初めて君の名を呼ぶその時 PART:1
「じゃあ、いってきます」
「高校最後の年よ。めいいっぱい、楽しみなさいね」
玄関先、架音学園の制服を着たイクトとハルに、リオは笑いかけた。
入学式の在校生代表の列に並ぶため、二人は一足早く三年生になった。
「ハル、式典の間、イクト君に迷惑かけないようにね?」
「母さん!俺そこまでアホじゃないし!」
「「「………」」」
「……オイッ!」
「冗談よ、冗談。さぁ、遅刻するわよ?」
クスクス笑う母親達に、ハルは怒ることもできず、プイッとそっぽを向いてしまう。
「ふふっ。気をつけていってらっしゃい!」
「いってきます」
二人に見送られて、イクトとハルは家を出る。
学園への道中、やわらかな風が頬をなでる。
絶好のお昼寝日和。
「なのに、俺達は入学式って…」
ハルのぼやきを気にするでもなく、イクトはスタスタ歩く。
「おい!無視すんな!」
「お前は自業自得だろ」
横に並ぶハルにそう言い放ち、イクトは歩くスピードをあげる。
ハルも負けじと、そのスピードに合わせて早足でかけていく。
春風が二人の背中を押しながら、新たな一年がスタートを切った。
「しっかし、結局最後の最後まで同じクラスだな。絶対裏で仕組んでると思わね?」
「だとしたら、えらい迷惑な話だ」
ハルとイクトの二人は、初等部一年の頃から、かれこれ十一年間同じクラスで過ごし、そして今年十二年目に突入した。
『何で毎年くっつけられてるのか、だいたい想像はつくけど…。家でも一緒だっていうのに…』
イクトは溜息をつきながら、空を見上げる。
どこまでも青く遠く続く空に、ふわりふわりと舞うのは桜の花びら。
「おい、イクト。何ボーっとしてやがる?」
「…いや、何でもない」
架音学園の門をくぐり、まっすぐ職員室へ向かう。
イクトとハルのクラスはC組で、昨年度と同じ。
つまりは担任も同じなわけで、色々と勝手知ったるといったところ。
在校生は各クラス二人ずつ指名される。
担任に顔を出し、ちゃんと登校していることを告げると早速、式典ホールへ二人は向かう。
座席は各クラス二名が前後に並び、ハルが前、イクトが後ろへ腰を下ろした。
続々と集まってくる在校生に、式の時間が迫っていることがわかる。
定時になり音楽が流れる中、新入生が入場してくる。
新品の制服を身に着けながらも、ほとんどが中等部からの持ちあがりだ。
リハーサル通りに拍手を送りながら、ハルはあからさまに気だるそうなあくびを一つ。
新入生が全員席について、音楽が鳴りやむ。
ここからが、長い式の始まりだ。
その結果…。
「スピ――――、スピ――――」
学園長のありがたいお話の最中、一定のリズムで聞こえてくる間の抜けた音。
学園長の眉が先程からピクリピクリと上がる。
「おい!山倉!そいつ、どうにかして起こせ!」
イクトの目に入ってきたのは、必死にそう口ぱくでいう担任。
『…ちっ』
次の瞬間、ガシャンと派手な音をたててハルが前方に吹き飛んだ。
「いってー!!何しやがんだ、バカイクト!」
寝起きにしては、素晴らしい反射神経でハルは飛び起き、イクトに掴みかかる。
「担任の命令だ、アホハル」
一方、イクトは席に着いたまま、しれっと返すのだった。
「何だと、このやろー!」
「在校生は静かにしなさい!」
司会を務めていた教師からの一喝に、ハルは一方的に掴んでいたイクトの胸倉をしぶしぶ放し、イクトに蹴り飛ばされた椅子をもとに戻して座った。
イクトは終始何事もなかったように一息つく。
チラッと担任と視線を交えれば、ひどく疲れた表情で溜息をついていた。
長い式も終り、新入生や来賓が退場し在校生と教師だけになる。
と、イクトとハルのもとへ担任が笑顔でよってくる。
「お前ら、この後職員室までこい。いいな?」
有無を言わせないその笑みに、イクトとハルは素直に頷いた。
そして、会場から職員室へ移動する二人は、近道に庭園を横切る。
「ったくよー、早く帰りたいっていうのに」
ぶつくさと文句を言いながら歩くハル。
『自業自得だろう』
イクトは興味無さそうに、庭園に植えられる花々へ視線を移す。
庭園には在校生や来賓の人たちがちらほらいる程度で、静かなものだった。
「おい!何してんだ!」
静けさを一気に吹き飛ばすハルの声に、イクトは慌てて視線を戻す。
イクト達の歩く少し先に、見るからに険悪な雰囲気をかもし出す二人の少女がいた。
その二人にかけていくハルの後を追いながら、イクトは二人の少女に目を向ける。
まるで何かに脅えるように震える小柄な少女と、その少女に背を向けて立つもう一人の少女。
「お前、この子に何かしたのか?!」
ハルはそんな二人の間に割って入ると、震える少女を自分の背に隠す。
「……くだらない…」
ぼそっと呟いたのは、ハルが対峙した少女の方。
「あ、あのっ…」
「余計なことをいうな!」
ハルの背から聞こえた小さな声をさえぎり、少女はその場を離れようとする。
「あ!待てよ!」
ハルが去ろうとする少女の手をつかもうとしたその時、それまで黙って見ていたイクトが動いた。
ハルよりも先に少女の手をとると、イクトはハルに向き直った。
「ハル、そっちの子を頼む。新入生だ。教室まで送ってやれ。ちゃんと上手くごまかせよ。俺はこいつを連れていく」
「え?あ、あぁ、わかった」
イクトの言動に首をかしげつつ、イクトとイクトに手をひかれる少女を見送った。
「何だぁ?イクトのやつ。まぁ、いっか。じゃあ、俺らも行こう!えっと…」
ハルはそこでようやく自分の背に隠していた少女を見る。
ハル自身と比べると、さらにその小柄さが目立つ。
全体的に色素の薄い瞳や風になびく肩より少し長い髪。
『か…可愛い…』
ハルは思わず見とれて、慌てて頭を振った。
「俺は、真中ハル!3年C組だから、何かあったらいつでも来いよ!」
そういいながら、ハルがそっと頭をなでてあげると、少女はどこかほっとしたように頷く。
「わ、私は、一年C組の星河吹雪といいます。転入したてで、迷ってしまって、それで…」
見るからに一生懸命なこの少女、星河吹雪にハルはフワリと笑って見せた。
「俺の前で緊張することねーって!じゃあ、吹雪、さっそく教室までデートだな!」
目線の高さを合わせるように、少しかがんだハル。
そんなハルに、緊張気味だった吹雪もようやく小さな笑みがこぼれた。
「あ、ありがとう…ございます…、真中先輩」
「おう!ってか、吹雪って笑うとすごい美人だな!普通にしてても、十分かわいいけど、その笑顔は破壊的!」
二人並んで歩きだしてから、ハルはまじまじと吹雪を見つめる。
ボンっと湯気が出そうなほどに頬を赤く染め、吹雪はプルプルと首を横に振って見せる。
「あ、照れてる顔も可愛い」
「や、やめてください、先輩!」
「ごめんごめん、でも吹雪のこともっと知りたいからさ、よかったら、メアド教えてくれない?あ、嫌だったら無理には聞かないけど…」
携帯を片手に、新着メールに気付く。
送り主はイクト。
『その一年送ったら、先に職員室行っててくれ。少し時間がかかりそうだ』
メールに目を通して、すぐに返信を送る。
『はいよ。後でそっちの話聞かせろよな!一言文句言ってやらなきゃ、気がすまねー!吹雪に何しやがったかしらねーが、一年生をビビらすなって!』
送信ボタンを押すと、ハルは吹雪を見た。
両手で携帯を握りしめ、ハルを見上げる吹雪に、ハルは思わず吹き出してしまった。
「ちょ、待って、それマジで可愛すぎる!」
「ま、また、先輩は…っ!わ、私なんて、可愛くなんて、ないです!」
さらに先程よりも頬を赤くして吹雪はいう。
軽く瞳を潤ませながら、いまだに笑いの止まらないハルを見上げていた。
「いやいや、ホントに気に入ったよ、お前のこと!はい、俺のメアドと番号!何かあってもなくても、いつでも連絡ちょーだい?俺もするから!」
吹雪の頭をなでながら、ハルはニッとはにかんだ。
「真中…ハル先輩…。…ありがとう…ございます!」
「あ、ハルでいいよ、吹雪!もしかして、俺、吹雪の友達第一号?!」
「は、はい、お友達というか、こんなにお話ししたのは初めてです」
交換したばかりのハルのデータを見つめ、嬉しそうに、けれど、どこか戸惑いながら吹雪がいった。
ハルは首をかしげつつ、吹雪の手を引く。
「大丈夫!俺が友達になった以上、怖いものなんてない!」
「え?!そ、そうなんですか?!」
ハルのまったく根拠のない言葉にも真面目に返答する吹雪に、ハルはまた爆笑だった。
家族の中にいる時には、大抵からかわれることの多いハルだが、こんなにも自分の言葉に反応してくれる吹雪に、本気で惹かれてしまったのかもしれない。
『女の子と話してて、こんなに嬉しいと思ったこと、今までになかったな。俺にも、とうとう春が?!』
しみじみそんなことを考えるところ、親であるレオにそっくりである。
それから、他愛のない話をしながら、ハルは吹雪のクラスまで道案内した。
その間、吹雪が一生懸命に自分のことを話してくれることに、ハルは柄にもなく優しく笑って聞くのだった。
「あ、あの、ハル先輩。私、ちゃんとお話できてますか?」
「ん?ちゃんとできてるよ?どした?」
不安げに聞いてくる吹雪に、ハルは聞き返す。
「私、極度の人見知りなんです。だから、こうやって、いっぱい話したのも、本当に久しぶりで…。架音学園の皆さんは基本的に初等部から入れ替わりが少ないようですし、正直、どうしたらいいのか、わからなくて…。なんだか、すでに、へこたれそうで…」
困ったように俯いてしまった吹雪に、ハルは少し考えてから笑って見せた。
「そういう時は、笑ってみなよ!吹雪が笑えば、きっと周りの奴らも、笑顔になるよ!最初の内は、それで十分!少しずつ、吹雪は吹雪のペースで知っていけばいいんだよ!あ、でも、俺のことはどんどん知ってほしいなぁ…なんて」
冗談じみたようにいったハル。
しかし、吹雪はそれに笑顔で応えた。
「はい。ハル先輩、たくさん教えてください!」
「っ?!もっちろん!」
そして、ようやく見えてきた1年C組の教室。その前の廊下には、一人の教師が立っていた。
ハルはその教師を良く知っている。
「あれー、忍センセーじゃん!」
「あー?何だ、ハルじゃん…って、あぁー!」
あまり教師らしからぬ反応をするこの教師、春宮忍はここ架音学園の卒業生であり、ハルやイクトの両親とは高等部時代に同級生であった間柄。
今でも交友のある古くからの友人であった。
詳しく聞いたことはないが、リオをめぐって陸斗と火花を散らしたとか…。
真実はわからないが、とにかく、ハルやイクトが幼いころから良く知っている人物である。
その忍はハルの姿を見るなり、慌ててその隣にいた吹雪に駆け寄った。
「大丈夫か?この馬鹿に何かされてないか?!」
「おい、こら!何だそれ!俺は絡まれてたところを助けて、ここまで送り届けて…!」
「そんで、バカみたいに一目で気に入って、あわよくばこのまま…」
「そうそう、俺のこと好きになってくれたら……って、ちげーよ!いや、違くないけど、ちげーよ!!」
頭上で繰り広げられるやりとりに、最初はオロオロとしていた吹雪だが、しばらくしてクスクスと笑っていた。
「まったく、イクトが連れて来たなら、ここまで心配しなくて済むっていうのに…」
「フンッ!残念でしたぁ、イクトの奴は、絡んでたヤツ、連れて行ったもん」
「ふーん。あいつのことだから、何か気付いたのかもな。って、星河、お前式の前まで着てたカーデガンと色変わってないか?サイズも少し大きいし。どうしたんだ?」
忍の言葉に、ハルが目を向けると、確かに吹雪には少し大きいサイズのカーデガンを羽織っていた。
「ホントだ。少し大きいな」
「お前、今気付いたのかよ。ダッセ」
「うっせ、忍ちゃんは黙ってろ!」
「まぁ、いいや。とにかく送り届けてくれたのはサンキューな。ということで、お前はすぐに職員室にいった方が身の為だ。先生、めっちゃ怒ってたぞ」
忍の苦笑にハルはさも面倒くさいといったように、溜息をつく。
「だいたい、あれは俺じゃなくてイクトのヤツが悪いんだよ。俺を蹴り飛ばしやがって。まぁ、いいや。じゃ、吹雪!俺はもう行くけど、忍センセ、これでも意外といい先生だと思うから、何かあったら相談してみなよ!それと、後でメールいれるな!」
最後にもう一度吹雪の頭をなでて、ハルは職員室へ向かった。
『あれ、俺、もしかしなくても、これが初恋か?!ヤバい!こういう時って、どうすればいいんだ?!え、イクトのヤツ、もう職員室向かったかな?!』
軽くパニックを起こしながら、ハルは熱を持つ頬を手で隠すのだった。