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涙の欠片を鍵にしてPART:3

夕闇が迫る空に、春風が吹き抜ける。

学園を出た二人の影は隣に並び、歩き出す。

車道側を歩くイクトの横顔を、双葉はそっと見上げる。

西日に照らされるイクトの端整な顔立ち。

ふと、イクトがその視線に気づき双葉を見る。

「どうした?何かついてるか?」

「…今日はありがとう。私なんかのために時間をとってくれて」

「気にするな。俺も楽しかったし。校舎以外の施設も、まだいろいろ面白いものがあるんだ」

少しだけ得意気に見えるイクトの表情が、双葉にとっては嬉しかった。

イクトの時間を拘束してしまったことに申し訳なさはある。

それでも、その申し訳なさに苛まれないですむのは、イクトが本心を見せてくれていることが伝わるからだ。

本当に嫌だと思っていれば、決して出ることのない自然な笑みが、双葉を安心させていた。

拒絶されているわけではないと実感できる。

自分の事を受け入れてくれている。

『たった一人、「水上双葉<わたし>」を見てくれた』

そう思った瞬間、フッと双葉の瞳から最後の緊張が取れたようだった。

「やっとスタートラインだな」

「え?」

イクトの言葉に双葉は立ち止まる。

「だろ?」

イクトにはすべてわかるのだろうか。

それが少し悔しくもあったが、双葉は頷かざるを得なかった。

イクトと過ごす時間の中で、信頼し心を許せる相手だと、双葉自身が信じたいと思えたのだった。

「イクトはすごいね。人の心の動きに敏感というか、鋭いというか」

「そうか?あまり自覚はないけど。でも、そうだな。昔から母さんに教えられてきたから、無意識にかもな」

イクトの表情が優しさに包まれ、空を見上げる。

それにつられるように、双葉も空を見上げた。

「イクトのお母さん…かぁ」

「ん?どうした?」

ぽつりとつぶやいた双葉。

「イクトのお母さんって、どんな人なのかなって」

「双葉が知りたいなら、いくらでも教えるよ。というか、今度紹介する。今日、顔出しそびれたし」

「え…?し、紹介って?」

イクトの言葉に、双葉は思わぬ方向に話が進み慌てる。

そんな双葉を見て、イクトはクスクスと笑う。

「緊張するだけ無駄っているか、たぶん拍子抜けすると思うよ。一応、学園の職員ではあるから、曜日さえ合えば部屋にいるはずだから、確認して今度連れてくよ」

「そ、そうなんだ。職員って、先生ではないの?」

「んー、先生…なのか?教師ではないけど、生徒からは先生って呼ばれてるみたいだな」

まるで謎かけのようなイクトの話に、双葉は首をかしげる。

謎かけの答えは全く想像がつかないものの、一つだけわかることがある。

イクトが母親の事を本当に大切にしているということ。

「イクトはお母さんの事、大好きなんだ」

「んー、まぁ、大好きっていうか、両親は俺にとって憧れなんだよ。いつか、あんな風になりたいって、心から思う」

「…素敵だね。そんな家族…私も…」

小さくなる双葉の声。

イクトの大きな手が双葉の頭をなでる。

「母さんが、前に話してくれたことなんだけど、世界にはいろんな家族がいて、常に形を変えていくものなんだって。今の形がずっと続くわけじゃない。良くも悪くも、変化していくものだって」

双葉が顔を上げると、そこには変わらず真摯な瞳がある。

「ゆっくりでいいんじゃないか、双葉」

「…うん。…やっぱり、イクトはすごいや」

霧のようにつかみきれない双葉の心の奥にくすぶる影がふわりゆらりと形を変えてゆれている。

心の扉を開けるため、イクトは少しずつ慎重に、錠前の形を見極める。

「見極めるのは俺の役目。鍵はもっと相応しい相手がいるんだ」

「どういう意味?」

「なんでもない」

二人並ぶ影は、やがて姿を消し、街に明かりがともり始める。

昨日も送り届けた双葉の住むマンションのエントランス。

これでイクトの今日の任務は完了といったところだった。

「今日も、本当にありがとう、イクト」

エントランスのタッチパネルに双葉が触れようとしたその時、エントランスの扉が中からあき、一人の男性が出てくる。

「「あ」」

双葉と男性の声が重なる。

「おかえり、双葉。ごめん、また呼び出しがあって、これから行ってくる」

「あ、うん。夜食、いつも通りでいいの?」

「あぁ、いつもありがとう」

二人の会話と、その雰囲気に、イクトは黙ったまましばらく見守った。

物腰の柔らかいその男性が、ふとイクトに気づき、双葉を見る。

「あ、イクト、私のお父さんです」

双葉は慌てて軽く紹介をする。

イクトとしてはもちろん、想定済みで「山倉イクトといいます。双葉さんと同じクラスで、学園の案内役をさせてもらってます」と、丁寧に頭を下げた。

イクトの名前を聞いた瞬間、双葉の父親は驚いた表情を見せた。

「お父さん、案内役だけじゃなくて、昨日のひと悶着の時に助けてくれたのもイクトなの。そのあとからずっとそばについていてくれてるんだ」

双葉が説明を加える。

「そうか、君が山倉君か。あ、自己紹介が遅くなってしまって、ごめんね。僕は双葉の父です。双葉の事、助けてくれて本当にありがとう。どうぞこれからも、仲良くしてやってください」

双葉の父も頭を下げながら、柔らかな笑顔を見せる。

「今日も、わざわざ送ってくれたんだね。ありがとうね」

ずいぶんと低姿勢の双葉の父に、イクトも笑みを返した。

「…あのさ、和んでるところ悪いんだけど、お父さん、時間は?」

「え?あぁ!そうだね、行ってくるよ!あ、山倉君、家よって行くなら、ゆっくりしていってね!」

「いえ、俺はこれで」

「え?そうなのかい?そうか、じゃあ、途中まで良ければ一緒に歩かないかい?」

「イクト、お父さんに付き合う必要ないからね」

ニコニコと笑みの絶えない双葉の父親に、双葉の方が呆れ顔で、そんな父と娘の様子にイクトは安心したようにフッと笑みをこぼした。

「いや、せっかくだし、ぜひ」

「ありがとう、山倉君!じゃあ、双葉いってくるよ!」

嬉しそうな父親に、双葉はため息をつきつつも、笑顔で「行ってらっしゃい」と送り出すのだった。

「イクトも、ありがとう」

「あぁ、気にするな。また明日学園で」

イクトと双葉の父親は、見送る双葉に手を振って歩き出す。

「昨日の事、担任の先生から連絡をもらってね。改めて、双葉を助けてくれてありがとう」

双葉の父親が再度頭を下げる。

「いえ、俺は何も…」

「いや、君には本当に感謝しているんだ。双葉があんなにいい顔をしているのを見るのは久しぶりだったんだ。双葉は昨日、今日で、信頼できる人を見つけられたんだ。僕にはそれが、本当に嬉しいんだよ」

「……」

イクトは双葉の父親の言葉に思考を巡らせる。

そして、ためらいつつも聞いてみることにした。

「俺もあまり他人のことは言えないけれど、なぜ双葉はあそこまで、他人をよせつけず、そのくせ、誰かのために自分を犠牲にするんですか?」

「……それは…。そうか、君は本当に双葉を双葉として見てくれたんだね。だから、双葉の感情をあれだけ引き出すことができた…。…山倉君…」

双葉の父親が伝えてくれる言葉の中に隠れる真実。

イクトはそのわずかな情報であっても、双葉を知るための大切なピース。

「君にお願いがあるんだ。これからも、双葉を支えてやってほしい。今はまだ多くは話すことができない。けれど、いずれ君には話すことができるかもしれない。双葉がなぜ人との関わりを避けて、自分を犠牲にするのか」

切実な願いがその瞳の奥から伝わってくる。

イクトはまっすぐにその視線を受けながらうなずいた。

「双葉の過去が知りたいからではなく、俺も見てみたくなったんです。双葉の本当の表情や胸に秘めた想いを…」

「…うん、なんだか、この短時間でも、十分に分かった気がするよ。双葉にとって、君のような存在は初めてだったんだ。双葉の出会ってきた誰にも開けることのできなかった扉の鍵を君が見つけてくれるのかもしれないな」

双葉の父親の柔らかな瞳に、イクトは小さく首を横に振った。

「俺なんてまだまだです。でも、俺にとっても双葉との出会いは大きな意味を持っています。それに、俺だけじゃない。本当の双葉の事を見てくれる存在はまだまだいます。双葉がそれに気づけないのであれば、俺が気づかせます」

ゆるぎないイクトの言葉とまなざしが、双葉の父を捕らえる。

表情を隠しているようで、隠しきれていない双葉の笑顔も泣き顔も、もっと引き出してあげたい。

一人でも多く双葉の安心できる存在を見つけたい。

「…なんて、偉そうなことをいってすみません。でも、本当に双葉は根っからのお人好しだと思うので」

「いやいや、本当に、君がいてくれてよかった。あ、僕はこっちなんだ。残念だな、もっと双葉の話を聞きたかったのに…」

本当に残念そうに眉根を下げる父親の姿に、イクトは苦笑する。

この場に双葉がいれば、間髪入れず突っ込みを入れていただろうと。

「あ、そうだ、名刺渡しておくよ。もし双葉に何かあったら、いつでも連絡してね。今日は本当にありがとう、山倉君。今度はぜひ家によっていってね。双葉のご飯、すごくおいしいから」

どこか満足そうな双葉の父親。

「じゃあ、山倉君、また!気を付けて帰るんだよ!」

「はい、では失礼します」

最後まで笑顔の絶えない双葉の父親を見送る。

イクトは改めてもらった名刺に目を向け、納得する。

そこには大学病院の小児科医とあった。

『…まさか、知り合いか?』

ふと、叔父であるレオの顔が浮かび、やがてハルの顔が現れる。

『あ、やばい、今日の食事の当番俺だった』

イクトはもらった名刺を丁寧に手帳に挟むと、急ぎ足で帰路についた。

家についてみると、明かりがついていない。

会議で遅くなる母親たちと、まだ帰宅時間ではない父親たちに加え、ハルもまだ帰っていないのかと、玄関の鍵を確かめる。

と、鍵はかかっておらず、ドアが開く。

中に入ってみると、ハルのローファーが無造作に転がっていた。

イクトはため息をついて、ハルのローファーを並べなおし、自分の物もその横に並べた。

リビングに入って明かりをつける。

「ハル?」

声をかけるも反応がない。

部屋を見回して、ソファーに横になるハルを見つけ、イクトは近寄る。

そして表情を覗き込み、ハルの額に手を当てる。

「大丈夫か、ハル」

「んあ?…イクト…手、冷たい」

「アホか。お前が熱いんだよ。ちょっと待ってろ」

イクトは手近にあったブランケットをとりあえずハルにかけてから、自分の制服のネクタイを引き抜き袖をまくった。

手洗いを済ませて、額にはる冷感シートを出してハルのもとに戻る。

ハルの前髪をかき分けて、そっとシートを貼る。

「第一、ネクタイくらいはずせ。…で、何があったんだ」

気だるそうなハルに代わって、ネクタイをとってやりながらイクトはいう。

「…んー。…なんていうか、…俺も…よくわかんない…。けど…吹雪の事が…引っかかるっていうか…。それに…、…あいつ…も…」

イクトはため息をつくと、その場から立ち上がる。

「熱が下がったら、ゆっくり聞いてやるから、今は頭を休ませろ。急に色んなことを考えすぎたから、パンクしてるんだ。とりあえず、起き上がれるようになったら、さっさと風呂入って寝ろ。おかゆの方がいいなら、作ってやるから」

「ふぁーい…」

完全に意識がフワフワしているハルをそのままにして、イクトはキッチンに入りエプロンをつける。

『…買い物は何とかできたんだな。…まったく、星河吹雪の事だけじゃなく、双葉の事も気にしてるのか。ハルにしては進歩だな』

フッと笑みをこぼしながら、イクトは調理を始める。

長年の付き合いは、言葉がなくても相手の言動のほんのわずかな変化で気づき理解できてしまう。

ハルの中で、昼間の双葉とのやり取りは心の片隅に気がかりとして残っている。

そのことにイクトは気付いていた。

『まったく、日頃は無駄にげんきなくせに、知恵熱を出すのは昔から変わらない。本当にわかりやすいというか、なんというか』

幼いころから直感で行動するハルと、そんなハルの行動を先読みして冷静に行動するイクト。

このバランスは、この先も変わらないのかもしれない。

しばらく調理を進めていたイクトは、ふとハルが動く気配がしてリビングをのぞく。

ハルがもぞもぞと動いて、ゆっくりと立ち上がっていた。

「風呂、行くのか?」

「んー」

フラフラと歩きだすハルに、イクトは苦笑しつつキッチンに戻った。

『しばらくしたら、様子を見に行かなきゃな。たぶんのぼせるだろうから』

そうして案の定、のぼせる直前のハルを風呂場から追いだし、再びリビングのソファーでダウンするハルに、イクトは仕方なく大き目のブランケットに変えてかける。

それからしばらくして、リオと梨月が帰宅し、ハルは梨月によって部屋に戻されるのだった。

「ふふっ、やっぱり知恵熱出しちゃったね、ハル」

リオが笑いながらキッチンに入ってくる。

「例の吹雪ちゃんの事かな?」

「なんか、珍しく色々気になるところがあるみたいだ。星河の事だけじゃなく、もう一人…」

ふと、イクトは双葉と双葉の父親が頭に浮かぶ。

『双葉の事も、どうやって支えていけるか…だな…』

「イクト、そういうのは、陸斗に聞いてみるのもいいかもよ?」

口に出さない問いかけにも、的確な助言をくれるリオ。

そんなリオに、イクトは苦笑しながらも、素直に聞き入れる。

「父さんに?」

「そう、陸斗に。同じ男性として、一人の女の子を支えてきた先輩として。それに、初恋の話とかも!ハルの相談に乗るのにも、きっと役に立つと思うよ?」

ふわりと笑うリオに、イクトも同じように笑みを返す。

「父さんの初恋は、母さんだろ?」

「ふふっ、それはどうかしら?私が陸斗とちゃんと再会したのは高校一年の時よ?陸斗にだって、きっと忘れられない出会いがあったと思うの。私をずっと支え続けた陸斗を、ずっと支えてくれた存在が…ね」

優しい表情の裏に隠れるのは、陸斗を一人にしてしまった罪悪感。

そんな母親の表情に、イクトは小さくため息をつく。

「母さん、父さんは『支えてばっかじゃなかった』っていうだろ、きっと。父さんだって、母さんに支えられてきたんじゃないか?そんな顔してると、きっと父さんは怒ると思うよ?」

イクトの言葉に、リオは頬を膨らませる。

「もう、本当にそういう所、陸斗そっくり!」

「そりゃあ、母さんと、父さんの子どもだからな」

顔を見合わせながら、二人は笑い合うのだった。


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