途方もない課題
私の主様はとてつもなく賢明で、とてつもなく強く、そして限りなく優しい方です。
そんな方ですから、誰からも信頼されていますし、誰からも愛されています。
誰からも頼られる偉大な人。
そのように振る舞われ続けているのです。
苦しみ悩む人が居たならば隣に行き慰めながら知恵を貸し、その方が前を歩くのを手助けをする。
途方もない悪に苦しむ人が居たならば、自らの不利益さえも厭わず剣を持ってその悪と対峙する。
そんな様を見て英雄と言って憧れる子供達が駆けて来れば笑顔で応対し、忙しい時間の合間を縫ってお菓子をあげたり、歌を歌ったり、時には一緒に遊んだりする。
だからでしょう。
私の主様はいつでも仮面を被っております。
皆が抱く理想、いえ、空想を砕かぬよう苦慮しております。
幼い頃からこの方には仕えておりますが、困ったことに私の主様は家来や使用人は勿論、両親にさえそんな姿を見せていたものですから、あまりにも息詰まる生き方をしておりました。
もちろん、私の前でさえ。
しかし、ある日。
私の主様は心が破裂してしまいました。
夜中に押しつぶされそうになった感情から泣いていたのを目撃してしまいました。
声をかけたら誤魔化そうとされましたけれど。
『気にしないで。もう向こうへ行って』
私は初めて命令を無視しました。
隣へ行き、座り、背を撫でながら言いました。
『せめて、私の前では仮面を脱いでください』
私は使用人でしたし、主様とは比べるのも烏滸がましいほどに何も出来ませんでしたけれど、それでも主様より幾つか年上でしたから。
『私と二人きりの時は子供になってください』
涙を隠せず、挙句誤魔化せなかった主様は初めて私の言葉に従ってくださいました。
以来、主様は私の前でだけは子供のように振る舞います。
「菓子が食べたい」
「先ほど子供達にあげてしまったでしょう?」
「本当は僕が食べるつもりだったんだ」
「子供達が聞いたらどういうでしょうね?」
「うるさいな。だから君の前でしか言っていないだろう」
私は主様と共に菓子を買いに行きます。
表向きは子供達が次にいつでも来ても良いようにと。
本当は自分が食べるものなのに。
「いやさ。悩みは分かるよ。だけどさぁ、泣いているばかりじゃ何も解決しないじゃん。だからダメなんだよ。動かないと」
「ならばそのようにお伝えすれば良かったのではないですか?」
「言えるわけないだろ。あんだけ泣いてるんだから……」
「要するにかっこいい姿だけ見せたかったって事ですよね」
「いや、その言い方は流石に悪意ない?」
「はいはい。間違っても本人の前で変なこと言わないでくださいね」
「そうならないために君の前で毒を吐いているんじゃないか」
毎日のように苦しむ人々の悩みに寄り添う裏でこのような事を考えているなんて思いませんでした。
ですが、まぁ、当然と言えば当然かもしれません。
問題を解決するのは結局のところ当人の問題なのですから。
「起こったことは可哀想だと思うけどさ。わざわざ危険な場所に行くなよ……」
「そのご意見には全くもって同意です。だからこそ、私は見捨てても良いのでは? とお伝えしたのですが」
「いや、流石にそれは……」
「見捨てても誰も責めたりしませんよ」
「ぅ……そういう問題じゃないだろ?」
「そうですかね?」
「あぁ、そこだけは譲れない」
「まったく。お人よしなんですから」
私の前でだけ本音を言う主様の事が私は大好きです。
誰からも慕われる人の等身大のような姿を見つめているようで――。
少しだけ。
本当に少しだけ、恐れ多いことを言えば。
まるで弟が出来たみたい、なんて。
思ったり、思わなかったり。
「なに笑ってんだよ」
「何でもありませんよ」
くすりと笑う私に主様は顔を背けてしまいます。
そんな姿が本当に愛らしいです。
弟みたいで。
*
「最近、また悩みが出来たのではありませんか?」
そう問われて僕は首を振る。
「いいや、そんなことはないさ。もう大丈夫だから休んでくれ」
「お姉さんに隠し事はいけませんよ」
「子供じゃあるまいし隠し事なんてしない。はよ寝ろ」
使用人の。
いや、幼馴染のわざとらしい言葉を聞いてぶっきら棒に吐き捨てる。
こんな言葉を吐けるのも彼女の前でだけだ。
「……かしこまりました。本当に大丈夫ですか?」
「あぁ、ありがとう」
彼女は丁寧に一礼をして部屋を去った。
本当に心配そうな顔をして。
だけど、それでも僕を信じて。
一人、残された部屋で僕は大きなため息をつく。
実のところ、今の僕には大きな課題がある。
それはつまり。
幼い頃からの付き合いで、だけど使用人と主という壁があって、それでもそんな障害が気にならないほどに愛してしまった彼女に――どうすれば振り向いてもらえるか。
「……本当、どうすりゃ、弟扱いをやめてくれるかな」
この課題は中々解決しそうにない。
今日も今日とて僕は頭を悩まし続けるばかりだ。




