最悪な出会いはハッピーエンドへ PART:2
その日、梨月は朝から頭痛を我慢していた。
痛みはだんだんと強くなり、昼前には保健室に行くよう担任にいわれ、そこへ向かっていた。
熱を測ってみると、微熱程度。
悪化する前に早退することになり、親が迎えに来るまでの間、ベッドで休むことになった。
保健医は隣にもう一人寝ている生徒がいることと、これから少し保健室を抜けることを告げると、その言葉通りに出て行った。
それからほんの数秒後、梨月は隣のベッドのカーテンが開く音を聞いた。
さらに、外へ続く扉が開く音がする。
保健室は校内から普通に入る扉と別に、裏庭に出られる扉がある。
裏庭というには広すぎる、ちょっとした広場になっていて、中心の噴水を取り囲むように、色とりどりの花が咲く花壇や、そのまま寝ころべる芝生がある。
そこだけ見れば、まるで自然公園のようだ。
春めいた風が梨月の横になるベッドのカーテンを揺らす。
そして、そっと風がやむ。
梨月は少しして、カーテンの内側から顔をのぞかせた。
出て行ったであろう人物の姿が見られると思っていたのだが、窓の外に人影は見えない。
どこにいったのかと、首をかしげた時だ。
廊下を走る足音が、少しずつ近づいてくる。
梨月は慌ててカーテンの内側に身を隠す。
そのすぐ後、保健室の扉が開いて、誰かが入ってきた。
しかし、その足は止まることなく、そのまま裏庭へと出て行った。
「みーつけた。りーお」
ふと聞こえた、男の子の声。
「また一人で泣いてるの?俺のこと呼んでっていったのに」
梨月は再びカーテンから顔を出した。
すると裏庭への扉は開きっぱなしで、そのすぐ外に人の気配がして歩み寄ると、保健室の壁の陰に座る二人がいた。
それを確認して、梨月はすぐの自分の横になっていたベッドに戻った。
『あの二人、確か双子の…。りお…ちゃん?泣いてた…。それに男の子の方も…いつもと雰囲気が違う。すごく優しい空気…』
梨月はこの時、初めて気付いたのだ。
『今の二人が、本当の二人なんだ…』
良くも悪くも、有名な双子。
廊下などですれ違えば、嫌でも目が行ってしまう。
色々と噂のたえない二人だが、明るくふるまう中にどこか影を落とす笑み。
梨月は幼いながらに、その不自然さが気になっていた。
と、保健室の扉が開いた。
「あら?誰か外から来たのかしら?」
入ってきたのは保健医で、用事を済ませてきたようだ。
「せんせー、俺!」
男の子もとい、れおが顔だけ保健室内に向けていう。
「あらあら、れお君。りおちゃんのこと誰かから聞いたの?」
「聞いてないよ?でも、りおが呼んだから来ただけー」
そういってのけるれおに、梨月は静かに驚いていた。
「さすが、双子ね。頼りになるお兄ちゃんね」
「あったりまえだよ!どこにいたって、りおの呼ぶ声ならわかるよ。だって、りおを守れるのは俺だけだからね!」
双子も様々だが、この二人は特につながりが強いのかもしれない。
そんなことを考えながら、梨月はりおの涙のわけを思った。
「そうやって、ずっと見ていたの。どうしてなのか、わからないけど、放っておけなかったの。あの保健室で見た、りおちゃんの涙が、あまりに悲痛で綺麗で、この子は“何か”と一人で戦っているんだって」
その“何か”の正体が今日、やっとわかった。
ただし、その“全て”をつかめたわけではない。
梨月はそう確信した。
記憶を失っていることはもちろんだが、その失った記憶の中身が問題なのだろう。
思い出せもしない記憶に、不安を覚え、怖がって、それでも周りに心配かけまいと笑う。
そんなりおを、ずっと守ってきた兄のれお。
『お兄さんに聞けば、もっとわかるんだけど…。きっと、私には教えてくれない。お話もしてくれないかな…』
小さく溜息をつきながら、梨月はれおを思い浮かべる。
れおもまた、どこか影を持つ。
この二人を支配するものが、いったい何なのか。
今はまだ深く踏み込めない。
けれど、いつか支えになれたら…。
『“支え”なんて大それてなくていい。せめて、力が必要な時にそばにいたい。きっと、私は好きなんだ』
それから数日が過ぎた頃、りおと梨月は放課後、真中家で課題を行うために学園を一緒に出た。
そして、ほんの少し歩いたところで、他校の中学生が数人、集団で道路をふさいでいた。
体格から見て、りお達よりも年上のようだ。
「おい、二人いるじゃん。どっちだ?」
一人の男がそういって、りおと梨月を見比べる。
「…梨月、学園に戻って、れおに伝えて」
ポソッと、本当に小さな声でりおがいう。
「え?」
「真中りおは、私です」
そう名乗ったりおに、梨月はハッとして、もと来た道を走りだした。
一瞬追いかけようとした者もいたが、リーダー格の少年に制されとまる。
「あの子は関係ないです!それより、私に何かご用でしょうか」
そんな声を背中に、梨月はひたすら走った。
学園に戻っても、れおの居場所の見当がつかない。
れおの教室にいってみると、数人の生徒が残っていて、その中の一人にれおの行方を聞いてみる。
と、行方まではわからないが、鞄が残っていることから、まだ学園内にいることは確かだった。
梨月は再び走り出す。
走りながら、やみくもに探すよりも先に、誰か大人に頼んだ方が早いと判断し、行き先を職員室に絞る。
そして、職員室の扉を開けようとしたその時、梨月が開けるよりも先に、中から人が出てきた。
急いでいた梨月は、そのまま避けきれず、ぶつかってしまい、逆に後ろへと倒れこみそうになった。
しかし、とっさにぶつかった相手が梨月の手を引きよせ、なんとか体勢を持ち直す。
「…ちっ、お前かよ」
頭の上から降ってきたその声に、梨月はバッと顔を上げる。
「れお君!り、りおちゃん!りおちゃんが!」
息を切らしながらも、必死にれおの腕をつかむ。
あの冷静ないつもの姿とは異なる緊迫した声。
「案内しろ!早く!」
すぐにことの大きさを察したれおが、梨月の手をとって走り出す。
「相手は…他校の生徒でした!最初から、りおちゃんを待ち伏せしていたみたいで…!」
走って走って、やっとりおと離れた場にたどり着く。
すぐ近くのはずが、果てしなく遠く感じた。
足がもつれそうになりながら、ようやく戻ったそこにりおの姿はなく、男たちもいなかった。
「いない…りおちゃん…どこ?!」
涙目になってあたりを見回す梨月に、れおは繋いでいた手に力を込める。
「…大丈夫だ。りおは頭いいから、どうにか対応してるはずだ。けど、早く見つけなきゃ…。…!そうだ!」
ポケットの中のケータイを取り出し、どこかに電話をするれお。
呼び出している間の不安そうな表情が、つながった途端、どこか安心したように眉が下がる。
「お前どこにいる?!なぁ、りお見なかったか?!他校の連中に連れてかれたみたいなんだ。……わかってる!…うん、頼む!」
梨月にはれおが誰と話しているのかはわからない。
しかし、このやりとりから、れおにとって信頼のおける、りおのことを任すことができる存在であることはわかった。
『きっと、いつも一緒にいる人たちじゃない。もっと心から繋がっているような…。とにかく、今はりおちゃんが…!』
瞳に溜まる涙をぬぐう。
「なぁ、もしかして、他校のやつって、青みがかった学ランっぽい制服じゃなかったか?」
「えっと、…うん、そうです!で、でも、どうして…」
わかったんですか、そう続けようとした時には、れおは電話をかけていた。
「よぉ、ちょーっと聞きてーんだけど」
『口調が…変わった』
そして、しばらく会話してケータイを切った。
「りおの居場所の見当がついた。事情は後で説明する。お前は帰ってろ」
れおが心配していってくれているのは、梨月にもわかる。
けれど……。
「嫌です」
「……は?」
「私も行きます。一人だけ安全なところで待つなんて、できません!だって、りおちゃんも、れお君も、大切な友達だから…!」
れおは梨月のその言葉に目を丸くする。
「お願いです!足手まといにならないようにします!だから、連れていってください!」
「……わかった。行くぞ!」
梨月はしっかりと頷いて、れおの後を追って走った。
しばらく走ったところで、たどり着いたのは、真中家に負けず劣らず大きな屋敷。
「こ、ここに、りおちゃんが…いるんですか…?」
肩で息をする梨月と額に汗をにじませながらも、そこまで息切れしていないれお。
さすが男の子だと感心しつつ、なんとか自分の息遣いを落ち着かせる。
「れお君は、誰が仕組んだのか、もうわかっているんですよね?」
「…あぁ、今日俺が先生に呼び出しくらってんの知ってて、りおが先に帰るのも知ってる人物。一人いるだろ。たぶんあんたも一緒にその場にいたんじゃないか?」
そういわれて、梨月は思い出す。
れおからの連絡を教室で待っていた時、一人の女の子が来て、れおからの伝言を残していった。
『先生に呼び出されたから、先に帰っていい』と。
れおの取り巻きの一人で、先日『れおに告白した』という噂が流れた人物。
れおがこれまでに、誰かを特別に想うことはなかった。
唯一例外のりおを除いて、ただ一人としていなかった。
このことは、れおに想いを寄せる女の子の間では有名な話だった。
現に、今までれおが誰かと付き合ったという話は出たことがない。
つまり、その女の子の噂が事実であったとするなら、れおの返事は“No”。
「……え、まさか、逆恨み…ですか?」
「あぁ、おそらくな。それと、あいつの兄貴を打ち負かしたことも根に持ってんだな」
と、その時、二人の元へ誰かが駆け寄ってくる。
れおは梨月をかばうように、その背に隠す。
『……どうして…』
自分をかばうその背中に、梨月は戸惑う。
れおが自分を嫌っていることは、知っている。
だからこそ、せめて足手まといにならないように、これ以上嫌われないように、気を張っていたというのに。
緊迫した雰囲気の中、近付く人物。
と、次の瞬間、れおの殺気立った表情が和らぐ。
そっと様子を窺って見ると、同じ架音学園の制服の男の子が、れおの前で立ち止まった。
胸の校章の刺繍から同学年であることがわかる。
ふと視線を相手の顔に向けて、梨月は驚く。
『れお君に負けず劣らず綺麗な顔立ち。というか、彼って、もしかして…』
比較的静かなグループにこれまでいた分、あまり周囲のことに詳しくないところがあった。
それでも聞いたことのある噂。
他人と関わらず、人を寄せ付けない。
「陸斗、悪い…」
ぽつりといったれおの言葉に、“陸斗”と呼ばれたその少年が顔をゆがめた。
「俺は謝られるようなことをされた覚えはない。謝るべき相手はりおだろ。守ってやるっていったのは誰だよ」
「…うん。りおには、もちろん謝る。けど、お前との約束も破っちゃっただろ?だからやっぱり、ごめん」
二人のやり取りを見つつ、梨月はふと感じていた。
りおやれおに対して感じた影が、ここにもあること。
むしろ、先の二人よりも黒く重たい何かが、この陸斗という少年を支配している。
「りおは、ここにいない。兄妹でいい争った後、兄貴の方が連れ出していった。場所は、花咲ヶ丘」
「…花咲ヶ丘…か。くそっ!」
握りしめた拳に力が入るれおを見て、梨月はそっとその手に触れる。
「手、痛めてしまいます。この手はりおちゃんを守る、唯一の武器でしょう?大事にしなくちゃだめです。…貴方自身を…」
キョトンとするれおを、梨月は見つめた。
しばらく互いに黙りこんでいると、溜息が聞こえ、そちらに目を向ければ、陸斗が呆れ顔でいた。
「とにかく、早く行くぞ」
「あ、あぁ」
陸斗に促されて、我に返ったれおが頷く。
そして三人揃って走り出すと花咲ヶ丘を目指し急ぐ。
目的地にたどり着いた時には、太陽はすでに西の空に沈もうとしていた。
「りお?!りお!どこだ!」
「落ち着け、アホ。居場所はわかってる。お前は、りおを連れてさっさと逃げろよ。後は俺が引き受けるから」
「はぁ?!何いってんだ!相手は複数人、いくらお前だって、分が悪すぎる!俺も残って…!」
「アホか、そしたら誰がりおを逃がすっていうんだ!俺の存在をあいつに知られるわけにはいかねーだろ!」
いい争うその内容は、梨月には理解できるものではない。
けれど……。
「…あの、私にその役目、できないでしょうか…」