雨上がり、虹空を君に 前編 PART:2
「ごめん」
人のあまりこない階段の踊り場。
向き合う小さな体が、微かに震える。
窓からのお日様は暖かく、そこにいる二人を照らした。
ポタリポタリと降る雫。
陸斗はそっと女の子の頭を撫でた。
「でも…ありがとな。俺なんかを好きになってくれて」
そんな陸斗の言動に、パッと驚いたように顔をあげる女の子。
「…山倉先輩は、今…幸せですか?」
「え?」
涙に濡れる瞳が、真っ直ぐ陸斗を見つめる。
「たった1年だったですけど、同じクラス委員として、たくさん助けてもらいました。山倉先輩の隣にはりお先輩がいて、りお先輩に笑いかける山倉先輩は、いつも…」
女の子は小さく笑顔を作った。
「いつも…とても、幸せそうでした」
必死になって笑う女の子な、陸斗も微笑み返す。
「俺は…今、とても幸せだよ。あいつがいつも笑顔でいてくれるから」
そうやって、待っていてくれる大切な人。
「さっきのコ、“あの時”のコだよ」
優しい表情で話すりお。
「私が恋敵だって知っても、クラス委員の仕事、いっぱい手伝ってくれて。まるで妹みたいで、放っておけなくて…」
たった1年。
それはりおにとっても同じ。
りおを信頼し、相談してきた女の子から、陸斗の名前が出てきた時は、さすがに悩んだりしたこともあった。
悩むどころの騒ぎではなくなってしまったが、今思えば、大事な思い出。
改めて、決して譲れないものが自分の中にあることを知った。
ただ、あの時のことは、自分が情けないばかりだった。
「“あの時”、陸斗に怒られたっけ」
今だから苦笑ですむ。
「まぁ、あん時ばっかりは、陸斗の気持ちの方が、俺にはわかるからなぁ」
「りーちゃんのお人好しは、今に始まったことじゃないから、陸斗君も、困ってたね」
れお、梨月の二人にそういわれて、りおは唇を尖らせた。
「だってー」
「だってもくそもあるか」
ポンッとりおの頭を叩いて、陸斗がいう。
どこから聞いていたのか、若干不機嫌そうにだった。
「おかえり、陸斗」
「ただいま」
そう答えて、陸斗は諦めぎみに笑っていた。
二人が付き合ってから、様々なことがあった。
そのどれもが、大切な思い出達。
ただ、どんなことが起きようと、りおが他人優先なことは、あまり変わっていない。
いい加減、陸斗が怒ることも。
それでもお互いが好きなのだから仕方がないのだ。
二人が付き合い始めて、あるいはその前から、それはずっと変わらない。
放課後、れおと梨月は約束していたカラオケへ、皆と向かった。
りおと陸斗は、施設管理担当の先生のもとへ向かう。
事情を説明すると、すぐに使用許可を取ってくれた。
後日、操作方法の説明等を大学部の学生が教えてくれることになり、この日はすんなりと学園を出ることができる。
そのはずだった。
「何か、前にもこんなことあったな」
「まだ一年生の頃だったね」
音をたてて降る雨。
時計搭の下で、二人は立ち往生していた。
思い出してみた二年前の自分達。
「まだ付き合う前だったよね」
「本当にあの頃は大変だったよな。りお、全然気付いてくれねーし」
「だって、誰も、自分のこと好きかも!なんて思わないでしょ?」
「それにしてもなぁ」
陸斗はあまりにも遠い目をしていた。
「三年の始めの“あれ”は、やっぱりないだろ」
「………」
スーッとりおは視線をはずす。
陸斗の視線が痛い。
それは二人に訪れた別れの危機。
数ヵ月前、三年に進級してすぐの頃だった。
「今日は、クラス委員初顔合わせです。一年間このメンバーで支え合って頑張っていきましょう。じゃあ、とりあえず、三年生から自己紹介お願いします」
クラス委員担当の先生に促され、次々に自己紹介が進められていく。
「三年C組のクラス委員、真中りおです。一年間よろしくお願いします」
「三年C組、山倉です」
そして一通り自己紹介が終わり、一年間の予定表が配布された。
小一時間会議をして解散した。
いつものように、りおと陸斗は一緒に学園を出ると、一人の少女が駆けてきた。「真中先輩!」
「ぅわっ!はい!……あ、あなたは確か1年のクラス委員の…」
突然の事で驚いてしまったりおに、陸斗は笑いを堪えるのに必死になっていた。
そんな陸斗に、りおは頬を赤くしつつ睨む。
それから少女に向き直りニッコリと微笑む。
「何でしょうか?」
「実は真中先輩に、折り入ってご相談したいことがありまして…!」
ペコリと頭を下げていう少女に、りおは困ったように苦笑をもらす。
「私に?私で役にたてるかわからないけど、それでも平気?」
「ありがとうございます!明日の昼休みにお時間とっていただけますか?」
パッと明るくなるその少女に、りおも優しく頷いた。
「では、明日よろしくお願いします!さようなら!」
「うん、さよなら!」
少女を見送って、やっと陸斗を見る。
「もう、笑わなくてもいいでしょ!」
「いや、お前驚きすぎ」
クスクス笑う陸斗に、プイッとそっぽを向いて、りおは歩き出す。
そんなりおの仕草に、陸斗は苦笑いしてりおの横へ並び、その手をとった。
「ったく、そういうとこが、いちいち可愛いっていってるんだけど?」
そういって覗き込む陸斗の言葉に、再び頬が赤く熱を持ち始め、りおは伏し目がちになる。
「どうして陸斗は、そういうことサラッというかなぁ…」
ギュッと握り返す手。
互いにとるこの手を、これから先もずっと繋いでいたい。
二人とも、そう願っていた。
翌日、昼休みにりおは約束していた通りに、昨日の女の子と会っていた。
「それで、相談って何かな?」
「…あの、実は好きな人がいるんです…」
「恋の相談…かぁ…。…私で大丈夫かなぁ…」
一気に不安になったのは、りおの方。
自身の恋愛に関して、あまり参考にできそうにない。
「どうしても、真中先輩じゃなきゃ、ダメなんです。実は、私の好きな人、三年の先輩なんです。だから、話すきっかけもなくて。けど真中先輩のことは、以前から知っていたので、もしかしたら力になってくれるかも…と…」
「そういうことなら、力になれるかも!話すきっかけ、二人の間を取り持てばいいのよね?うん、私でもできそう!」
りおはそういって笑って見せる。
まさか、これが嵐になるとも知らずに…。
「ありがとうございます!やっぱり真中先輩は、優しいです!あの、私のこと覚えてませんか?!中学生だった時、校舎内で迷っていたのを、助けてくれましたよね!」
「中学の時…迷子…あぁー!あの時の!」
「わー!覚えてて下さったんですね!」
二人してテンションがあがりつつ、りおは応援してあげたいと思った。
誰かを好きと、素直にいえることは、本当に難しいこと。
その純粋な勇気を無駄にしたくない。
背中を押してあげたい。
「それで、相手は誰なのか、教えてもらっても平気?」
「あ、はい!実はその…」
昼休みが終わり、生徒達がぞろぞろと教室に入っていく。
「では、真中先輩!これからよろしくお願いします!」
女の子の嬉しそうに教室へ戻っていった。
残ったりおは、一人固まって動けない。
「……どうしよう…」
「…本当に、どうしような」
背後からの声に、りおは振り返る。
そこに立っていたのは、無表情の陸斗。
りおがなかなか帰ってこなかったので、心配になって迎えに来たのだが…。
「陸…斗…」
「悪い。今は優しくできねーわ」
伸ばした手が、空を掴む。
遠ざかる背中。
今のりおには、それを追いかけることができなかった。
「…りおのアホ…」
ドンッと壁を叩いて、陸斗は呟く。
自分の歩いてきた道を振り返る。
追いかけてこないりお。
『…りお、泣きそうだったな。…あぁー!クソッ、ガキじゃあるまいし!』
クシャリと髪をかきあげる陸斗。
ふっと見せた表情は、怒りというより、寂しさが勝っていた。
りおが教室に戻ると、陸斗の姿はなかった。
「おかえりなさい、りーちゃん!……!先生、真中さん、ちょっと具合悪そうなので、保健室に連れていきますね」
りおの表情を見た梨月が、すでに来ていた先生にいった。
そして、同じようにりおの表情を見たれおが慌てまくる。
「りお?!どした?!先生、俺も付き添うから!」
「え…大丈夫だよ」
ハッと周囲に意識が戻ったりおが、大丈夫だと笑う。
「いや、大丈夫じゃねーだろ!」
「落ち着け、れお。真中、本当に顔色が悪いな。おう、付いててやれ」
先生の許可をもらい、三人は保健室へ向かう。
校医はちょうど留守で、他に寝ている生徒もいない。
とりあえず、りおをベッドに座らせて、れおと梨月は顔を見合わせた。
顔色が悪いのは、貧血気味なせいだとして、本来、一番傍にいる存在がいない。
梨月はそっとりおの隣に座る。
「りーちゃん、陸斗君と、何があったの?陸斗君、りーちゃんを心配して、迎えに行ったの」
「…私、陸斗のこと、傷つけちゃった…」
「りお?」
れおが心配そうに覗き込む。
りおの瞳に、涙はない。
不思議と涙が出てこなかった。
「私…陸斗と…一緒にいない方がいいのかな…」
「え?ちょ、待って、本当に何があったんだよ!何でそんなこというんだ!」
慌てるれおを落ち着かせてから、梨月はりおの手を握る。
「りーちゃん、話して?一緒にいない方が、なんていわないで。二人は、一緒にいなきゃ、ダメだよ。だって、りーちゃんは、陸斗君、好きでしょう?」
その言葉に、流れることをためらっていた涙が、次々にこぼれていく。
れおはりおの隣に座るとギュッと抱きしめた。
「大丈夫。陸斗は、りおのこと、超好きだよ。嫌いになんかなれない。きっと今も、りおを想っているよ」
そういって抱きしめたまま頭を撫でてくれるれおに、どこか安心したように、りおはポツリポツリと話し始めた。
「真中先輩と同じクラス委員の…山倉先輩なんです!」
「え…陸斗…?」
「はい。真中先輩のように、一度だけ助けていただいたことがあって、クールで、少し怖いと思ってた先輩が本当は優しいんだって…。ずっと憧れてて、高等部にあがったら、頑張ろうって決めたんです」
女の子の瞳は真剣で、りおが陸斗と付き合っていることを知っている風ではなかった。
「…そっか…。あのね…」
「私、真中先輩が山倉先輩と同じクラスで、仲がいいのを見て、これは神様がくれたチャンスなんだって、思ったんです。真中先輩のような、優しくて頼りになる人が協力してくれるなんて…」
りおの言葉に重なった女の子の決意。
りおには、それを断ることなどできなかった。
「何ぃーー?!それで、仲取り持つっていっちまったのか?!そりゃー…陸斗も怒るよな」
「私がすぐに、はっきり断れなかったから…」
「…そこに、陸斗君がいたこと、気付かなかったのね」
りおのいう状況が、梨月には簡単に想像できてしまう。
そして、陸斗が今どうしているかも、手にとるようにわかってしまった。
「ねぇ、りーちゃん。陸斗君が、授業サボるとき、いつもどこにいるの?」
「え?陸斗なら、いつも屋上に…」
それを聞いて、梨月はにっこり笑って立ち上がり、保健室の出入口へ歩き出す。
「「梨月?」」
二人の声が重なったことにクスクスと笑って、梨月はそっと戸を開けた。
「ちょっと、行ってくるね。れー君は、りーちゃんの傍に、いてあげてね」
「お、おう」
れおもりおも、キョトンとしたまま、梨月を見送った。