初めて君の名を呼ぶその時PART:3
大きな門をくぐり抜け、きれいに手入れされた庭を横目に玄関の扉を開ける。
「ただいま」
当初の予定していた帰宅時間はとうに過ぎてしまっている。
「お帰りなさい、イクト」
脱いだローファーを片づけていると、奥からパタパタとリオがかけてきて、迎えてくれる。
「ハルから話は聞いたわ。お昼できてるから、はやく着替えてきてね!あら、カーディガン、新しいの後で出しておくね」
フワリと柔らかな笑みでいう母に、イクトも微笑み返す。
「あぁ、すぐ着替えてくるよ」
2階の自室に入って、イクトは私服に腕を通す。
と、制服のポケットに入れておいた携帯が光る。
メールが一通。
相手は双葉だ。
今日の御礼を律儀にメールしてきたのだ。
『面と向かっては素直にはなれないってことか。いや、ある意味、素直なのかもしれないな』
イクトはクスクス笑みをこぼしながら、返信した。
『これからどう変化していくか。それが、楽しみだな、色々と…』
着替えを済ませて、一階に下りれば、すでに食事を終えたらしいハルがクッキーをつつきつつ、リオに熱弁していた。
「とにかく、めちゃくちゃ可愛いんだって!な?!イクト!!」
「……何の話だ」
リオは笑顔でハルの話に耳を傾けつつ、用意してあったイクトの昼食を並べる。
イクトもそれを手伝いながら、少し遅めの昼食だ。
「…で、ハルはなんでそんなテンションなわけ?」
「ちょ、聞いてよ!!俺、恋に落ちた!!」
そのセリフを聞いた途端、イクトの表情があからさまに面倒くさそうにゆがんだ。
「俺にとっては初恋だよ!マジ、どうしようー!!」
「…知るか。自分でどうにかしろ」
「なんだよ!ちょっとくらい、相談乗ってくれてもいいじゃん!でね、相手はあの小っちゃい女の子でさ、星川吹雪っていって、話し方とか、仕草とかすごい一生懸命で、ちょーかわいいんだよ!で、人見知りらしいんだけど、俺のことは大丈夫だったみたいで、色々話してくれて!」
『…こいつ、ガチでパニックになってるな。それだけ本気なのか…単なるアホなのか…』
小さくため息をついてから、イクトはリオの淹れた紅茶を口に含む。
フワリと優しい香りが鼻をくすぐる。
「茶葉、変えた?」
「うん、よく気付いたね。いただいたものなんだけど、香りがしっかりしたものなの」
「へぇ。これもおいしいな」
「ふふっ」
「…おいっ!二人とも、俺の話、ちゃんと聞いてる?!」
ハルがそう叫ぶと、リオはクスクス笑い、イクトは再びため息をついた。
「ちゃんと聞いてるわ、ハル」
「聞いてない」
さらっとそう言ってのけるイクトに怒り心頭のハル。
2人のやり取りを見ながら、数十年前の夫と兄の姿を重ねるリオ。
そして大切な家族の成長を改めて実感するのだった。
「フフッ。まぁまぁ、2人とも。まず、ハルは落ち着きなさい?だいたいの話はわかったから。それから、イクト、面倒なのはわかるけど、今後の参考のためにもちゃんとアドバイスしてあげなさい。ね?」
「アドバイスっていってもなぁ。俺、初恋まだなんだけど…」
「今後の参考のためにもよ!ね、イクト!」
至極楽しそうなリオに、イクトは困ったように笑って見せた。
何だかんだこの母へ逆らうことをしないイクト。
それだけ信頼しているといえば聞こえはいいか、単にイクトの方が精神的に大人であることが大きい。
その点は父親である陸斗に似ている。
イクトは観念したようにハルの話に耳を傾けるのだった。
「で?初恋だっていうのはわかったけど、結局のところ、お前がどうしたいかだと?」
「俺、どうしたいんだろ?!」
「…俺が知るか…」
一向に話が進まないこの状況にクスクスと笑うリオ。
素直で不器用な2人が直面した初めての感情。
これから訪れるであろう多くの困難と幸せを、二人はどのように乗り越え得ていくのだろうか。
人と人との巡り合わせは不思議なもの。
「私がそうだったように、2人もきっと出会えるよ。一緒にいることが自然で、守るべき大切な誰かに。ハル、とにかく最初は相手を知る事!特に内面をね!外から見えるものがすべてじゃないわ」
「相手を知ること…」
珍しく真面目に聞くハル。
イクトはリオの話にふと双葉を思いだしていた。
現にハルは双葉を誤解したままだ。
そして、双葉自身ハルを誤解している。
『出会い方が最悪だったからな。お互い分かり合うにはしばらくかかりそうだし…』
相手の内面を知るということは、自分を相手にさらけ出すことでもある。
『…そうか。双葉はそれが怖いのか。本当の自分を知られることが…。自分の内側に誰かを入れる事が。その背景に何があるのかはわからないけど、母さんが言うのはきっと、そういうのをすべてひっくるめて守っていくってことだ…』
ふと視線があった母は、イクトにふわりと笑いかけた。
イクトが何かを感じ取ったことに、リオは気づいたのだ。
そっと人差し指を口元に添えて、『秘密』の合図。
ハルには言わないように、ということらしい。
イクトはいまだに考え込んでいるハルを横目に小さくうなずいた。
これは、自分で答えを見つけなければいけない。
相手と本気で向き合い、ぶつかり合いながらも少しずつ心の距離を近づけてく。
『誰かを想うっていうことは、そういうことだな』
「わーーーっ!!」
ハルが叫ぶ。
とうとう頭がパンクしたようだ。
「りおの言葉は難しいんだ!俺、裏読むとかできねーし!」
「…まぁ、今のこいつじゃこれが限界か」
あきれ顔で呟くイクト。
「とにかく!まずはたくさん話すことだよな?!」
「ふふっ。まぁ、今はそれが一番かな。あ、でも、無理に話す必要はないよ?大切なのは、いかに同じ時間を共有するかってこと!」
「よし、俺、マジで頑張る!ありがとう、リオ!また相談乗って!」
「もちろん」
嬉しそうにハルがガッツポーズしている横で、イクトは苦笑をこぼす。
『まぁ、話を聞くのは母さんにとっては、本職だし。それにしても、しょうがないか。こいつが、これだけ真剣に考えているなら、俺も協力するしかないだろ。これでも大切な家族だしな』
なんだかんだ、両親に似てお人好しのイクトであった。
ふと窓の外に広がる庭に目を向ければ、柔らかな日差しが花々を包み込む。
和やかな風に誘われて、どこかから飛んできたのは、まるで雪のような桜片。
これから始まる新しい季節に、踏み出す一歩。
まるでそれを後押しするような優しい風景。
「まぁ、俺にできる助言はしてやる。少なくとも、お前ひとりで考えて行動するよりは幾分ましだろ」
「マジで?!さすが、イクト!頼りにしてるからな!」
「はいはい」
頼られることは嫌いではない。
『こうやって素直に感情を表せられるのは、こいつの美徳だな』
イクト自身、そこに救われることが多々ある。
互いに補い合うことで、2人は育ってきた。
誰よりも理解しあえる仲であり、誰よりも近い存在。
「さてと、2人とも買い出しに付き合ってね!」
そんな2人を前に、リオは笑顔でいう。
「あぁ。今日、父さん達遅いのか?」
「んー、特に言ってなかったから、いつも通りじゃないかしら?」
「今日の夕食はオムライスね!」
「またぁ?」
ハルのリクエストに、リオは苦笑しながら、3人は支度を済ませ買い出しへと出かけるのだった。
翌日は在校生のクラス分けの発表と、それに伴うLHRのみ。
あらかじめクラスを知っていたハルとイクトの2人は人込みを避け、教室へ向かう。
そして、窓側の一番後ろの席にイクトが、その1つ前にハルが座る。
座る位置は変わらずとも、そこから見える窓からの風景は毎年変化する。
と、イクトがふと横を向けば、その席には誰も座らないよう書置きがしてある。
『あぁ、双葉の席か』
察しのついたイクトは、ハルに声をかける。
「お前、教室内では目立った行動はとるなよ。いいな」
「ん?どういうことだよ。まさか、この1年ずっと静かにしてろってこと?!」
「アホ。そうじゃない。いつも通りで構わないが、余計なことは話すなって事だよ」
いまいち状況を把握していないハルに、イクトはため息をつきつつ、担任が来るのを待った。
と、定時になり、教室の扉があき担任が入ってくる。
それまで自由に歩き回っていた生徒も、ぞろぞろと席にもどり、落ち着いたころ、担任が廊下から双葉を呼ぶ。
「えー、中には知ってるヤツもいると思うけど、転入生を紹介するぞ」
担任の言葉にクラスの視線が扉に集まる。
次の瞬間…。
「あぁーーー!!お前、昨日の!」
案の定、ハルが叫ぶ。
直後、イクトの手がすばやくハルの胸倉をつかむ。
「あれほど、余計なこと言うなっつったろうが、アホ。いいから、てめーは黙ってろ」
「わ、わかったよ。けど、後できっちり問い詰めるからな!」
こそこそと会話をしながら、イクトはハルから手を放し、それぞれ着席した。
「ったく、真中はいつになったら落ち着くんだよ。まぁ、いい。とにかく自己紹介だ」
担任もため息をつきながら、黒板に双葉の名前を書く。
そして双葉はそれを合図に教室内を見回した。
「水上双葉といいます。これから、どうぞよろしくお願いします」
それだけいって、双葉は頭を下げる。
「ほい、じゃあ、みんな仲良くな。というわけで、席なんだが、山倉の隣を空けてあるだろ?慣れるまでそこ座っとけ。山倉、あとのこと頼んだぞ」
「はい、わかっています」
イクトはため息交じりに答えながら、双葉を手招きし自分の隣に導く。
その間、ハルはというと、ひたすら双葉を威嚇し続けていた。
他のクラスメートには、現状が理解し切れない様子で、双葉と担任とイクトを見比べる。
それもそのはず、担任が双葉を任せた相手はイクトだ。
あまり人付き合いに積極的とは見えないイクトが、世話役に選ばれる理由が周囲の生徒には皆目見当がつかないのだった。
一通り今後のスケジュールの確認がすむと、この日は解散となる。
イクトは担任に頼まれて、双葉に学園内の案内をすることになっていた。
「お前は例の一年と帰るのか」
「おう!何か用事があるっていってたから、それを待ってから帰る!」
「そうか。じゃあ、俺はもう行くから。双葉、行こう」
イクトに促されて双葉は教室を出る。
ハルは自分の教室で吹雪を待つようだった。
教室から出ていくイクトと双葉の背中を横目に、ハルはフンっと鼻を鳴らした。
教室から出たイクトと双葉は、イクトの案内で順番に主要となる教室をめぐる。
「朝はわるかった。またハルのやつが」
「なんでイクトが謝るの?私は気にしていない」
プイと横を向いてしまう双葉に、イクトはクスと笑みをこぼす。
「双葉、俺に嘘は通用しないぞ。あの時、少し不安そうにしていただろ」
「そ、そんなことあるわけ…!」
慌てる双葉をよそに、イクトは笑みを崩さないまま「あるわけ?」と双葉の顔を覗き込みながら返す。
「-っ!知らない!早く次に案内してよね!」
とっさに双葉は言葉を返すことができず、頬を染めつつそれをごまかすように歩みを早めた。
そして、残るは音楽室という所で、双葉は自分の携帯がないことに気づく。
「教室に置いてきたんだ。イクトごめん、取りに行ってきてもいい?」
「あぁ。俺も一緒に行くか?」
「大丈夫、道は覚えたし、すぐに戻ってこれるから」
そういって駆け出す双葉の背中を見送りながら、イクトは廊下の先に見える音楽室へと入っていった。
防音のためのしっかりとした扉を開けて中に入ると、そこはイクトのお気に入りの場所の一つ。
一人になりたい時や、ピアノを弾きたい時など、イクトはしばしばこの音楽室を利用していた。
そのため、音楽室を管理する先生とはずいぶん親しい間柄であった。
『双葉を待つ間、ピアノでも弾いてるか』
誰もいない音楽室で、そっとピアノの椅子を引き腰かける。
ゆっくりと開けたピアノの蓋。
白と黒の鍵盤をそっと撫でながら、イクトは何を引いたものかと思案する。
と、かすかに声が聞こえてくる。
『いや、歌だ。準備室の方からか。…この歌なら、知ってるな』
イクトはタイミングを見計らうと、聞こえてくるメロディーに合わせてピアノの音を奏で合わせる。
そのピアノの音を聞いて、準備室の方から件の先生が顔を出し、弾いているのがイクトとわかった途端、誰かを手招きする。
そして、先生に促されて準備室から出てきた人物に、イクトの手がとまる。
「あんた…」
その頃、ハルは教室で吹雪からの連絡を待っていた。
自分の席から外を眺めつつ、ふとイクトの言動を思い出す。
『なんだってイクトのやつ、あんなやつをかばうんだ?あいつはあいつで、、一切俺と目を合わせなかったし。あー!意味わかんねー!』
一人でむしゃくしゃしていたハルの耳にケータイのバイブ音が入ってきた。
音を頼りに覗き込んだ机の中に、一つのケータイが取り残されている。
どうやらメールだったようで、すでにおとなしくなっているケータイを手に取って首をかしげる。
『ていうか、この席は…』
その時、教室の扉があき、一人の人物がそこに立っていた。
「テメーか…」
「星河…吹雪」
「…や、山倉…イクト先輩?」
「水上双葉…」
「…真中ハル…」
今、4つの点がつながった。