第15話
朝餉が済み、皆の食器を井戸の側で洗っていた清夏を緑子が呼び寄せた。応じると清夏は有無を言わさず緑子の房間へ連れて行かれ、体の至る所を採寸された。
「いきなり、どうしたんですか?」
少しでも体を動かすと怒られるので、清夏は両手を横に上げたまま、ピクリともせず尋ねた。
「あんたの新しい衣を仕立ててくださるそうだよ」
「真夏様がそう仰ったんですか? 何故?」
清夏は思わず緑子の方を向いてしまい、案の定叱られ、再びもとの形に戻った。
「知らないけど、今日中に仕立て上げて欲しいんだとさ。さ、もう腕は下ろしていいよ。あら、清夏ちゃん、ちょっと成長したんじゃないの?」
緑子は木片にさらさらと採寸結果を書き込み、測り漏れがないか指を指して確認する。
「そうそう、好きな方の色を選んでいいそうよ」
緑子の指差す房間の端にあった包みを開くと、藍と若草色の二つの絹の反物が艶やかな光沢を湛えていた。
「こんなに上等な反物で? わ、私、作っていただくにしても、もっと普通の布で、いや、普通の布がいいです。その方が気兼ねなく着られるし」
気が引けて反物に触ることも出来ない清夏の様子に緑子は声をたてて笑った。
「あんたも欲がないねえ。真夏様も何かしらの理由があってなさることだろうから、気にせずただお礼申し上げればいいのよ。で、どちらの色にするの?」
清夏は気が進まなかったが、昼と夜の一瞬の狭間に広がる空の色に似た青を選んだ。だが、正直言えば、一目見た時からこの色に惹かれていた。
緑子は反物を抱きかかえると、重そうな体をゆっくり立ち上げる。
「じゃあ急いで縫い上げるから、出来上がりを楽しみにね」
「緑子さんが仕立ててくださるんですか?」
彼女はこの屋敷の婦長で、下働きの女を何人も従えている。その中で裁縫が得意な者に任すと思っていたのだが、口ぶりからして彼女自ら縫ってくれるらしい。
「そうよ、あんたと同じで、若い子にこんな綺麗な反物を任せたら手が震えて駄目にしてしまいかねないでしょ? それに、私も裁縫の腕はまだまだ衰えてないわよ」
「あ、もちろん、それを疑って言った訳ではなくて…」
慌てて弁解する清夏に、緑子はただ笑って立ち去った。
(でも、何故真夏様は急に衣を仕立ててくださるのだろうか?)
考えてみたが、これと言って理由は思い当たらない。できるならば世話になっている分清夏が真夏に何かあげたいくらいだ。
「あ、そういえば、まだ器を洗っていた途中だったんだ」
急に思い出した清夏は答えの出ぬ思考を止め、先にやることをすべく井戸の元へ戻っていった。
片付けの続きをしようと一つの器を手にした清夏の動きがぴたりと止まった。
「…」
器の中に木の実が二つ入っている。手に取るとそれはだたの木の実ではなく、綺麗に周囲に柄が彫られたコマになっていた。
清夏は居ても立ってもいられず走り出す。
(清高が来たんだ)
木の実のコマは悲田院にいた頃、清夏が何度も清高にねだっては作ってもらっていたので、はっきりと見覚えがある。間違えるはずがない。
(ずっと探している事を誰かから聞いたのだろうか? だから来てくれた?)
屋敷の外へ出て、大通りをあてもなく探し回る。暫く辺りを巡ったが、後姿さえ見つけ出すことは出来なかった。
「でも…良かった…生きていたんだ」
清夏は何度も呟きながら道端の壁に凭れ掛かるように座り込んだ。急に安堵の思いがこみ上げ、立っていられなくなったのだ。
右手の中に清高のコマをぎゅっと握りこむ。
持ち手の部分が手のひらに食い込み痛みを感じたが、それは確かに清高の存在が夢ではない証だ。
「どこか悪いのかい?」
見知らぬ女性が心配げに声をかけてきた。
今回は親切な人だったから良かったものの、このまま座っていると治安の安定しない街で何かしらの事件に巻き込まれかねない。
「大丈夫です。ありがとうございました」
清夏は丁寧に礼をのべると、真夏の屋敷へ戻って行った。もちろん道行く人々の中に清高の顔を捜しながら。
いつもの雑務をいつにないうわの空でなんとかこなし、昼過ぎにようやく自由な時間が与えられた。長く感じられた仕事中はもう一度街中を探してみようと思っていたのだが、清夏はコマが置かれていた井戸に自然と向かっていた。
井戸を背に座り込むと懐からコマを出す。そして、近くの平たい石の上でまわすと、昔と同じくしっかり芯をまっすぐたて、ぶれる事なく回り始めた。
「清夏、めずらしいなあ。今日は行かないのか?」
驚いて見上げると、上から善康が白い歯を見せていた。
善康の言う通り、いつもなら南門へ行く時間だ。しかし、今日の清夏はそういう気分になれなかった。
「善康さん…」
回転が緩まりコマが揺れ始める。清夏は自らの手でそれを止めた。
「清高は私に会いたくないのかもしれない」
何度考えても答えはそこにしか行き着かなかった。もし清高が清夏に会う気があるのなら、コマだけ置いて姿を消さず、そのままここで清夏を待てば良かったのだ。
「急にどうした? ん?」
善康は心配げに隣にしゃがむ。清夏は詳しく説明する気にもなれず、ただ首をふった。
(清高はもう俺の事、どうでもよくなったのかな…)
確かに清高の想いを受け入れなかった。だが、それほどまでに人に求められた事はなかったので、清高にはその気持ちを持ち続けて欲しいと理性とは裏腹に心の奥で思ってはいなかっただろうか?
(それに今思うと馬鹿みたいなんだけど)
清夏は清高と共に真夏の屋敷で暮らすことを勝手に夢に描いていた。昔、清高が貴族に仕えたいと言っていたし、真夏の屋敷なら彼も喜ぶのではないかと考えていた。
そこまで思い、清夏は強く頭を振った。
(違う、清高の為だけじゃない)
一番の理由は清夏がここに居たいのだ。
悲田院と違い、ここは死の匂いがしない。
また、政の中心で働く真夏の屋敷だけに活気があり華やかである。そして今、清夏はその真夏の身の回りの世話が出来る。悲田院にいた頃には考えられない事で、優越感を味わっていたのは間違いない。それに清夏は真夏の近くにいると心浮き立ち、そして落ち着くのだ。そういう人に初めて出会ったと言ってもいい。
清夏が欲しいのは親友の清高と真夏の傍で共に暮らす今の生活。
(でも、それは総て相手のことを考えない身勝手な自分の理想なんだよね)
思い起こせば真夏は初めて会った時に「友垣が見つかるまでここにいて良い」と言っていたではないか。清高が見つかればここで暮らす理由はなくなるのだ。
清夏の願いは端から矛盾していた。それでもそれが叶うと勝手に思っていた。
神もそれを知っていて、罰として清夏から清高を取り上げようとしているのかもしれない…そんなふうにさえ思えてくる。
(でも、清高も真夏様も両方大切なんだ)
もう清夏の人生から二人は切って離して考える事は出来なくなっている。
自分は昔からこんなに依存心が強かったのだろうか?
「なんか、すごく自分が嫌になってきた」
呟いた言葉の脈絡が善康には繋がらないらしく、困惑の表情をみせる。だが、何とか清夏を励まそうとすぐさま笑顔に変えた。
「とにかく友達探しを諦めるには早すぎる。まだ半年じゃないか。清夏が諦めたらそこで終るんだぞ。それでいいのか?」
清夏は隣で座る善康の顔を改めて見つめた。彼の黒目がちな瞳には普段の優しさだけでなく、力強さも込められている。
「終わり…」
嫌な響きに体が勝手に震える。
確かに彼が言うとおりだ。清夏がここで清高を諦めれば、後々必ず後悔する日がくるだろう。たとえ清高が会いたくないと思っていても、清夏は会いたい。そしてもう一度話したい。清夏が望む未来図は叶わないかもしれないが、だからといって何もしなければ始まりもしない。このまま清高と自然消滅では終りたくない。
(とにかく、清高を見つけ出すのが先決だ。今やれることは全てしよう)
今までとは打って変わって清夏の心は軽くなった。それが顔に出たのか、見つめていた善康の顔も安堵のそれに変わる。
「やっぱり、南門に行ってきます」
「おう、そうこなくっちゃな」
善康は先に立ち上がり、清夏を引っ張りあげて立ち上がらせると、清夏の尻を一つ叩いた。
「そら、行って来い」
それを機に清夏は走り出す。
清高は必ず近くにいる。絶対見つけてみせると清夏は心に誓った。