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第14話

 何かがおかしい、と藤原真夏は感じている。


 安殿上皇から平城京の町並みを更に早く整えるよう命令があった。同時にそれに必要な調や庸、工人や人夫の進上を諸国に命じる沙汰も出される。与えられた任務を完璧にこなす為、造平城宮使の真夏は殊更多忙を極める結果となった。


 飢饉や旱魃で遅れがちな造宮を急がせる沙汰は珍しい事ではない。一見すると普段と変わらないのだが、真夏の知らないところで何かが進行している、と肌で感じざるをえない。これは政治家としての勘といっても良い。


(ただ一つ、可能性としてあげられる事はあるのだが…それでは国を巻き込んでの兄弟喧嘩になってしまう)


 再びの遷都、安殿の重祚。二つとも先例はある。しかし、いきなりそんなことになればいくら体調が思わしくない今上も流石に黙ってはいまい。


 ありえない、とは言い切れない。心に擡げる不安を抑えつつも抑えきれず、真夏は少ない自由な時間を使って方々に探りを入れてみるものの、確たる証拠はまだつかめてはいなかった。


(もう少し時間が取れればいいのだが…)


 今現在、その希望は叶いそうもない。今日もいつものごとく陽はとうに暮れ、空一面に競うが如く星が瞬く時刻に自邸に戻った。


 房間の入り口付近に人影が見えた。目を凝らすとそれは清夏だった。


「まだ起きていたのか」


「あ、おかえりなさいませ」


 真夏を見ると眠そうにしていた瞳がぱっと開かれる。


「平安京からのお使者がお待ちなんです。どうしても今日真夏様にお会いしたいと仰っていますが、どうなさいますか?」


「父の使いか…」


 いつもは真夏が使者を山城に遣り、そこでお互いの状況を交換する。だから、このように真夏の屋敷に使者をよこすのは珍しい。


 真夏は胸騒ぎがしたが顔に出さぬように努めた。悪戯に清夏を心配させるのも良くない。


「これから会おう」


「では先方に伝えてきますね」


 清夏は微笑み一つ頭を下げると、軽やかに渡りを駆けていった。


(いよいよ今上の不豫が甚だしくなったか)


 今年の初めから体調の悪さは耳にしていたが、ここ最近特に具合が悪いらしい。真夏は軽い緊張を覚えた。だが、使者の言は真夏の考えを裏切るものだった。


「…それでは、今回の今上の不豫は本当ではない、と?」


 今まで政策の上での不一致はあるものの、今上は安殿のやることに口を出さず穏便に事柄をやり過ごしてきた。上皇が平城に移る時さえ今上だけは反対せず、むしろ積極的に援助したくらいだ。だが、父以外の伝手によると、弟の冬嗣をはじめ巨勢朝臣野足、清原真人夏野等、今上の側近が校書殿で集まり何やらやっているらしい。今上は文学を愛好されているので、多くの書物が保管されている納殿への出入りが多いのは納得できるものの、懐刀ともいえる面子が雁首そろえて役所として重要度の低い校書殿で集まるのはかえって怪しいというものだ。


「内麻呂様はそれなりの心積もりをしておくように、とのご伝言でした」


 そう言って父からの使者は闇に紛れて帰っていった。


(何か今上側で安殿様側の情報をつかんだのであろうか)


 だから仮病をつかい上皇側の出方を見るのだろう。真夏は軽い焦燥感を覚えた。内麻呂の息子、冬嗣の兄という立場上、上皇側全ての人が味方という訳には行かないので、手を尽くしても全ての情報が思うように真夏の耳に入ることは不可能だ。


(特に仲成殿には目の敵にされているからな)


 あちらは真夏と安殿の寵を競っているつもりらしい。だが、正直言って仲成は真夏にとって敵ではない。彼は顔にすぐ出る性格で、むしろ御し易い方だ。


(本当に怖いのは妹の薬子殿)


 安殿は真夏と同じくらい薬子に信頼を寄せている。ましてや運命の出会いと信じている分、薬子の囁きの前では真夏に勝ち目はないかもしれない。


「あの…」


 清夏が戸口からひょいと顔を出し、遠慮がちに声をかけた。真夏は使者を見送った後、立ったまま思案にくれていた事に初めて気づき苦笑を浮かべた。


「入っておいで」


 真夏が言うと清夏は嬉しそうに近寄ってきた。


「何かお腹に入れられますか? もしよければ緑子さんにお願いしてきますけれど」


 確かに夕刻軽く口にして以降何も食べていない。が、先ほどの使者の話を聞いて疲れてしまい、空腹どころではなかった。しかし、清夏の心優しさは無駄にしてはバチが当たるというものだ。真夏は罪のない嘘をつくことにした。


「いや、大丈夫だ、それより着替えを手伝ってくれるか」


 安心させる様に清夏の肩に手を置くと、そっと清夏が寄り添う。それは昔、安殿と内緒で縁の下で飼った真っ白な猫を思い出させた。


 猫は二人の秘密で、餌をやるうちに足音だけで寄って来るようになった。小さな茶色の目に心なごんだ覚えがあるが、こちらを見上げる清夏の瞳にも真夏は心を慰められていたことに気づいた。それは今だけではなく出会ってから今までの間ずっとだ。そして今も疲れを感じていた体が軽くなるのを感じる。


(清夏に出会ってからあれほど止まなかった心の嵐が治まったしな)


 自分にとって何が大切なのか見えてきた。そしてどう動くべきかも。清夏が友を思う真っ直ぐな気持ちが真夏の目の前を明るく照らしたのだ。


(何が起きても安殿様の心が傷つかぬよう、何が何でも上手く万事事を運ばねばならないな。それが私の一番にやるべきことであり、やりたい事だ)


 そのためにも真実が知りたい。真夏は思いきって薬子にあたってみることにした。そして清夏を見て思い出す。


(忙しさにかまけて先延ばしにしていたが、清夏が持ってきた手紙と小瓶を薬子殿に渡さねばならぬな)


 薬子だけに会ういい口実が出来たと思った。しかし、真夏はあまり気が進まない自分にも気が付いていた。


(何故だ。いや、わかっている。あの手紙を薬子殿に渡してしまえば、清夏がこの屋敷から去ってしまうかもしれないと思うからだ)


 忙しくとも今まで渡そうと思えは出来たものを先延ばしにしてきたのはその理由が一番大きいだろう。


 清夏は器用で何事にも気がつき、さらに朗らかで人の心を和ませる能力がある。彼も自分に懐いてくれる。身寄りのない清夏は家人の善康を父のように思っているらしいので、さしずめ兄のように真夏を思っているのかもしれない。


 真夏の脱いだ官服の皺を伸ばす清夏を見下ろすと、その視線に気づいたのか、清夏も真夏を見上げ微笑んだ。


(白い猫は安殿様の病弱な体に障るとして程なく女房に取り上げられてしまったが、清夏はいつまでも傍において見ていたい)


 自分なら清夏の得意な絵を伸ばせる環境を作ってやることもできる。その代わり、彼の真っ直ぐな心の灯明で時折真夏を襲う心の闇を追い出して欲しかった。清夏を見ていると真夏は自分に正直に生きていける気がする。


 ふと浮かんだ思いに真夏は苦笑した。まったく清夏の意思を考慮しない自分勝手な考えに我ながら呆れた。


(このままずっとここで仕えたいとは思わないか?)


 この言葉を何度言おうと思った事か。


 しかし彼は今でも友を探し続けている。


(いつまで清夏を悲しませておくつもりだ)


 真夏は清夏の心を掴んで離さぬ『清高』というまだ見ぬ人物に対し、羨ましさを抱くと同時に腹も立てていた。真夏も善康に命じて探させているが、こうも消息がないのは自らの意思で隠れているとしか思えない。


(向こうが名乗り出ないのであればこちらがなにも遠慮することはない)


 薬子に手紙を渡した後、清夏に今後の身の振り方を聞いてみようと思った。もちろん決定権は清夏にあるのだが、願わくばいい返事が欲しい。


(何かにつけてはっきりさせる時なのだ)


 清夏を房間に帰し、寝床に入った真夏だったが、頭が冴えて寝られず、結局縁側で一晩中月の行く先を虫の音を友に見守ることとなった。




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