立ち上がった。
「善康さん、お出かけですか?」
「時間が出来たから儂も手伝おう」
隣に座る善康に清夏は礼をいい、先程貰った鮎鮨を一つ手渡した。善康は早速一口ほお張り、清夏と同じように通りを眺めた。
「たしか儂より少し背の高い、少し釣り目で精悍な見た目…だったな。あれは?」
「違います。もっと、こう…」
言葉で上手く伝えられない清夏は焦れて近くの木の棒を手に取り、地面に描き始めた。
「髪は、前は短めなんですけど後ろは肩まで長くて、目は釣り目で…」
「うまいな。確かに先程の男とは違う。はじめからこれを描いてもらえば早かったな」
すらすらと描くのに特徴をしっかり掴んでいる清夏の絵に善康はしきりに感心した。
「絵を描くのは好きなんです」
清夏は照れながらも唯一自分の特技を手放しで誉められた事が嬉しかった。
「こんなに毎日待って、本当に大切な友達なのだな」
善康の問いに清夏は寂しそうに微笑んだ。
「悲田院に来てから初めて出来た友達だったから。…それに、本当に清高は僕に良くしてくれたんです。小さい頃は木の実でコマを作ってくれたり、いろいろ仕事を手伝ってくれたり。寝られない時はすっと話をしたりして…いろいろ僕を楽しませてくれるいい友達なんです。気づいたのは清高と別れてからだから、遅いんですけどね」
自傷気味な清夏の頭を善康は一つぽんと叩き明るく言った。
「早く見つかるといいな。さあ、また頑張って探そうか。もう儂も清高の顔は分ったからな、任せておけ」
「はい」
だが、今日も清高に出会えず、夕闇の中を善康と帰る事となった。
屋敷に着くやいなや、緑子が厨からひょい、と福よかな顔を出し清夏を呼び寄せた。
「今日は真夏様が珍しく早くお帰りになったわよ。まだご挨拶していないのでしょう?」
「あ、はい」
清夏は軽く手に汗をかき始めた。
(僕を見捨てず屋敷で面倒を見てくれた真夏様はどういう方だろう。良い方だとは思うけど…お会いして元気な僕の姿をみたらここを追い出されるかもしれない。そうしたら清高を待つ事ができなくなってしまう)
奈良に知り合いなど一人もいない。かといってこのまま平安京にも戻れない。
清夏はおびえた。だが、清夏の気持ちなど全く知らない善康夫妻は清夏が高貴な人物に気後れしていると思ったらしい。
「大丈夫、殿上人も儂らと同じ人間だ。誰も取って食いやせんよ」
清夏の手を取ると安心させるように言い、仕方なく歩く清夏を母屋へと連れて行った。
「面倒を見て頂きありがとうございました」
母屋に入るや否や清夏は頭をさげ礼を言った。だが、実は怖くて真夏を見ることが出来なかったのが正直なところだった。
「いや、いい。調子はどうだ?」
初めて聞く真夏の低く通る声に、清夏は一瞬全てを忘れ聞き惚れた。体の芯に響く、なんていい声なのだろう。
(比叡の高僧も敵わないかもしれない)
もっと話さないかな、と思っていた清夏は緑子に後ろから突付かれてやっと我に返った。
「善康さんや、緑子さんに良くしていただいたお陰で、大分良くなりました」
「善康が言うに、友を探しているとか」
清夏は驚いて顔を上げた。一庶民の自分を貴人に気にして貰えるとは思っても見なかった。雰囲気から事情を聞いて貰えそうだったので、清夏は清高と別れるキッカケこそ話さなかったが、男達に襲われ離れ離れになった経緯を掻い摘んで聞かせた。
「造作で色々な地方から人が集まっているし、先ごろの旱魃で浮浪民も多い。治安が悪いのは忌々しき問題だな」
真夏は考え込むように右手を顎に当てた。
清夏の目に初めて映る真夏は落ち着きがあり、凛とした存在感がある。目は一重だが、きりりと柳の葉のように長く涼やかで、気品と知性が感じられた。
(端整ともいえる容姿だけれど、寂しそうな気がする。何故かな?)
清夏は真夏から目が離せなくなった。
まじまじと眺めていると、急に顔を上げた真夏と目が合い、清夏は残念に思いながらも失礼にならないように瞳を伏せた。
「私も造作の責任者としてその清高とやらを気にかけてみよう。どんな容姿なのか?」
真夏の問いに善康は待っていましたとばかり一歩前へ出た。
「清夏はとても絵が上手いのです。もしよろしければ描かせてやってください」
善康の提案に清夏は慌てたが、真夏は頷き緑子に紙と硯を持ってこさせた。清夏が今まで見た中で一番綺麗な黒く艶やめく烏翠石の硯だった。緊張して手が震えるのを堪えつつ、清夏は真夏の前で清高の顔を描いて見せた。
「なるほど、確かに上手いな。左近衛の舎人に絵達者の余河成がいるが、彼と同じ程見事だ。口元など今にも話し出しそうだな」
余河成がどういう絵を描くか知らないが、誉められたのは確かなようだ。
「あ、ありがとうございます」
清夏は心がじわりと温かくなり、両手で胸を押さえた。善康に褒められた時よりもさらに嬉しかった。そして清夏を喜ばせた真夏は更に清夏を喜ばせた。
「友垣が見つかるまで此処にいて良い」
「本当ですか? ありがとうございます! 良かった。奈良には全く知りあいがいないものですから…」
一番心配していた憂いがなくなった清夏は真夏に飛びつきたい衝動に駆られた。もちろんそんなことは出来ないので、代わりに真夏を感謝の思いを込めて微笑んだ。




