055
「無理だったか~」
大和兎は苦笑しつつ、部屋の端で数凪を迎えた。数凪はため息をつきつつ時間を確認し、
「これ、マジで間に合わないかもしれないですね。私もちょっと現場行ってきます」
「え? ステージに行くってこと? 行ってどうするの?」
「間を持たせようと思って。シミタツさんもいれば二人で」
当然のように言った。
「あっ、ああ、そうか。スゥちゃんってそういうの出来る人だったか」
兎の不覚である。数凪はこれでも元アイドルなのだ。
「じゃ、ちょっくら行ってきます」
数凪は軽く会釈して、扉へ向かった。出る前に、ちらっと怒号が飛び交う方を見てみる。
葉埼朱英とChaosは相変わらずお互いしか見えていなかったが、サヤカは数凪に気付いた。ニコニコ笑いながらこっちに手を振ってくれる。悪い気はしない所作だった。
『やっぱ、あの人なんか好きだな』
数凪は手を振り返し、控室の外に出る。会場の方からは、もう独特の音のこもったざわめきが聞こえてきた。
ここはとある駅前複合施設のイベントスペースである。音響設備等も一応揃っており時折ミニライブなども開催される。昨今はオンラインのストリーミング配信などにも対応しているようだ。
よっしゃ、行くか。自分の両頬を叩き気合を入れ直したその時、一際大きい歓声が会場の方角から聞こえてきた。
……歓声? 悲鳴のような叫びも混ざっている気がする。
いや、歓声にしても悲鳴にしてもおかしいのだ。今日は別にアイドルが来ているわけではない。大物五人しても、そういう性質の人々ではなかった。
何か、どこかで聞いたような声が耳に入った気がした。SNOWの誰かだろうか?
『あ、いや、シミタツか?』
しかし今、どうも目立って聞こえるのは紙魚達夫の叫び声のような気がする。パニックになっているような様子だ。
警察、警察、と喚いている声も聞こえる。……これも達夫のものか。
『なんかあったな、これ』
数凪がおっとり刀で駆け付けようとした直後、混乱した物音がこちらに向かって近づいてきた。
紙魚達夫が数凪の方へ向かって走ってくる。躍起になって足を縺れさせながら、ようやっと前進している様子だった。顔面にはベットリと恐怖が張り付いている。見たことのない表情だった。
「数凪さん!」
達夫の背後から、バタバタと騒がしい音が追いかけて来る。
『あれ……なりか?』
わかりにくかったが、どうもSNOWの(マネージャー?)大江なりのようだった。いつも会う時と違って、動きやすいラフな格好なので見間違いかと思った。
「そいつ……その人、行かせないで!」
なりの後ろには、まだ追ってくる人影がある。どうも何事かが起こっているのは間違いないようだが……。
「どういうこと?」
「紙魚達夫!」
しみたつお、と聞こえた。もう距離はかなり近づいている。
見てみるとシミタツは息が上がって、なかなか意味のある言葉にならないが必死になりを否定しているようだった。
このまま控室を通り過ぎて直進すると廊下に突き当たり、あまり利用者のいない下に降りる階段に繋がっている。
「違うからっ……どいて!」
達夫は通せんぼしている形になっている縁間数凪を横に突き飛ばそうと手を伸ばした。
……いや、〝突き飛ばそう〟まではなかったのかもしれないが、余裕がなく結果的に全力を振るった手が、数凪の身体に当たりそうになった。
その瞬間、達夫の首に鋭角に食い込む衝撃が走る。ただでさえ息が上がっているのに、急な打撃が気管を潰し呼吸が断たれてしまった。
局所的に起こったことは前述の通りだが、少し離れて見ていた大江なりその他の人物たちは、もっとショッキングな光景を目にすることになる。
達夫の身体が一回転して宙を舞い、映画のように〝どぅっ〟と鈍い音がして床に倒れ込んだのだ。血こそ吐いてないもののゲホッ、オェッ、と何か只事でない咳をしながら、床に身を横たえ悶えている。
「か、数凪さん、それ……大丈夫なんですか?」
追いついたなりの顔から、血の気が引いている。ラリアット、というかエルボー気味に曲げた数凪の肘が良い角度で達夫の首に入ったのだ。勢いがついているので、強烈な打撃になったのであろう。
「え? シミタツ? どうかな」
困惑を隠さず、数凪は頭をポリポリ掻いている。何事が起こっているのかわからないのだ。
「数凪さん! それなんかヤバいですよ! 何してんですか!」
「え? いや、止めろっつったじゃんか」
なりの後ろからやってきた尾鷹葉子の言に反論するが、
「あー! お前……!」
葉子が、半ば引きずるように連れてきた人影を見て顔を輝かせる。
「四季じゃん! やっと見つかったのか~! どこ行ってたんだよ。心配したんだぞ」
にこやかに両手を開いて近づいていく。四季と呼ばれた少女は一瞬ビクッと身を震わせるが、やがて数凪に身を任せ抱きすくめられた。
「あ……違うん……だけど」
少女はぼそぼそと口を動かしているのだが、数凪の耳に入っている様子はない。
「この人ホント怖いわ……」
葉子は、ぼそっと誰に言うともなく一人ごちた。
「これ、救急車とか呼んだほうがいいんじゃないの?」
葉子と共に来た伊代も深刻な顔をしている。達夫がまだ起き上がらないのだ。
ちょうどその時、達夫は大きく息を喘がせ辛うじて片手で身を持ちあげた。特に何かしたいわけでなく自分は大丈夫だ、というアピールのようだ。
「救急車……は、いい。……警察は、僕が呼ぶ」
達夫は呼吸がまだ困難なようで、途切れ途切れに言葉を発する。ゼヒィー、ゼヒュー、と虎落笛のように時々咽喉が鳴った。
葉子の連れてきた少女は既に数凪の腕から離れ、厳しいような憐れむような視線で達夫を眺めている。何事かを決めかねているようだった。
「いや……違う。僕の、ためだ」
ふっ、と紙魚達夫は淋しそうに笑った。
「自首、するよ。僕が……やったんだ。僕が、殺したんだよ……真希を」
少女――紅葉――は深く大きな吐息を吐き、天を仰いだ。




